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天皇という力の正体とは?(13)~天皇財閥系企業の戦後:日銀や電通もそうだった!~

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今回は、天皇財閥系企業の戦後を見ていきます。

その代表格が、財閥グループ企業集団の要となる銀行を統治する日本銀行。それに加え、マスコミを牛耳る電通が挙げられるとは驚きです。

引き続き、『天皇財閥 皇室による経済支配の構造』から抜粋→転載します。

◆日銀とその支店の戦後

 

「天皇財閥系企業」は、戦後どのような変遷をたどったのだろうか。

 

まず、天皇財閥の筆頭企業である日本銀行は、日本国の中央銀行として、戦後も変わらずに存続している。

(中略)

 『企業集団』の本質は銀行にある。銀行によって同じ企業集団内の企業は結び付けられる。日本銀行は銀行の銀行である中央銀行という性格から、三井グループの銀行や三菱グループの銀行に対して融資する。つまり企業集団と企業集団を結びつける役割を日本銀行は持っているのである。このことは、天皇グループが、三井グループや三菱グループといった企業集団を要素として、さらにその上に君臨するグループであることを如実に実証しているのである。

(中略)

日本銀行の海外支店の役割を果たしていた横浜正金銀行は、敗戦後占領軍の指示により解散となった。しかし、その人材や資産はその後の東京銀行に引き継がれることになった。日本銀行本店のすぐ近く横浜正金銀行の建物が、そのまま「東京銀行」本店として使用された。東京銀行は日本で唯一の外国為替専門銀行として活動したが、平成8年に三菱銀行と合併し、「東京三菱銀行」となった。さらにその後、UFJ銀行と合併し「三菱東京UFJ銀行」となり現在に至っている。

 

戦時中の昭和11年から同18年まで、頭取を務めた大久保利賢は、維新の元勲大久保利通の八男である。大学卒業後一貫して横浜正金銀行に務めた生え抜きである。

(中略)

 

◆普通銀行となった三行の特殊銀行

国策として特別な政府保護のもとに設立された三つの国内特殊銀行である日本興業銀行、日本勧業銀行、北海道拓殖銀行もまた、戦後はそれぞれの道をたどった。

 

戦時中の日本興業銀行は、軍需産業のための設備投資や運転資金供給において、中心的な役割を果たした。(中略)興銀は、みずから国債と同様の扱いを受ける興銀際を発行して資金収集に努め、金融統制を指揮する日本銀行のもとで、軍需産業への融資配分にあたった。

戦後はGHQにより戦争に協力した機関として指定されたが、公明もそのまま存続して普通銀行へと転換した。しかし、短期ではなく長期の信用銀行を目指し、昭和27年に長期信用銀行法に基づく長期信用銀行へ転換した。(その後、富士銀行と第一勧業銀行と共に金融持株会社「みずほホールディングス」を設立)

 

日本勧業銀行は、重工業を出資先とする興銀とは異なり、農業や軽工業を融資先とした。戦後は普通銀行に改組し、昭和46年に第一銀行と合併し、「第一勧業銀行」となる。

 

北海道拓殖銀行は、北海道における興業銀行と勧業銀行の役割を果たした。戦後になって特殊銀行から普通銀行となった。

 

また、戦後に新たに設立され、戦前の特殊銀行の遺伝子を引き継いだ金融機関に、日本長期信用銀行(長銀)がある。長銀は勧銀と北海道拓銀の長期信用部門として昭和27年に設立された。日本の戦後の高度経済成長を支えたが、平成10年に金融機能再生緊急措置法による特別公的管理(国有化)となった。その後、不透明な経緯でリップルウッドら外資投資期間に売却され、「新生銀行」として営業している。

満鉄 [2] 電通 [3]

◆戦後の植民地経営会社の変遷

(前略)

日本の植民地会社のなかで代表的な存在である南満州鉄道(満鉄)もまた配線時に解散して消滅したが、その人的資産を受け継いだ会社がある。それが「株式会社電通」である。

 

日本の戦後国家構造を研究したカレル・ヴァン・ウォルフレンの『日本/権力構造の謎』によると、日本の支配構造は政治家と官僚、財界の三社によって統治されており、それを大衆に伝達するためのメディア機関の代表が電通である。電通は日本の広告業界の三割を占めるガリバー企業であり、特にテレビ業界はほぼ電通の独占状態にある。日本のテレビが権力批判もなく面白くないのは、全て電通が情報統制をしているためである。テレビ業界では視聴率の数字に一喜一憂し、スポンサーである企業はその数字に巨額の金額を払う。しかし、その視聴率はビデオリサーチ社という調査会社一社が発表する数字であり、客観性が全くない。このビデオリサーチ社は、電通の子会社である。

 

そうした電通の中興の祖といえるのが、戦後に社長となった吉田秀雄である。吉田は戦時中の統制会に参画し、上海の特務機関とつながる元憲兵大佐、塚本誠や、満州政府の宣伝機関の指導者の一人森崎実を取締役や関連会社の社長として遇している。ウォルフレンによれば、電通と満鉄の結びつきを以下のように書いている。

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電通の社屋は第二満鉄ビルというニックネームがつけられた。吉田が多くの元満鉄幹部を雇ったからだ。彼は旧満鉄官僚や将校に再教育を施し、電通や新設の民間ラジオ局の職に就けるようにした。

(『日本/権力構造の謎』下巻、285ページ)

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このように、会社としての引継ぎ先ではないが、その人的資産を受け継いだ企業は、目に見えない形で戦前の天皇財閥系企業を引き継いでいるのである。そのもう一つの例がソニーである。

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