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【3】TPPって何?:貿易自由化交渉の歴史

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前回はTPPとは、どのような協定であるかについて紹介しました。【リンク [1]】今回は、第二次世界大戦後〜今日までの貿易自由化協定や交渉の歴史について調べます。
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さて、戦後の貿易自由化交渉・協定の歴史について時系列にまとめてみます。
■貿易自由化協定・交渉の歴史
●1948年:第1回GATT調印
GATT:関税および貿易に関する一般協定(General Agreement on Tariffs and Trade)は、自由貿易の促進を目的とした国際協定。多国間の協定締結により1947年10月調印、翌1948年でジュネーブで発足。23ヶ国により貿易交渉協議を行ったのを始まりとし、これまで、ラウンドと呼ばれる交渉が合計9回行われた。
ウイキペディアより [2]
戦後世界貿易体制成立史 [3]
●1986年-1995年:第8回ウルグアイラウンド 
ウルグアイラウンド:サービス貿易や知的所有権の扱い方、農産物の自由化などについて交渉が行われた。中でも農業分野交渉が難航し、完全な自由化には至らなかった。【ウイキペディアより [4]
●2001年-:第9回ドーハ開発ラウンド
ドーハ開発ラウンド:ウルグアイ・ラウンドで難航した、農作物分野での交渉は、ケアンズ諸国やアメリカの輸出国グループとEUや日本の国内保護重視のグループ、特別な保護を要求する発展途上国の鼎立状態により議論が膠着。その対立は様々な分野でおき、2006年7月に交渉の一時凍結が発表され、2008年7月には農業・鉱工業分野での交渉が決裂。【ウイキペディアより [5]
●1995年:WTO設立
WTO:世界貿易機関(WTO)は、1995年、GATTの流れを引き継いで設立。関税を限りなくゼロにし、工業製品、あるいは農産物やサービスが地球規模の市場で自由に競争できるようにするということが基本的な目的。GATTの対象が工業製品や農産物などモノだけだったのに対し、WTOの対象は、金融・通信・サービス・知的所有権・食料の安全基準などを含む。さらに紛争時の裁判権ももつ。現在53カ国がメンバーとなっている。
日本人が知らない恐るべき真実より [6]
WTOの意志決定は、最高意志決定機関である閣僚会議を2年に1回開き、コンセンサス方式が採られている。
しかし、実際には閣僚会議の前に四極代表(米、カナダ、日本、EU)と他の先進国と一部の途上国が参加し、グリーンルーム(WTOの事務局長室の壁が緑色のため)方式という秘密会合が行われ、そこで練られたものが本会議に提出され、それが採択されるという図式になっている。この秘密会議は先進国中心であり、途上国はほとんど招かれていない。その閉鎖性と非民主性がNGOや途上国から批判され続けてきた。
また、WTO事務局のサービス部門ディレクター、デビット・ハートリッジは1997年、国際弁護士会社主催の「世界の銀行業にとっての市場開放」をテーマにしたシンポジウムで興味深い発言をしています。

「米国の金融サービス部門、とりわけ『アメリカンエクスプレス』や『シティコープ』といった会社からの巨大な圧力がなかったら、サービス部門についてのいかなる協定もありえなかっただろう。つまり、ウルグアイ・ラウンドもなければWTOもなかっただろうという事である。アメリカ合衆国は、サービス部門を議論の日程にのせるために戦ったのである。
日本人が知らない恐るべき真実より [6]

