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国際情勢の大変動を見抜く!-11~アメリカ南北戦争でリンカーンを支援したロシア~

 

リンカーン [1]アレクサンドル二世 [2]

今回はアメリカ南北戦争の教科書には載っていない史実について。

南北戦争はアメリカに中央銀行設立を目指すロスチャイルド家等の金貸しが画策した争い。

その時の大統領リンカーンは戦費調達のため、ロスチャイルドからの(金貸し)支援を断って、政府紙幣を発行した。大統領就任後1年のこと。これにはさすがの金貸しも焦った。マスコミを使って徹底批判。ついにはリンカーンを暗殺するに至った。

 

その間、同じく金貸し支配を警戒したロシアのアレクサンドル二世がリンカーンを支援した。

サンフランシスコとニューヨークの港に艦隊を送り込んで徹底交戦。自らも国立の中央銀行を設立し、金貸しに対抗した。

アレクサンドル二世も幾度も暗殺未遂を経験するが、ついに力尽きた。社会主義革命家に暗殺されてしまった。

 

このあとロシアは、ユダヤ人を中心とした社会主義革命に巻き込まれていく。ウィーン会議でユダヤ人解放が謳われたが、一方でユダヤ人迫害もまだまだ続いていた。最大のユダヤ人を抱えていたロシア。そこに金貸しが社会主義運動を持ち込んだ。

社会主義は国際主義のイデオロギー。この国際主義がユダヤ人の心情にマッチした。祖国を持たず各国に離散しているユダヤ人にとって、国際主義(:民族主義を否定するイデオロギー)は自らの境遇に適していた。そして、この国際主義イデオロギーが20世紀の世界史的大事件、ロシア革命につながっていく。

次回紹介します。

『世界を操る支配者の正体』(馬渕睦夫 著) [3]からの紹介です。

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■リンカーンに高利子を要求

 

アメリカの南北戦争とロシアは関係ないのではと多くの読者は思われるかもしれません。しかしそうではないのです。ウィーン会議に続き、南北戦争においても国際金融勢力はロシアから手痛い反撃を蒙ったのです。

 

私たちは南北戦争は奴隷解放をめぐる北部と南部の戦いだと教えられてきました。しかし、これは正しくはありません。北部のリンカーン大統領は連邦制の維持のためには奴隷制度を認めてもよいと考えていたのです。

 

戦争の原因は北部と南部の経済状況の差にありました。工業地帯の北部と農業地帯の南部です。南部は綿花などをイギリスに輸出してイギリスから綿製品や工業製品を輸入していました。この貿易にはロスチャイルドなどのロンドン・シティの金融資本家たちが絡んでいました。北部の工業化が進むと北部は南部に高価格の北部製工業製品を強制的に買わせようとしたため、北部と南部に経済的利害をめぐり深刻な軋轢が生じていたのです。

ここにイギリスがつけ込みます。イギリスは南部からの綿花輸入を禁止するとともに、不満を持った南部に対し、連邦から離脱して独立国となるように扇動工作を開始しました。その功あって、1860年にはサウス・カロライナ州が連邦から離脱し、これを契機に同じく離脱した6州を加え、ここに南部連合が成立しました。

 

イギリスの金融資本家にすれば、経済的にも金融的にも強力なアメリカ合衆国が一つにまとまっている限り、アメリカは彼らの金融力をもって世界を支配しようとの野望の障害となると考えたのです。この時代のアメリカには、彼らの金融支配の手段であるアメリカの中央銀行がジャクソン大統領の拒否権によって期限切れとなって、存在していませんでした。

 

1861年に大統領に就任したエイブラハム・リンカーンの下で南北戦争がはじまりました。フランスのナポレオン三世はメキシコの植民地化を狙って兵を進め、北軍を牽制しました。イギリスは軍隊をカナダに送りアメリカとの国境線沿いに配置して、北軍に対する圧力を強めました。このような状況の中で、リンカーンは戦費の調達に苦労するのですが、ロスチャイルド家は36パーセントもの貸付金利を要求しました。リンカーン大統領はこの申し出を断り、連邦政府自らがアメリカ国家の信用のみに基づく紙幣を発給することにしたのです。1862年のことでした。この法定通貨は裏面が緑色に印刷されていたのでグリーンバックと呼ばれました。現在でも、アメリカドルはグリーンバックと通称されています。

