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北朝鮮、これからどうなる?② 〜国際関係−瀬戸際外交〜

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北朝鮮、これからどうなる?① 〜傀儡政権として出発した金日成が、権力を掌握していく過程〜 [1]
に引き続き、今回は、国内の政敵を粛清・駆逐して権力を掌握した金日成が、どのようにしてソ連、中国、アメリカといった大国の間で立ち回ったのか、国際関係に焦点を当てていきます。
北朝鮮はロシア(ソ連)、中国、アメリカという大国との間で経済協力や様々な便宜を引き出してきました。その特徴は「瀬戸際外交」と言われています。アメリカには「ゆすりたかり外交」と呼ばれているようです。
こうした、外交の切っ掛け(発端?)となった事件が「プエブロ号」事件です。
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「プエブロ号」事件にほん民族解放戦線^o^ [2]より

1968年1月、北朝鮮はアメリカの情報船「プエブロ号」を拿捕し、乗員82人を拘束した。
北朝鮮は、領海侵犯したことをアメリカが謝罪しない限り、乗員は解放しない…と警告。
当時のジョンソン大統領は「公海にいた(領海侵犯などしていない)」と反論。
アメリカは北朝鮮への報復爆撃のため航空母艦3隻と200機以上の戦闘機を出撃させた。
軍事同盟を結ぶ北朝鮮がアメリカと戦争になれば、ソ連も巻き込まれる恐れがある。その状況に、ソ連が震撼し、当時のソ連の首相コスイギンは、ジョンソン大統領に直接書簡を送った。
>この問題を解決する為には、軽率な行動を取らないことです。(コスイギン)
書簡の2日後、ジョンソン大統領は北朝鮮に協議を呼びかけるという方針に転換した。
一方、金日成は次のような書簡をモスクワに送っている。
>我々は、侵略者に対し、反撃を加える準備をしなくてはなりません。
>戦争が起きれば、ソビエト政府は我々と共にアメリカ帝国主義と戦うと確信しています。
>その場合、総力を動員して我々に軍事援助を与えてくれることを望みます。

ソ連のブレジネフ書記長が金日成の説得に乗り出した。金日成をモスクワに呼ぶが、彼は国を離れられないとソ連訪問を拒否。
そして板門店で、北朝鮮とアメリカとの直接交渉が始まる。
11ヶ月に及ぶ長期交渉の間、北朝鮮側は「謝罪しなければ乗員は解放しない」を繰り返す。
そして、ついにアメリカ側が譲歩。北朝鮮が用意した謝罪文書に形だけサインした。おかげで、乗員82人は無事解放されたが、プエブロ号の返還は拒否された。
その際のフィルムも、「帝国アメリカが北朝鮮に膝を屈した」として、金日成のプロパガンダに利用された。
※プエブロ号は北朝鮮に展示され、これも現在に至るまでプロパガンダに利用されている。
この「プエブロ号事件」の外交的勝利に味を占めた北朝鮮は、その後も強硬主張を繰り返すことになる。“瀬戸際外交”はここから始まった。

どうでしょうか?
ソ連を後ろ盾に使いながらアメリカとうまく渡り合っています。これに味をしめた北朝鮮は、ソ連崩壊後、最近では米中関係を利用し、中国を後ろ盾にアメリカに絞って様々な援助を引き出してきたようです。
そして、核開発やミサイル配備などの軍事強化を行い、極東の脅威となることで、アメリカの軍産複合体に対して、予算獲得、日本への兵器輸出などの協力してきました。アメリカに対して「敵国様」を演じることで、アメリカの援助を引き出してきたという意見もネット上でよく見かけます。
そして、アメリカ・日本との対立を演じることを「外圧」としてうまく国内の統合=軍による統合に利用してきました
自らの国をわざわざ戦争の危険にさらしながら、その緊張感の中で援助も引き出し、国内統合も行うというのは、異常な国と言えると思います。
 
なぜ、北朝鮮はこんな外交方針をとることが出来るのか?
 
