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『実現論:序』企業を共同体化し、統合機関を交代担当制にする

前回のエントリーでは、経済のリセット後、新勢力がまず打ち出すべき政策を紹介しました。
 
『実現論:序』国家紙幣によるゼロ成長の経済運営 [1]
①中央銀行の廃止と国家紙幣の発行
②循環型社会へ向けてゼロ成長路線への転換
③今後の社会に必要な産業への大型助成
④税収の見直し
 
リセット後の混乱期の下、共認社会を実現するためにどのように企業を共同体化し、社会統合機関をどのように構築していけば良いのか、今回はその中身に迫ります。

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画像はコチラ [2]よりお借りしました

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【企業の共同体化と統合機関の交代担当制】
順序としては中央銀行廃止の次となるが、共認社会を実現する上で、最も重要になるのは、私権企業の共同体化と、社会統合を担う統合機関の担当の交代担当制である。
企業を共同体に転換させるのは、さほど難しいことではない。
まず第一に、資本金(簿価)の2倍程度の国家紙幣を各企業に支給し、各企業がそれを各社員に新株として支給する(その場合、社長etcへの配給上限を、社員平均の10倍以下とする)。こうすれば、社員が株主総会の議決権の過半を握ることができる。


今までの企業と共同体企業とはどのように違うのでしょうか?
共同体企業とは、社員自らの手で自分達の生きる場(会社)を作りあげていく企業のことを言い、特徴としては、
①共認形成の場がある
②社員の充足を第一に考える(自分達が充足していないと第三者も充足させられない)
③みんなの活力を考える
といったことが挙げられます。
 
従って、現在一般の企業に見られるように少数の株主(投資家)が議決権の過半を握る状態では、社員自ら場を作っていく共同体企業を実現することは困難です。社員自らの手で自分達の会社を作るには、社員が株の過半を握ることが必要です。そのためには、資本金の2倍程度の国家紙幣を新株として社員に支給し、既存の株の比率を1/3以下にします。次に、社長etc一部の経営陣に議決権が集中しないよう、(経営陣と社員数を1:30程度と仮定すると)、社長etcへの配給上限を社員平均の10倍以下とすることが必要となります。

次に、会社のあらゆる情報を社内ネットに公開すると共に、その社内ネットを会社の共認形成の中枢機構とする必要がある。
類グループの場合、この社内ネットが最大の共認形成の場になっているだけではなく、最大の活力生成の場にもなっている。企業の共同体化の鍵は、社内ネットの活性化にかかっているといっても過言ではない。
従って、社内ネットを活性化させるために、(少なくとも過渡期は)「毎日1時間は社内ネットを読む時間を確保すること」etcを法制化した方がよいかもしれない。


社内ネットを介して、日常の出来事から経営情報までも全社員が共有することで共認形成し、それが社員の活力を高め、組織を強くしていきます。
 
私の会社の社内ネット活性化事例♪〜充足が全てのベース〜 [3]
現在、多くの企業で導入されている社内ネット。「イマイチ盛り上がりに欠ける」「業務連絡だけになっている」という声も多く聞きます。うちの会社も、以前はそうだったんです。しかし、最近は、社内ネットが会社の中枢機構となっています。どのようにして社内ネットを上手く活用できるようになったのか、ポイントは以下の3点です。
①指摘(ダメだし・否定)ではなく、充足・感謝(肯定視)がベース
②女からの充足発信。
③脱業務連絡。
 
 
一方で、社会統合機関は、どのように構築していけば良いのでしょうか?

次に、なんとしても断行する必要があるのは、社会統合の交代担当制である。
なぜそれが不可欠になるのか?
本来、統合機関は、個々の集団を超えた、超集団的な地平に存在するものである。
ところが省庁や大学やマスコミという組織は、単なる一集団に過ぎない。しかし、集団というものは、必ず自集団の利益第一に収束するものであって、集団を超えた社会統合を担う機関が、単なる集団に過ぎないようでは話にならない。集団を超えた社会統合機関には、それにふさわしい体制が必要である。


なぜ集団は、自集団の利益第一に収束してしまうのでしょうか?
【実現論図解】及びその補足 『単一集団には社会を統合する資格はない。』 [4]より引用
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そもそも集団は(生物を含めて)、生存のため=飯を食っていくために、登場した存在様式である。従って必然的に自分達に有利な方向で行動することになる。また同様に、集団は構成員を防衛するために存在する。従って集団は(家族であれ、企業であれ、官僚であれ)必ず身内贔屓となる。これらは集団が持つ原理的性質から生じる、必然的結果であり、「開かれた集団」等のお題目や倫理強化などの観念論で解決する問題ではない。つまり、そもそも原理的に、単一集団には社会を統合する資格がないのである。
従って、万人が所属する社会空間の統合のためには、集団に代わる新たな社会システムが必要となる。
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現在、社会統合の課題を担っているのは官僚(司法を含む)をはじめ学者やマスコミだが、彼らはエリート意識に凝り固まった私権主義者であるだけではなく、信じられないくらい無能化しているので、民間企業の人材と入れ替えた方が、はるかに上手くいくだろう。


エリートが無能化しているわかりやすい事例を紹介します。
地震・原発を契機に人々の意識はどう変わるか?【3】:試験エリートの無能とえげつなさ [5]より引用
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浜岡原発運転差し止め裁判の静岡地裁での証人反対尋問(2007年2月)において驚くような発言を数々放言していました。
◎原告;「非常用ディーゼル発電機2台が同時に動かないという事態は想定していないのか?」
 
