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これからの税制どうする?第4回〜充足発の税制への提案

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こんにちは。 
 
これからの税制どうする?シリーズの最終回です。 
 
第1回〜消費税増税するのなんで? [1]
第2回〜増税反対派=景気回復派? [2]
第3回〜「財政赤字」「不景気」その根本原因は? [3]
  
 
第1回では、増税政策が統合階級らの「自分たちだけは得しよう」という下心で成り立っていることを明らかにし、第2回では増税に反対たり「景気回復が最優先だ」と唱える人たちの思考を紹介しながら、現在の市場縮小という大前提を捨象した机上の経済学の限界を明らかにしてきました。そして第3回では、増税や景気回復という現象が、物的豊かさによる市場縮小が根本原因であること、そのため「お金儲け」がもはや人々の活力源になっていない事実を明らかにしてきました。
     
「お金儲けでは活力が出ない」ということは、すでにそれに代わる活力源が登場しているということを示しており、これからはその新しい活力源を基盤にした政策や行動方針を具体化していくことが求められています。 
  
最終回となる今回は、上記のように市場が縮小過程に突入しているという状況認識や今の人々の活力源というアプローチから、これからの税制のかたちを見ていきたいと思います。    
 
   
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ところで、そもそも税金とは何でしょう。

●税の本質は『社会(集団)統合負担の適正配分の仕組み』
国家という存在が成立して以降、一貫して、徴税制度はあらゆる国家社会に例外なく存在し続けてきた。歴史的には、中国や日本の租・庸・調(米・労役・絹)や江戸時代の年貢のように、様々な税の形態が存在した。これが、何にでも使える金銭に統一され、一定のルールで国民から徴収されるようになったのが今のシステムだ。
 
なんであれ、集団あるいは社会は統合されなければならない。そして統合するためには、物資であれ労働であれ金銭であれ、相応のコストが不可欠になる。従って税の本質とは、顔が見える範囲を超えて巨大化した集団・社会において、絶対的に必要となる統合のための負担を、その成員の間で適正に分担するシステムだと言える。
 
こちら [4]より引用)
 

 
つまり社会(集団)の統合において、その構成員が社会(集団)の存続のために適正に担っていく役割だと言えます。その通例が「お金」になり、それを拠出するとで、構成員はその役割を担っていることになっています。そういう意味で税制とは、自分たちの暮らしの基盤となっている制度やインフラなど、統合に必要な諸機能を運営していくために不可欠なシステムと言えます。
 
だけども「税金」と聞けば、なにやら「搾取されるもの」のようなマイナスイメージが付きまといます。それは、実際にこれまでの私権時代3,000年を通じて行われてきた搾取や強制としての性格がイメージとして刻印されているからです。
 
このマイナスイメージは、私権獲得(金儲け)が人々の最大の活力源であった裏返しとしても見ることができます。しかし時代は今、大きな転換期に突入しており、第3回でも紹介したように人々の活力源は「お金儲け」にはなく、「人々の期待に応え充足すること=共認充足」に軸足は移り、私権原理から共認原理へと社会の最基底部が大きく変わっていく渦中にあります。その共認原理の社会とは「共認充足を活力源とし、誰もが自ら当事者として共認を形成し、社会統合を担う社会」です。
 

自らが当事者となって主体的に行う活動に対して、必要なお金を使ったり身体を動かすことを“苦”だと思う人間はいない。だから、誰もが社会の当事者となる共認原理の社会が本当に実現されたなら、私権時代に刻印された税のマイナス面は払拭される筈だ。そこでは、自ら主体的に共認形成に参画し、そこで必要と認められたことに、喜んで必要な税を拠出するようなシステムに変貌していくだろう。
 
こちら [4]より引用)

 
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例えば東日本大震災が起こった時、多くの国民が「自分に何か出来ることはないか」と模索していました。そして事実として皆がお金を出し合って6,000億円もの義捐金が集まり、また実に多くのボランティアが被災地に向かいました。
この出来事から見えてくるのは、誰もが「何とかしたい」「必要だ」と想うものには、“自ら主体的に参加していく”という実現基盤がすでに私たちの中にあるということです。
 
次代に求められる税制とは、このような実現基盤に根ざしています。そこでの拠出はお金に限らず、社会に必要とされている仕事に誰もが何らかのかたちで担っていくことに置き換えられていくでしょう。そして、社会に必要とされている仕事とは、農業や介護や保育(教育)など誰もが社会に必要だと考えながらも市場ではペイされていない仕事や、直接の統合業務にあたる行政の公務などです。
それを普通の人が、参勤交代のようにある年齢に達するとともに一定期間このような仕事に就き、期間が終わればまたもとの生活に戻っていくという副業形式のイメージです。
 
 

みんなが担えて、みんなの役に立つ仕事って何??
それをどういう分担で担うのがいい??(中略)
●20才までに2年間、農業(主に男子)・保育or介護(主に女子)
●40才までに2年間、行政(女は、保育or介護も可)
●60才までに2年間、教育or司法(女は、保育or介護も可)
●60才以降は、能力や体調に応じて、農業etc
※消防・警察・自衛官など、訓練を要するものは専属?
なんだかすっごく楽しそう♪
 
こちら [7]より引用)

  
 
こんな風に、自ら主体的に充足を伴って社会統合を担っていくことこそ、これらからの税制に相応しいのではないでしょうか。
  
誰もが社会(集団)の統合のために役割を担っていく。これは万人が公務を担うことと同じです。こうした仕事を通じて、そこに住まう人たちの期待に応えていく中で充足していく。お金ではなく役割を拠出していく。
 
このような税制が創り出せれば、現在のように金銭で計上される歳入・歳出は次第に小さくなっていくことも予想できますし、今の日本のような取り返しの付かない程膨大な国の借金の問題もなくなるでしょう。そして何よりも高齢者問題も食料問題も育児不安や教育問題といった重要な問題も、そこに活力と充足が注入されて改善していくことができます。
 
次に、これらをどのように具体化していくか、という課題があります。引き続き、この追求を行っていきますが、それは税制に限らず、社会のフレームそのものを追求していくことに他なりません。そのためこの続きは、別の新しいシリーズで触れていきたいと考えています。

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