田中 宇さんの記事にこんな行があります。
北朝鮮:金正日のしたたかな外交 2000年6月26日 [3]より

 北朝鮮のような独裁国の指導者は、多くの国民が飢えに苦しんでも、あまり気にしなくてもよい。民主主義国と違い、国民からの人気が落ちても政治生命が終わらないし、政府以外の報道機関がないので、多くの国民は飢餓が政府の責任だと思っていない。だから、金正日は一般国民のことは気にせず、政権を維持するための軍や党の組織だけを大事にし、クーデターなどを防げばよかった。(北朝鮮の軍隊は100万人の兵士を抱え、国民一人当たりの軍事支出は世界最高)

事実、ソ連崩壊によって、ソ連の援助が途切れたときの北朝鮮は、

1980年代以降、ソビエト連邦など共産圏からの援助が激減しエネルギー不足となったのをきっかけに、国内の食糧事情が極度に悪化し、数百万人以上の国民が餓死したと言われる。北朝鮮政府は、食糧危機の原因を水害や旱害などの天災としているが、それは主たる原因ではない。真の原因は、エネルギー不足により肥料生産が減り、肥料や食料の運搬が困難になったことと、各地域の天候や現状は無視して、首都から各地方へ画一的な主体農法を押しつけた、北朝鮮政府の非現実的な食糧生産政策が原因とされる。また、生産された食糧のかなりの部分を、各地の労働党幹部が確保し、一般国民へ食糧が届かないことも、餓死の大きな原因とされる

ウィキペディアより [4]
そんな中での金正日のやったことは
金正日の「苦難の行軍」と「言論統制」 [5]より

一九九四年より一九九九年の食糧難時代を【苦難の行軍】時代という。
苦難の行軍とは「食べ物が無くても、苦難に耐えろ」ということである。
北朝鮮人民の殆どが栄養失調であったという当時、金正日は莫大な国家財政を核開発に投入し一方で父親の墓を作るのに、約九百億円を浪費していた。最も食糧が枯渇した一九九五年に、金成柱の遺体を安置するクムスサン記念宮を建設していたのである。
(中略)
この墓の総工費は「約八億九千万ドル」であったという。
当時の国際価格で「トウモロコシが六百万トン」も買える、莫大な金額であった。
このトウモロコシ六百万トンがあれば約二千三百万人(推定北朝鮮総人口)の北朝鮮人民が、三年間も生き延びられた。だが金正日は人々が飢えに苦しんでいるのを知りながら放置した。
そして僅か約五年間で、約三百万人の北朝鮮人民を餓死させたのである。

kitatyousenn2.jpgクムスサン記念宮
ひどいですね。
つい横道にそれでしまいましたが、北朝鮮の外交の強みは自国民がどうなろうと、何でもやれるところにあるように思います。独裁政権であるが故に、自国民のことはあまり眼中にない。極論すると金一族とその一派の私的国家なのです。
ですから、普通の国家がとれないような外交方針を金正日の一存でとることが出来る。
「核とミサイルを外交交渉の武器に」という新聞記事は多いですが、その本質は、自国民を犠牲にしてもいい=「食糧問題<軍事統合」と言うことです。
つまり、瀬戸際外交とは、自国民を盾にとった外交であるが故、国民の世論が政策決定に重要な意味を持つ国に対して、思い切った外交方針がとれるのだと思います。
(多くの先進国は戦争に踏み切るには国民の世論形成が不可欠なのです。そこを突いた外交戦略とも言えます)
興味深いことに、かつてのソ連や中国と言った一党独裁の政権を持つ国に対しては、すり寄る外交によって、国際世論をかわしている様にも見えます。実は北朝鮮は鉱物資源が豊富なのですがその利権などを中国などに売っているようです。
同じく、国民世論など無視できる可能性のある国に対しては至って低姿勢という国力に見合った外交をしています。
瀬戸際外交について整理すると
① 中国・ロシアの後ろ盾にしつつアメリカに対して「敵国様」を演じる外交
② 自国民を盾にした何でもやれる(言える)私的国家
という2点に集約されそうです。
しかし、そんな北朝鮮外交も別な意味で“瀬戸際”を迎えつつあります。
自国の産業・経済がガタガタで食料問題やエネルギー問題も横たわっている中、他国の援助無しでは厳しい状況にある北朝鮮。
市場経済の崩壊過程で、アメリカの弱体化により、アメリカからの援助は今後、期待は薄い状況です。また、中国とアメリカの力関係=経済的結びつきが進む中で、アメリカとの対立は中国に対しても煙たがられています。よって、対立関係の間で「敵国様」を演じにくい状況にあります。
また、自国経済を立て直そうと市場化を行おうとすれば、情報統制が崩れる。(携帯電話が普及すれば自国の異常さは直ぐに全国民の知るところとなる。)
援助を求めるためか?、近年はお隣の韓国やEU諸国などとも国交を親密にして行こうとしているようですが、その外交方針はよく分からないところです。
そうした中での金正日の死により、国内統合はどうなるのか?外交戦略はどうなるのか?なかなか難しい課題となってきました。
次回は、北朝鮮の現状を詳しく押さえていくことで、北朝鮮どうなる?の仮説を大胆にも予測していきたいと思います。
ご期待下さい。

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