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お金はどこから生まれてきたのか?〜コラム☆ヤップ島の大きな石のお金♪

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これ、皆さんご存知ですか?東京の日比谷公園を有楽町側から入り池の端沿いに少し歩くと直径1メートルほどの丸い石の固まりがさりげなく置かれています 実はこれは石貨と呼ばれている貨幣らしきものです これはまさに原始人の漫画『はじめ人間ギャートルズ』に出てくるお金♪実際にはこんな大きいお金はありえないだろうって思っていたのに、実在していたことに、中年世代の方はびっくりされていました〜☆
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さて、日本では石貨なんて使われていないのに、“どこのお金〜???”って思われると思うのですが、遠く南に3700キロ離れたミクロネシア諸島のヤップ島から運ばれてきたものなんです♪
ヤップ島では、この石貨、現在でもUSドルと併用して使われています^^
市場では、USドルを使用し、結婚のときの結納・いざこざのときの仲裁・トラブル時の謝罪の証・土地の売買などに石貨を使っているようです。
 
石貨は、なんと500km離れたパラオからカヌーで1週間ぐらいかけてヤップ島まで運び込まれていました。現在では、石貨の数は12000個にのぼるそうです。
ヤップにはとある伝説があります☆「昔、ヤップの探検隊が海上で方向を見失って偶然パラオにたどり着き石灰岩を見つけました。隊長は、この石を魚の形(ストーンマネーの現地語『ライ』は『鯨』と同音異義語なのだそうです!!)に切り出すように命じたのですが、あまりにも大きく重すぎて運ぶのが大変だったのか、彼らは石をもっと小さいサイズの満月の形に切り出し、棒を差し込んで肩にかつげるように真ん中に穴をあけました。」
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このような背景があって丸く、そして穴の開いた形になっていったのですね(^O^)
さて、この大きな石で作られた石貨はどのように生まれたのでしょうか〜?今回はその謎に迫ってみたいと思います♪


●石貨のはじまり
 
 そもそも石の価値は、大きさで決まっているのでしょうか?
石貨の価値はパラオからヤップまで運んでくるまでのストーリーで決められています。例えば、航海の途中で嵐にあって、多くの犠牲を払って運んできた時は、その苦労の分だけ価値は高くなります。逆にそういう苦難を経て、無事運んできた場合も価値が高くなります。その価値は酋長が決めます。
では、なぜ遠く離れたパラオから石を運ぶようになったのでしょうか?
おそらく、南の島ヤップは自然豊かな小さな島で、周りが海のため、外部からの侵略がほとんどありません。つまり、外圧不在の状態です(あるとしたら台風くらい)。そこで、大事な航海技術を受け継ぐためにも、自ら外圧を作り、パラオに石貨を取りに行くのを男の証としたのではないでしょうか♪
だから、石そのものに価値があるのではなく、航海をしてきたことに価値があるのでしょう。

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●石貨とは?
 
 では、改めて、石貨とは一体何なのでしょうか?
 石貨は島(部族)の共認強化の為に使用されています。というのも、例えば、結婚のときの結納・いざこざのときの仲裁・トラブル時の謝罪の証・土地の売買などの時に受け渡されるのですが、その時に祖先がいかにして石貨を手にしたかという物語を一緒に語るのです。そうすることによって、個人間の繋がりというよりは、部族の歴史も含めた繋がりを再認識させることになるのです☆日本では「桃太郎」や「一寸法師」などの御伽噺が子供から大人まで親しまれています。その中には「金太郎」のように実在する人物を元に作られたものもあり、ヤップのstoryはこれに近いかもしれません。それは伝えた相手へのエール(例えば、あなたも金太郎のように頑張りなさい)も含まれていたでしょう。こうした祖先の逸話が部族の結束を強めることに役立ったと考えています。
よって、交換ツール目的ではないため、流動性は低いです。なので、普通の貨幣のように人から人へと渡るものではなく、屋外に据えられた状態で、所有者が変わってもその場所は変わりません★
 
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貨幣経済しか知らない現代人がストーンマネーと呼び、石貨を貨幣として認識しましたが、本当のところは、歌や民話のように語り継がれて部族間の結束力を高めるツールなのです。

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