 斑目;「想定しておりません。」「非常用ディーゼルが2台動かなくても、通常運転中だったら何も起きません。・・・そのほかにあれも起こる、これも起こると、仮定の上に何個も重ねて、初めて大事故に至るわけです。だからそういうときに、非常用ディーゼルの破断も考えましょう、こう考えましょうと言っていると、設計ができなくなっちゃうんですよ。つまり何でもかんでも、これも可能性がある、これはちょっと可能性がある、そういうものを全部組み合わせていったら、ものなんて絶対造れません。だからどっかでは割り切るんです。」
※斑目氏は、現役の東大原子力工学の教授で内閣府原子力安全委員会の委員長です。その人が「あれもこれもは出来ない」と言っていますが、誰もそこまで言っているのではなく、電源の設計に不安は無いのかを問うているだけです。そうした声に対して「あれもこれもはできない」とスリカエて自己正当化しているだけです。
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世界的事件を起こしたのにも関らず、上記のように自己正当化に終始しているのが、エリート学者・官僚の現実の姿なのです。おそらく民間の人間の方がずっとまともな回答をするでしょう。

しかし、民間から出向した者が、そのまま居ついたのでは、官僚体質に染まり、同じように無能化してしまう。従って、統合3年・民間3年ぐらいで交代する参勤交代制が良いだろう。民間3年後、優秀なら統合機関に再任される。つまり、連続3年以上の統合機関勤務を禁じるわけである。
そうすれば、親方日の丸の官僚主義に陥ることもなくなり、民間≒庶民の暮らしぶりも分かっているので、統合機関に出向しても現在より遥かにましな案を生み出せるだろう。
とりあえず、毎年2割ぐらいずつ上から順に入れ替えていけば、5年で一巡し、それ以降は、旧勢力1:新勢力2くらいの比率で統合課題を担ってゆくことになる。


官僚体質とは、例えば「縦割り」、「前例のないことはやらない」、「書類主義」などがあります。彼らは、法に守られているため(倒産やクビがないので)、評価圧力が働かず、長年そういった場で働いていると官僚体質は染み付いてきます。みなさんの中にも、官僚体質に触れた経験はありませんか? 私は、彼らが要求する書類の修正をしに行った際、修正の確認をする前に確認済の印鑑が押されており驚いた経験があります。つまり、彼らにとって書類の中身など全く関係なく、書類さえ揃っていれば良いのです。

この交代担当制を実現するためには、各省庁や県・市・町庁や、各大学や各マスコミに常駐して担当者を選考する人事委員会が決定的な役割を果たすことになる。
おそらく、人事委員だけでも、十万人は必要になるだろう。それは当然、これから共認社会を実現してゆく新勢力に結集した人々によって担われることになる。


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人事委員が、民間企業から官僚になる候補者を適材適所に配属させていくので、共認社会を実現するのに重要な位置づけとなります。そのため、人事委員は、各民間企業から選りすぐりの有望な人材(企業経営を担ってきた長老)を選定し構成する必要があります。
 
ここまでを図解にまとめておきます。

[6]

※この交代制に対しては、分業による効率化という反論が予想される。しかし、分業による効率化が有効なのはせいぜい5年くらいで、後は惰性でやっているような者が多い。従って、優秀な者なら3年勤務1回でほぼ吸収できるし、特に優秀でなくても3年勤務を2回やれば習熟できる。
これは、かつての「百姓」という言葉が示しているように、もともと人間の能力は、3つも4つもの職能をこなせるように出来ているからである。従って、何より効率を重視する民間企業でも、多能工の育成や、職能転換を伴う配置転換はざらに行われている。
更に言えば、そもそもここまで無能化した統合機関は、はじめから分業効率論の成立範囲外にある。

  

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分業化よりも交代制の方が優れていることは外圧状況と比較すればより鮮明に解ります。これまでは時代により外圧状況が異なるため、その外圧に適応する最善の体制が考えられてきました。
 
農業生産(=百姓の)時代には、常に移り変わる不定型な自然を相手にするため、気象予測、土壌や工具や作物の知識、それらを活かす実践方法など、様々な職能が必要でした。次に、市場圧力の働く工業生産(≒大量生産)の時代には、定型化された作業を分業し、機械の歯車のごとく生産することが効率的とされました。これが分業効率論の根っこにあると思われます。
 
そして、現代=同類圧力の働く意識生産の時代では、不定型に移り変わる相手〜人々の期待に応えていくことが求められます。相手の期待に応えていくには、自ずと視野を広げ、多様な職能を獲得していくことが必要です。

また、諸悪の根源である受験制度も抜本的に改める必要がある。
最も深刻なのは中学受験で、現在の難関中学は、小2〜3年生の頃から勉強漬けの生活を送らなければ合格できなくなってしまっている。
その結果、エリート意識ばかり強く、そのくせ勉強しか出来ない無能な子供たちが大量生産されてゆく。統合階級の無能化は、既にこの年令から始まっている。
従って、とりあえず応急措置として、旧帝大や医学部の入試では、難関中学出身者の偏差値を10ポイント下げるとか、あるいはクラブ活動etc五教科以外の内申点を基準にして、内申点3:試験点2に切り換えるetcの策が必要だろう。


相手の期待に応えていくことが優先される意識生産の時代では、自分のことしか考えられない人は無能となります。現在の受験制度では、自分の勉強だけ、つまり自分のことしか考えられない子供が増えていきます。この帰結が無能なエリート官僚を生み出したのです。
 
一方、皆のことを考える有能な人間になるためには、幼少期から周りの仲間と課題を共有したり、充足体験を積んでいくことで、社会で役立つ力を獲得していくことが必要です。次回は、ここまで統合機関を無能化させた原因の一つである教育制度の抜本的解決策を紹介したいと思います

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