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金貸し勢力のスパイの証言(6)~血塗られたソ連情報機関の歴史~

 

ここからは、各国の対外情報機関=スパイの歴史について見ていきます。

ほとんど馴染みのない世界ゆえ、とても興味がそそられます。

ロシア→イギリス→アメリカ→ドイツの順に見ていきます。最後には、予想もつかない展開が待っています。まさに『金貸しの手によってつくられた歴史が「正史」』を目の当たりにするでしょう。

 

まずはソビエト=ロシアのスパイの歴史からです。

 

「伝説の秘密諜報員 べラスコ」(高橋五郎著) [1]を基に転載紹介

 

KGB [2] スターリン [3] レーニン [4]

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◆血塗られたソ連情報機関の歴史

 

国家機関としての対外情報機関が設置されたのは、世界的には約百年前だといわれる。しかし広義に言うスパイ情報活動の始まりとなれば、ギリシャ・ローマ帝国の時代にまでさかのぼる。いわゆる王様の横に控える“シークレット・サービス”などもスパイの範囲に入るだろうからだ。

 

ドイツの場合は1800年代で、ロシアが1880年、英国が1900年代で、米国は1947年に中央情報局(CIA)を誕生させた。その後機構改革や組織再編を繰り返して、各国のそれぞれが今日に至っている。先進国の公的対外スパイ活動暦はまだ百年前後なのだ。そして二十世紀は国家の組織的スパイがいっせいに活動を開始した世紀だった。では、ここで各国の対外情報機関の軌跡と特徴をまず、ソ連、英、米、そしてドイツの順でざっと眺めてみよう。

ロシア帝国ニコライ2世は、1880年に秘密警察アフラナを設けた。目的は共産党の革命計画を取り締まるためだ。ユダヤ系ロシア人革命家レーニンは、アフラナに追われてスイスに亡命している。共産党地方組織の執行委員の大半が隠れアフラナ・メンバーだった。皇帝のスパイ組織アフラナは、革命分子の芽を次々と摘み取って投獄又は殺害した。第一次世界大戦に連合国の一翼を担って戦ったロシアの損害が大きすぎたことが国民の不満を招き、その不満を利用した共産革命勢力がスパイ世界をいっそう成熟させた。

 

1917年、ドイツ帝国陸軍参謀本部の特別封印列車でロシアに送り込まれたウラジミール・イリイチ・レーニン(1870~1924)は、ロシア革命を成功させ、今度は自身がいわば皇帝のつもりで君臨、ユダヤ系ポーランド人ジェルジンスキーを管理人にして内務人民委員部(NKVD)を設けアフラナ機関同様に活用した。革命政権に楯突く敵をつぶすためには、NKVDは効果的だった。組織をさらに強化して全ロシア非常委員会を1917年に創設、これがソ連崩壊までのKGBの原型でベーチェーカーと呼ばれた情報機関だ。機関員は礼状なしの逮捕、即決裁判、死刑執行の権限を持ち、その特権をいかんなく発揮した。恐怖の赤色テロルとも呼ばれ、市民数十万人が簡単に処刑された。

 

1921年、ベーチェーカーは国家政治保安部(GPU)と改称、密告者が街に溢れた。1923年、ソ連邦憲法制定を機に周辺共和国をも支配下に置く合同国家政治保安部(OGPU)に改組した。1924年、ユダヤ系グルジア人ヨシフ・スターリン(1878~1953)のもとでさらに拡大を続けた。数年間で数百万人の農民餓死者を出したスターリンの経済音痴ぶりを非難する国民の声を、恐怖の情報機関OGPUが沈黙させた。

 

国際共産党執行委員会(コミンテルン)もその下部組織も皆、OGPUの元で対外情報活動を続けた。ロシア革命成功の甘い香り(スペイン体制派はこの香りを「毒」と呼んだ)が世界のユダヤ系インテリ層を通して賛美され、その夢に酔った英国名門大学生らのなかの一人には、ユダヤ系英国人キム・フィルビーも混じっていた。ケンブリッジ、オックスフォード両大学に通う上流階級の子息達は、ユダヤ系ドイツ人マルクスとレーニンの思想に魂を奪われた。学術文化を通じた対外情報工作のリクルート活動は成功をおさめる。

 

1953年にスターリン首相が死去するまでには、国家保安監理本部(UGB)が新規に加わり、ソ連邦の内外情報機関は活発肥大化の道をたどる。

 

1938年、ユダヤ系のこれまたグルジア人べりアがそれまでの情報機関を分割統合して、国家人民保安部(NKGB)を誕生させた。国内治安、対情報工作、対地下工作、対ゲリラ対策、国境警備と収容所管理などを専業にした。第二次大戦後、それまでのNKGBは国家保安局(MGB)に、そしてNKDVは内務省(MVD)に改称した。スターリンはMGBの対外情報工作部門を、そしてさらに軍部の情報管理本部(GRU)を、それぞれ別扱いにしながら自在に操作した。1954年にラヴレンチー・べりア(1899~1953)が国家保安省(KGB)にそれらを再編統合する。その後、1990年のソ連邦崩壊でKGBは連邦保安官(FSB)に改称、そして現在も世界最大の超情報機関として君臨している。

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