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【金による新基軸通貨】金価格高騰もまだまだ破格に安い?(吉田繁治氏)2

【金による新基軸通貨】金価格高騰もまだまだ破格に安い?(吉田繁治氏)1の続き。 [1]

「金価格高騰もまだまだ破格に安い?「金レシオ」でわかる今後の伸び代とリスク=吉田繁治」 [2]から転載。

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100年の金レシオの変化

以降は、先程も紹介した「金レシオ」のグラフを見ながら読んでください。

出典:Gold to Monetary Base Ratio | MacroTrends

<第1期:1933〜1971年>
1933年の大恐慌の末期から1971年の金・ドル交換停止の時期まで、金価格は、FRBが決める公定価格として固定されていました(22ドル~35ドル)。

一方、ドルは、毎年、増刷されていました。米ドルの100年間、FRBがマネタリーべースが減った年は稀です。マネタリーベースを絞ると、金利を上げるより強い金融の引き締めになり、物価は下がって失業が増え不況になるからです。

ドルの継続的な増発のため、金レシオは、1933年の3.50から、71年の0.5まで、7分の1に下がっています。

1971年まで、金はFRBの公定価格(FRBがドルで売買する価格)で固定されていました。一方でFRBは、マネタリーベースを増やし続けたからです。

金価格に対して7倍のマネタリーべースになったことを、1933年から71年までのグラフが示しています。

<第2期:1971〜1980年> 金・ドル交換停止のあと、金レシオと金価格が高騰
1971年の「金ドル交換停止」は、転換点でした。

FRBは、増発したドルとの、フランス・ドイツからの交換要求が増えて、2万4,000トンあったFRBの金準備が枯渇の恐れがあったため、当時のニクソン大統領が突然、金・ドルの交換を今日から停止するという大統領令を出しのです。

1973年からは、ドルは信用通貨になり、金は市場の売買でその日の価格が決まる自由価格になって買いが増えて高騰します。7年後の1980年には、FRBが増やし続けたマネタリーベースに対し、金レシオは0.50から4.5まで9倍に上がっています。マネタリーベースに対する金価格9倍に上がったという意味です。

1980年の実際の金価格は、1オンスが800ドルに高騰しました(31.1グラム:金貨1枚分)。1971年には35ドルだったので、金の市場価格は9年で23倍に上がったのです。

ところが、グラフを見てわかる通り、1980年の金価格高騰のあと1999年までの20年、金レシオは4.50から0.4まで下落しています。

<第3期:1980〜1999年>金レシオと金価格がともに下落した20年
ドルは引き続き、増刷されています。それなのに、なぜ金レシオは、80年代・90年代の20年間で11分の1に低下したのか? 米ドルの、金に対する絶対価値が11倍に上がったのでしょうか?

そんなはずはありません。FRBはドルを増刷し、マネタリーベースは20年間、増えていたからです。

FRBの金の枯渇をニクソン大統領が恐れて、金・ドルの交換停止をしたあとの70年代は、ドルの価値が急落していた時代でした。

外貨としてドルしか見ていなかった日本からは、何が起こっているかわからなかった。しかし、ヨーロッパでは店舗がドルの受け取りを拒否するくらいだったのです。ドルの価値が下がっていたからです。

ドルの価値(購買力)を保証していた金と切り離されたドルは、国際通貨(基軸通貨)の位置を、事実上、滑り落ちていました(1971年~1980年)。

このとき、米国に特権をもたらすドル基軸通貨を維持するため、FRBは戦略的な方法をとります。

1973年から自由価格になった金は、市場の需要と供給で価格が決まります。金価格が800ドルではドルが信用されない。FRBは金を下落させるため、市場に金を供給する方法をとったのです。

しかし1万トン以下に減ったFRBの金は、もう減らせない(2019年のFRBの金保有は8,133トン:WGCの統計)。FRBはブリオンバンクにリースしました(金の販売を許可された銀行、米国の投資銀行が多い)。

ブリオンバンクは、FRBからリースされた金を市場に供給する。その供給により、金価格を下げることが、FRBの目的でした。

 

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