他方、米国は、自国の農産物は保護しつつ、不当な市場競争を後進国に強いており、こういった自国に都合の良い不公正な貿易体制を確立していきました。
アメリカ経済ニュースblogより [7]
ここまでみると、GATT〜アメリカ主導のWTO体制は、2001年のドーハ開発ラウンドを最後に各国同士の対立から実質降着状態(実態は凍結)になったと言えます。米国の強引な手法が、各国の反発をかったとも言えます。
さて、2000年以降急速に発展してきたFTA・EPAについて調べてみましょう。
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FTA-EPA.Comより [8]】        
FTA:自由貿易協定(Free Trade Agreement)は、物品の関税、その他の制限的な通商規則、サービス貿易等の障壁など、通商上の障壁を取り除く自由貿易地域の結成を目的とした、2国間以上の国際協定。2010年現在、FTAの総件数は、約240件になっている。
ウイキペディアより [9]
EPA:経済連携協定(Economic Partnership Agreement)は、FTAを柱として、関税撤廃などの通商上の障壁の除去だけでなく、締約国間での経済取引の円滑化、経済制度の調和、および、サービス・投資・電子商取引などのさまざまな経済領域での連携強化・協力の促進などをも含めた条約。
ウイキペディアより [10]
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■EPA・FTAが何故急速に発展してきたのか?
その理由は、以下に挙げられます。
①WTO(世界貿易機関)が進める多角的貿易自由化交渉(世界の国々が集まり、貿易自由化を進める交渉)が欧米諸国や先進国と途上国間の対立によって一向に進まないこと
②米国、ECがそれぞれNAFTA(1994年発効)、EU(1993年発足)への取組を加速させるなど、欧米が経済的関係の深い近隣諸国との間で貿易・投資の自由化・円滑化等による連携を図る動きを活発化させたこと、
③NIEsやASEANがいち早く経済開放を推し進めることにより高成長を果たす中、チリ・メキシコ等の新興国が貿易・投資の自由化や市場メカニズムの導入へと経済政策を転換させ、その中でEPA/FTAを活用する戦略を採ったこと。
④日本を含む東アジアがEPA/FTAに積極姿勢に転じたこと
⑤一部の国でFTA/EPAが締結されると他の国も続々とFTA/EPAの締結に動くというドミノ効果
上記の③、④にあるように、米国主導のWTO体制から、米国抜きの二国間以上同士の関係にメリットがあると考えた小国同士の思惑が一致した結果が、EPA・FTAを急速に発展させたと考えられます。
■ASEANとアジア大洋州地域のFTA
さて、今後、アジア経済ブロックについては、詳しく分析する必要があると思いますが、ここで、視点を変えて、ASEANと最近のアジア大洋州地域のFTAについて、ざっとまとめてみましょう。
●ASEAN
参加国:インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、フィリピン、ブルネイ、ベトナム、ミャンマー、ラオス、カンボジア
本部:インドネシア ジャカルタ
人口:5億8100万人(2009年)
欧州連合 (EU) や北米自由貿易協定 (NAFTA)より多い。国連の予測では、2030年には7億人を超え、2050年には7億7000万人規模になるとされている。
●近年のアジア大洋州地域のFTAについて
経済成長著しいアジア大洋州地域では、2010年1月にASEAN+1のFTA(ASEAN と日本、中国、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、インド間のFTA)が全てそろい、FTAの本格活用時代を迎えている。日本企業にとっては、日本が結んでいるEPAのみならず、こうした第3国間のFTAを進出先のASEANにおいて利用するといった観点から、FTAの利用価値が高まった。【JETROより [11]
ASEANを中心としたアジア経済圏の潜在能力は、相当なものがあると言えそうです。また、2000年からのFTAの発展は、アジア太洋州地域の経済をより強化にしていくもの考えられます。
■ASEAN諸国を中心とした東アジア経済ブロック圏から米国が締め出し?→ルックイースト政策
ルックイースト政策は、西欧の国ではなく、日本や韓国等東方の国を手本にしようとする政策。マレーシアのマハティール首相が1981年にこの政策を打ち出した。マハティール首相は日本や韓国の経済発展を高く評価し、これを見習う政策をとった。
更に、2011年二月インドネシアのユドヨノ大統領がインドを公式訪問し、「共和国記念日」の祝典にも主賓として出席。今回の訪問で両国は150億ドル相当の投資貿易合意、および協力文書30件余りに調印した。インドとASEAN最大の国であるインドネシアとの戦略的パートナーシップの大幅な格上げは、インドの「ルックイースト政策」の深化を意味する。【JAPANESE.CHINA.ORG.CNより [12]
こうしてみると、アジア圏の国々は、その根底には米国抜きの経済圏を作り上げていく政策取ろうとしています。
■リーマンショック後の経済低迷から輸出拡大で抜け出したい米国がWTO及びドーハ開発ラウンドに見切りを付ける。→▼WTOを捨てるアメリカ一強主義
田中 宇さんの記事に米国がWTOに舵を切った理由を下記のように述べています。

ブッシュ政権は2002年に入って農業補助金を大幅増額していく法律を施行し、WTOの方針を真っ向から否定するようになった。アメリカはウルグアイラウンドの後、1996年に農業補助金を減らしていく法律を制定しており、WTOの方針に沿ってアメリカ自身も動いていたが、こうした政策はクリントンの任期が終わるとともに終焉し、ブッシュは逆にWTO自体を軽視する傾向を強めた。
これはアメリカが、国連やその他の国際機関を軽視する一強主義的な傾向と一致している。WTOではなく2国間の取り決めによって貿易をやっていこうとする考えである。WTOだと、他国に要求するのと同様にアメリカ自身も決定事項に縛られるが、2国間交渉だと、アメリカの圧倒的な強さを背景に、相手国は縛られるがアメリカは縛られない、という偏った取り決めができ、面倒な義務を負わなくてよい。
リンク [13]

■まとめ
これまでの状況を分析すると以下のような構図が浮かび上がります。
WTO体制及びドーハ開発ラウンドの降着状態から、米国は、WTOに見切りをつけました。
世界的には、2000年頃からWTOに替わる小国を中心としたFTA、EPAが発展に向かい始めました。
一方、アジア圏では、ルックイースト政策にみられるような米国不要の政策が取られています。
このような状況下において、米国は、WTOよりも自国に有利に働くFTA、EPAに舵を切ました。その中で、TPPの前身であるP4に相乗りし、徐々にその中で体制を構築。その後のTPP協定では、アジア経済ブロック圏においても優位な立場を維持できる一石二鳥の戦略をとったと考えられます。

今回は、戦後の貿易自由化交渉・協定について調べてきましたが、次回以降は、世界に存在する様々なブロック経済について扱いたいと思います。ご期待下さい。

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