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天皇という力の正体とは?(9)~終戦直後の象徴天皇と米国支配層

太平洋戦争に敗北し、天皇は戦前の“天皇財閥”のトップから「日本国の象徴」にその存在を変えた。私たちは現在、この「象徴=シンボル」という言葉の通り、何の力の実体も持たないけれど重要な存在という認識を持って天皇を見ている。

しかし、少なくとも戦後しばらくの間は、天皇は戦後の日本づくりに大きな影響を及ぼしていたようだ。
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■予め天皇制の存続を決めていた米国支配層
戦勝国である米国は、終戦の数ヶ月前から既に、戦後日本で天皇制を残すことを決定していた。

 天皇の処遇をめぐっては、戦争が終わる前からアメリカは周到に検討していた。その舞台となったのは、IRPと略称される「太平洋問題調査会(The Institute of Pacific Relatins)という団体である。IRPはロックフェラー財団やフォード財団といった、アメリカの経済界によって設立された研究機関である。そこで日本や中国の政治状況などが詳細に検討されていた。
(中略)そこでは、早くから天皇の免責がうたわれていた。つまり、天皇を戦犯として訴追しないことが決められていたのである。IRPに所属する、左翼的立場から日本の支配階級を批判するトーマス・A・ビッソンや、E・H・ノーマンといった論者らも、GHQによって天皇制を廃止することは、天皇を「殉教者」に仕立て上げ、反連合国感情を増幅させる恐れがあると進言していたのである。

IRPで決まった方針が政府内で文書化され、マッカーサーに伝達され、GHQが実行した。米国の重要な方針を決めているのは政治家ではなく財界の支配階級=金貸しであった。米国内には天皇を戦犯として有罪にせよという世論も強かったが、金貸したちが存続を決めたのである。そこには日本支配のための周到な計算があったに違いない。あるいは何らかの取引があったとも考えられる。

■米軍基地の駐留を決めた天皇
米軍基地の辺野移設に関して沖縄県と自民党の対立が深まっている。ネット右翼たちは概ね自民党寄りだが、そもそも、日本への米軍駐留を判断したのが昭和天皇だったということも無関係ではないかも知れない。

 政治学者、豊下楢彦の『昭和天皇・マッカーサー会見』によると、天皇は敗戦後も引き続き国家元首として、マッカーサー(一八八〇―一九六四)およびその後任のリッジウェイ(一八九五―一九九三)、さらに米国務省政策顧問ダレス(一八八八―一九五九)に対して、安全保障上の会談を行なっていたのである。豊下氏はこれを「天皇外交」と呼んでいる。

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天皇はアメリカの代表であるマッカーサー司令官、および日本側の代表である吉田茂首相を飛び越えて、直接、国務省のジョン・フォスター・ダレスに対して「メッセージ」を送っていたことも明らかになっている。
 ことの発端は、アメリカに対して、軍事基地を貸すかどうかの問題である。貸す以外に日本には選択肢はないのだが、アメリカが要求した「日本側からの依頼」によって米軍が駐留するシナリオに対して吉田が反対した。それに怒ったダレスは、「米軍は撤退しても良いが、そうなると日本人はうえ死にするかもしれない。自分は、日本がロシアにつくかアメリカにつくかは日本自体で決定すべきものと思う」(『昭和天皇・マッカーサー会見』一六〇ページ)と突き放した発言をした。
 こうした状況のなか、天皇はダレスに対して「親書」を送り、吉田の発言は日本国民の総意ではないことを述べている。そして昭和二十六年(一九五一)二月の天皇・ダレス会見では、「日本側の要請に基づいて米軍が日本とその周辺に駐留すること」(『昭和天皇・マッカーサー会見』一六七ページ)が相互に確認されたのである。ダレスの要望がそのまま通った形になったのである。
 豊下氏はさらに、当時の状況から、天皇が吉田を「叱責」していた可能性があると述べている。右のような経緯があったあとに、サンフランシスコ講和会議への出席を渋っていた吉田は、天皇への拝謁のあとに態度を急変させ、全権就任に同意したという。

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このとき、天皇は既に憲法上は「象徴」であり、日本国の代表ではなく「一民間人」としてダレスとの会見に臨んだという。一方のダレスも米国国務省の代表としててはなく、「ロックフェラー財団理事長」として来日していたという。つまり、国政的には何の権限もない民間人の会見によって、日本への米軍駐留の筋書きが決められたという。

民主政治において政治家は「お飾り」に過ぎず、背後の金貸しが本当の決定権者であるという金貸し支配の実態を表すような出来事である。そして、このエピソードにおいては、日本の「象徴」に過ぎない筈の天皇がむしろ「あちら側」に近い存在に見えてくる。

現在の天皇家が今もなお、このような隠然たる、しかし極めて強力な影響力を持った存在である可能性は考えられないだろうか。

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