 

この法定通貨発給は実に画期的な事でした。つまり、銀行が発給する通貨と違って債務を負わずに発給された紙幣であったからです。これがいかに画期的な出来事であったかは、早速ロンドン・タイムズがきびしく批判したことに如実に表れています。アメリカのジャーナリストのウィリアム・イングドールが『Gods of Money』で述べているように、ロンドン・タイムズは、この法定通貨が債務を負わずに発給されている点に噛みつきました。債務を負わずに紙幣が発給されると政府の負債は完済されてしまう。そうなれば、世界の富と頭脳は北アメリカに向かってしまう。こんな政府は破壊しなくてはならない。さもなければ、地球上のすべての君主国が破壊されてしまうことになるだろうと。それから3年後、リンカーンはロンドン・タイムズの予言通り暗殺されました。

 

■アレクサンドル二世もロスチャイルドから恨まれる

 

リンカーン大統領がイギリスとフランスによる南部支援への対応に苦慮しているとき、リンカーンに援助の手を差し伸べたのはロシアのアレクサンドル二世でした。アレクサンドル二世はイギリスとフランスが南軍を支援するならば、それをロシアに対する宣戦布告とみなして、北軍側について参戦すると警告を発しました。そして、ロシア艦隊をサンフランシスコ港とニューヨーク港にそれぞれ派遣したのです。

 

アレクサンドル二世はリンカーンと同じく、民間の中央銀行設立には応じず、国立の中央銀行を設立しました。ロシア帝国国立銀行は財務省の一部局として発足し、のちに貨幣の供給も行いますが、要するに政府の経済政策遂行の機関であったわけです。このように政府の部局である中央銀行がロスチャイルド家の策謀する民間の中央銀行とは真逆の存在であったことは、ロシアに対する国際金融勢力の反発を増長させました。

 

加えて、南北戦争に際し、ロスチャイルド家が敵対していた北軍への支援の姿勢を明らかにしたアレクサンドル二世は、またしてもロスチャイルド家などの国際金融資本家たちから恨まれることになったのです。アレクサンドル二世は、ロシア政治にとって長年の宿題であった農奴解放を成し遂げた開明的君主でした。それ故にロシアの革命主義者たちから標的にされていたのです。アレクサンドル二世は、1866年以降数回にわたり暗殺未遂事件を経験していましたが、1881年首都サンクトペテルブルクで、ついに社会主義革命を目指す人民主義者(ナロードニキ)に暗殺されました。彼らナロードニキがロスチャイルド家などの国際金融資本家の支援を受けていたことは想像に難くありません。

 

このころ、ロシアにおけるユダヤ人迫害が顕著になっていました。既に述べたように、ウィーン会議以降ヨーロッパのユダヤ人は解放されましたが、最大のユダヤ人人口を抱えるロシアにおいては、ポグロムと呼ばれるユダヤ人虐殺事件が頻発するようになっていました。ユダヤ人たちの対応は社会主義革命によって皇帝政府を転覆する以外にないとの方向に向かっていったのです。このように、ロシアの社会主義革命運動の中心にあったのはユダヤ人でした。ユダヤ人に対する迫害を阻止するためにはロマノフ王朝そのものを打倒しなければならないとする急進的革命思想であり、ユダヤ人たちが自民族の解放のために大挙して社会主義革命運動に邁進するようになったのです。

 

それと同時に、社会主義がなぜユダヤ人の心をとらえたかを理解しておくことがきわめて重要です。社会主義は国際主義のイデオロギーです。この国際主義がユダヤ人の心情にマッチしたのです。なぜなら、祖国を持たず各国に離散しているユダヤ人にとって、国際主義、すなわち民族主義を否定するイデオロギーは自らの境遇に適していたからです。そして、この国際主義イデオロギーが20世紀の世界史的大事件、ロシア革命につながっていくのです。

 

 

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