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スイスはどのようにして中立国となったのか~テンプル騎士団とスイスの関係~

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皆さん、スイスにどういったイメージを持っていますか?
安心・安全、平和、美しさ、といったイメージが多いのではないでしょうか。
中でも他の国々と最も異なる特徴として、永世中立国のイメージが強いと思います。
調べてみると、世界の主要機関のうち少なくとも28個がジュネーブに集まっています。

まるで世界の中心のよう。。

これだけ小さな国が、どのようにして中立国となり、今の国を作り上げることができたのか。
その裏にはテンプル騎士団(金貸し)との関係がみえてきます。

[2]                図.国際都市ジュネーブの主な国際機関

■テンプル騎士団 と スイス(リンク [3]より)

【以下転載】

エリート結社 テンプル騎士団は、創設は1096年の第1回十字軍の終了後であり、ヨーロッパ人によって確保されたエルサレムへの巡礼に向かう人々を保護するために設立された。 そして、農地を管理するため、軍事、金融が発達していきました。
1207年には船を持ち、人員輸送がないときは、貿易(奴隷売買)と海賊をやっていました。
1291年 アッコンが陥落し、テンプル騎士団の名に泥が塗られました。
1307年 フランス王フィリップは、借金で首が回らなくなり、テンプル騎士団を解体し、パリの金庫を襲いましたが、情報網を持ったテンプル騎士団は金庫を空にしていました。
この後、フランスのテンプル騎士団の残党は、地下組織化して秘密結社、フリーメーソンになっていったのです。

(引用)

テンプル騎士団は、ヨーロッパ全域に多くの要塞や拠点を持っていた。大陸のエリートの富を守るのにこれ以上ふさわしい存在があっただろうか? テンプル騎士団の銀行は、商人、騎士、王侯などの世俗の財産を安全に預かったうえ、一つの国で預けて別の国で引き出すことを認めて、手続きのすべての段階で手数料をとった。 そしてそれでも足りなくなるとさらに知恵を働かせ、必要があって別の金で引き出す者に割り増し手数料を課するようになる。そうやって、つねに利益が上がるようにしていたのである。

(中略)

ヴェネチア、ジェノバ、ルッカ フレンチェといった北イタリアの銀行家はひっくるめて「ロンバルディア人」と呼ばれ、ユダヤ人に代わってヨーロッパの商人銀行家となった。 貸付金利は、企業向けの15%から個人向けの100%まで実にさまざまであった。テンプル株式会社はこの事業をイタリア商人から奪ったのである。

(中略)

フランスの東、後にスイスとなるアルプス山脈地域では、テンプル騎士団に避難所が提供された。
(略)
テンプル騎士団は、各州で地方支部の組織を強化し、すぐに勢力を強めていき、アッコン陥落の三ヵ月後には三つの州が軍事同盟を結んだ。まもなく他の州も加わってスイスという国ができると、彼らはテンプル騎士団の多くの特徴を取り入れた。テンプル騎士団が尊敬されたのは、強大な軍事力を持ち、北の拡張主義ドイツ諸州からも、西の強欲なフランスからも自衛できたからだ。

(中略)

バトラーとだフォードは、世界の銀行産業をスイスが受け継いだことだけでなく、テンプル騎士団の存在についても言及している。2人が注目するのは、テンプル騎士団の赤十字のモチーフとスイスの紋章が驚くほど似ていることだ。これは国旗のみならず、各州の旗についてもいえる。テンプル騎士団の十字の反対にするだけでスイスの国旗となり、それに少し手を加えれば各州の旗になるのである。

(引用終わり:『米国エリートの黒い履歴書 秘密結社・海賊・奴隷売買・麻薬』)

[4]図.テンプル騎士団旗とスイスの国旗

確かに似ていますね。

傭兵から金貸しとなったテンプル騎士団が、後にスイスとなるアルプス山脈地域で勢力を拡大し、その特性を色濃く引き継いだスイスという国が出来上がりました。

もともと戦いに特化した国ということですね。ある意味自国を守ることができる兵力を保有しているからこそ現代まで中立国でいられるとも言えます。

今まで持っていたスイスのイメージが大きく変わりましたね。

そんなスイスという国に世界の主な国際機関が集中しているということは単に中立国だからという理由ではないような気がします。

今後は、世界各国とスイスの関係を深堀していきます。

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