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天皇という力の正体とは?(12)~天皇グループによる日本株式会社は、官僚主導による経済システムを推し進めた~

「戦後の日本の企業の歴史は「企業集団」の歴史である」とする。財閥解体によって、中心を持たない「財閥グループ」が形成され、その頂点に〈天皇家=宮内省〉複合体の「天皇グループ」が君臨した。この天皇グループが牽引する「日本株式会社」は、戦後の高度経済成長を成し遂げた。

ただし、この成長の背後には、アメリカ主導という現実があり、アメリカに従順な官僚・政治家による統制経済体制であった。

 

三菱ビル [1] 三井ビル [2]

 

引き続き、『天皇財閥 皇室による経済支配の構造』から抜粋→転載します。

◆天皇財閥の構造的な変化

戦後の日本企業の歴史は、「企業集団」の歴史である。

企業集団とは、占領軍によって解体された旧財閥系企業の、中心を持たないネットワークである。三井グループや三菱グループといった企業の集まりで、内部に持つ都市銀行を核とする融資系列集団ということもできる。

 

戦後のいわゆる高度経済成長には急速な重化学工業化が進むが、それを金融面でコントロールしたのが都市銀行による融資だった。融資によってグループ内での中心的な役割を果たした銀行が、企業の「系列化」を進めたのである。

 

また、マネタリー(資金上)の系列化に対して、マテリアル(物的)の系列化も歩調を合せた。三菱商事や三井物産といった、企業集団における「総合商社」の果たした役割がそれである。銀行と総合商社、戦後の企業集団の中核を担うふたつの部門はこのようにして形成された。

 

さて戦後の企業集団は、財閥の生まれ変わりである。三井財閥が「三井グループ」に、三菱財閥が「三菱グループ」となった。これらはただの名前の付け替えではなく、構造的な変化を示しているのである。その変化とは、法人が中心となったということである。自然人である財閥家族、創業者一族が経営から離れたにもかかわらず、「三井」や「三菱」といった実体のない名前が、法人として生き続けているのだ。

 

天皇財閥もこれと同じである。

戦後になって皇室財産が凍結され、天皇家が保持していた株式などの資産は大部分が没収された。〈天皇家=宮内省〉複合体を中心とする天皇財閥は経営破綻に陥ったのである。皇室財産である会社の株式などの有価証券はことごとく占領軍によって剥奪され、天皇財閥による企業支配体制は終焉したのである。当然、戦前に支配していた企業に対して、株式を通じての支配はできなくなった。

 

しかし、戦前に天皇財閥の配下だった企業には、現在でも存続している会社が数多く存在する。ある会社はそのままの姿で存続し、ある会社は姿かたちを変えながらも存在しているのである。つまり天皇財閥は「天皇グループ」として、今も行き続けているのた。

 

この旧天皇財閥である「天皇グループ」は、その下部構造に「三井グループ」や「三菱グループ」を含む、ものすごく巨大な企業集団である。言い換えれば、この日本という国そのものが、天皇という「法人」の会社組織である「天皇グループ」なのではないか。それは、「日本株式会社」とも呼ばれたこともある。

歴代首相 [3]

 

◆望まれた「天皇グループ」による経済発展

経済学者、小林英夫らの『日本株式会社の昭和史』という本の中では、「日本株式会社」の起源を、戦前の植民地である満州を経営した革新官僚たちに求めている。革新官僚とは、社会主義的な計画経済を推進した東条英機や星野直樹、岸信介らを指している。

 

彼らが計画した、官僚主導の経済システムである「戦時統制経済」体制が、戦後も行き続けて「日本株式会社」として、日本の高度成長を可能にしたのである。それを論じた代表的な論者は『一九四〇年体制』を著した経済学者、野口悠紀雄や『日本/権力構造の謎』のカレル・ヴァン・ウォルフレンらである。小室直樹も同様に、「日本経済の本質は戦時統制経済である」と述べている。

小室によれば、日本は資本主義であることをやめてしまって、官僚主導の擬資本主義となった。民間部門(Private sector)と公共部門(Public sector)との間の垣根が取り払われてしまった「混合経済」だとしている。戦前には完成しなかった統制経済体制が、戦後になって開花したというのだ。

 

「戦後の統制経済体制」を推し進めたのは、岸信介である。戦後は圧倒的なまでのアメリカの圧力下で、アメリカに対して従順な政治家が日本で権勢を誇ったのだ。

 

前章で、日本とアメリカのトップ会談として、天皇とダレスの会見について述べたが、「実行部隊」としては、アメリカに従順な政治家によって戦後の日本の基本レールが敷かれたのである。

 

それは、ビジネス(財界)に対して親和性のある保守系の政治家で、吉田茂、池田勇人、岸信介、佐藤栄作らである。彼らはアメリカの財界でも支持を得たので首相になったのである。

 

以上

 

 

 

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