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【実現塾】活力どん底の日本人の可能性(追求ポイント1)縄文体質→脱私権⇒本源収束の可能性

【実現塾】「活力どん底の日本人の可能性」 [1]の追求ポイントです。

【1】日本人の活力が、ダントツで世界最下位なのはなんで?

■どこから見てもドン底。なぜ?

・大人の労働意欲の世界比較のデータ「前向きに仕事をしている社員6%」
・性の衰弱:セックスレス、若者に“女は厄介”“性を嫌悪”という意識が蔓延
・本来元気なはずの子供が、ゾンビみたい。

3000年来の人類の生きる目標は、お金・地位・身分:私権の獲得。
ただし、それは貧困という万人にかかる絶対的な圧力があったから。
’70年代、日本が世界のトップをきって豊かさを実現→私権の圧力が一気に衰弱。

先進国共通なのに、なぜ日本だけ?
→民族体質の違い。西欧人は個人主義。日本人は“和をもって尊しとなす”縄文体質。

・5500年前イラン高原で始まった皆殺しの略奪闘争が、西洋にも東洋にも伝播して原始共同体が悉く破壊され、大陸全体が力の原理=私権原理によって統合されることになった。

・他方、日本は大陸から離れた島国なので、共認原理の原始共同体のまま残存していた。
・しかし2300~2200年前、中国での戦乱で敗れた呉や越の軍団、あるいは始皇帝配下の徐福の率いる大船団が、日本各地に上陸し各地に小さな国を作っていった。
・私権原理を知らず共認原理しか持ち合わせていない縄文人は、力の原理の渡来人に簡単に服属し、あるいは歓迎して受け入れた。そして、彼ら渡来人が支配者となっていった。
・続いて1500~1400年前、高句麗に敗れた新羅や、唐・新羅に敗れた百済の王族・貴族たちが、次々と日本に渡来。天皇を頂点とする国家を形成した。
・しかし、共認原理の縄文人は、力の原理に対応する術を持たないので、彼ら支配階級をお上として切り離し、自分たちは村落共同体を形成して相変わらず共認原理で生きてきた。
・しかしそれは、村落共同体を超えた社会や国家のことは「自分とは関係ない」と捨象する意識を根付かせることになった。

◎結局、朝鮮から来た支配階級は3000年前から私権収束しているが、大半の農漁民はほぼ縄文体質のままで、庶民が私権収束を強めていったのは、せいぜい明治以降150年に過ぎない。

◎縄文体質と自我・私権はもともと背反するので、私権の衰弱スピードは日本人が段違いに速い。私権が衰弱すれば、私権と一体化されてきた独占欲の性も、どこよりも速く衰弱する。

◎それが、日本人の活力がダントツで世界最下位である理由である。と同時に、日本人の私権収束が段違いに弱いということは、脱私権⇒本源収束の可能性をどこよりも豊かに秘めているということでもある。

【追求ポイント】
■共認原理の縄文体質と、私権原理の個人主義、その違いはどこから?

西欧:長期乾燥→餓え死の危機→遊牧部族が農耕部族に襲いかかり皆殺し:人類最初の戦争
→共同体が完璧に破壊
→集団の統合のため、西欧人独特の契約観念を生み出した。
アジア:敗けた方が強い方に服属するのみ。共同体が残存。
特に日本は海で隔てられた島国。原始共同体のまま生きてきた。
◎日本人は人類の起源に近い。本源性をそのまま体現している

■そもそも縄文体質とは?
<西欧>        <日本>
自然との関係  敵対・征服 ex.)西欧科学  調和・一体化
人間関係    自己正当化・他者否定   周りと一体化
“溶け合うのかor闘い潰すのか”。
ただし、西欧人だって、赤ん坊がみんなそうであるように最初は一体化欠乏の塊。根本には縄文精神がある。

■日本の縄文体質がこわされたのはいつ?
日本には、中国、朝鮮から、筋金入りの私権原理の武装勢力が入り込んできた。
(呉。楚。徐福。日本各地に上陸し、国をつくっていく。百済が唐に滅ぼされて、大量に日本へ。皇室をつくった=皇室は朝鮮人)
共認原理の日本人は“みんな仲間”でみんな歓迎。戦争は起きず、彼らはたちまち支配層に。
庶民は彼らを「おかみ」と奉って遠ざけ、自分たちは村落共同体を維持。

明治維新:黒船の脅威→盲目的に西欧思想を吸収。
敗戦後のGHQ支配:強制圧力をもって個人・民主・自由主義の植え付け。
私権意識は入り込むものの、ごく一部のインテリのみにとどまる。

’70年豊かさを実現=日本人は活力最高潮。それが一気にドン底へ。何があった?
農村から都市へ→村落共同体・大家族の崩壊。見合い結婚から恋愛結婚が主流となり、「核家族」ができあがる。

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