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世界を操るグローバリズム-13~ロシア革命はユダヤ人を解放したユダヤ人の革命だった~

 

一次大戦日本 [1]トロツキー [2]

今回紹介する記事は、日本の第一次世界大戦参戦の背景とその間起こったロシア革命について。

 

日本の第一次世界大戦への参戦は、同盟を結んでいたイギリスからの執拗な要請から止む無く承諾したものとのこと。

本文には書いていませんが、これは裏には金貸しの存在があると思われます。日本銀行開業が1882年、その12年後の1894年に日清戦争、そして10年ピッチで1904年:日露戦争、1914年第一次世界大戦と中央銀行が国家に戦費を貸し付けていくという金貸しお決まりの戦略の一貫と見ています。

 

ロシア革命も金貸しが深く影響しており、正史は、トロツキーを筆頭にアメリカにいるユダヤ人主導による革命とのことですが、資金はユダヤ系の金貸しがバックアップしているとのこと。

今後記事にしていきますが、ピューリタン革命以降の革命や戦争のほとんどは、金貸し勢力が仕組んだもの。

誰が利益を得たのか?を軸に見ていくと、本当の歴史が見えてくる。

以下、『世界を操るグローバリズムの洗脳を解く(馬渕睦夫著) [3]

からの紹介です。

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■イギリスの要請で日本もやむなく第一次世界大戦に参戦

話を第一次世界大戦に戻します。

第一次世界大戦には日本も巻き込まれました。日本には戦争をする理由はありませんでしたが、日英同盟を結んでいたイギリスから頼まれたため、小規模な戦闘には加わりました。

 

教科書では、日英同盟を理由として日本が積極的に第一次世界大戦に参戦したかのように書かれています。混乱のどさくさに紛れて参戦し、ドイツの租借地である青島と山東省の権益、ドイツ領南洋諸島を奪ったかのような書き方です。

 

事実は全く逆です。イギリスが参戦を要請してきたのに対して、日本としては関わりのないヨーロッパ地域のことなのでずっと断り続けていました。それでも「参加してほしい」と強く頼まれたために、日英同盟の信義を守って参加したのです。

 

山東省のドイツの権益と南洋諸島のドイツの権益を日本が引き受けることになったのは、参戦する前からイギリスと話し合っていた条件であり、どさくさに紛れて日本が奪い取った権益ではありません。

 

ご存知の方もいると思いますが、その後イギリスは地中海にまで日本の海軍を派遣するように要請してきました。この要請も断り続けていましたが、日本の客船がドイツ潜水艦の攻撃で沈没したこともあって、最終的には止むを得ず艦隊を出すことになりました。

 

日本海軍は、1917年3月に駆逐艦8隻を派遣。6月、マルタ島の基地に到着。788隻もの連合国側の輸送船、病院船を護送し、兵員70万人を輸送しました。最大派遣時には17隻に達しました。その間一隻が魚雷攻撃を受け大破し、艦長ほか59人の犠牲を出しました。

 

とはいえ、日本が積極的に関わったことは皆無で、イギリスに頼まれたために小規模な戦闘に参加したのが、日本にとっての第一次世界大戦です。

 

■ロシア革命はユダヤ人を解放したユダヤ人の革命だった

20世紀の歴史を総括し、21世紀の歴史を考えるためには、ロシア革命について正しく知る必要があります。

日本人が教えられてきたロシア革命は、人民による革命です。ニコライ2世の圧制に苦しめられていたロシアの人民が、反旗を翻して帝政を倒したと習ったのではないでしょうか。

 

しかし、実際のロシア革命は、ユダヤ人たちが起こした革命です。ロシア革命の指導者、或いは革命政府の上層部の約8割はユダヤ人でした。トロツキーはユダヤ人で、レーニンも4分の1はユダヤ人です。ロシア革命は、一言で言えばユダヤ革命です。

 

イギリス人が書いた本(ヒレア・ベロック)には「ジューイック・レボリューション(ユダヤ人の革命)」と明確に書かれています。ヨーロッパの人たちは、ロシア革命がユダヤ人による革命であることをみな知っています。

 

ロシア革命を主導したのはアメリカにいたユダヤ系の人たちです。

トロツキーはアメリカからロシアに戻って革命に参加しています。彼はアメリカのウォールストリートなどで働いていたロシア系ユダヤ人をたくさん連れてロシアに戻りました。

 

なぜロシア人達が蜂起して革命を起こしたのかというと、ユダヤ人がロシア帝国で迫害されていたからです。

ではなぜ、ロシアはユダヤ人を迫害していたのでしょうか。その理由はこうです。

 

18世紀末のポーランド分割の結果、ロシアはポーランドにいた多数のユダヤ人をロシア帝国内に抱えることになりました。

ところが、ユダヤ人はロシアに同化せずに独自の生活様式に固執しました。

また、商才を発揮して無知なロシア農民を搾取したことから、ロシア農民の間にユダヤ商人に対する反感が高まり、それが高じて集団でユダヤ人を襲うようになっていったのです。

 

ロシア帝国はユダヤ人排斥主義をとっており、ポグロムと呼ばれるユダヤ人殺戮を繰り返していました。これにロシア内外のユダヤ人達が立ち向かったのです。ポグロムを行うニコライ2世をユダヤ人が倒したのがロシア革命です。

一般的に用いられている「ロシア革命」という言葉は誤解を生むものであり、「ロシアでのユダヤ革命」と言うのが本来の言い方であるべきです。

 

ロシア革命は第一次世界大戦中に起こりましたが、ドイツが協力して革命家達をロシアに輸送していました。スイスに亡命していたレーニンは、ドイツの封印列車に乗って無事にロシアに入り込んでいます。列車が通過する国々が支援しなければできることではありません。

 

通過する国はみなロシア帝政を弱体化させ、ユダヤ人の革命を成功させることに協力したわけです。ユダヤ金融資本家たちは、長年の敵であるロシアの帝政を倒してユダヤ人による国をつくるために資金を出しました。ロシア革命は成功し、ユダヤ人による国がつくられました。

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