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Bankの起源=通貨「グルデン・バンコ」と「デル・バンコ一族」=

みなさんは【Bank(銀行)】の語源について、由来を知っていますか?

日本銀行のHPによれば、Bankの語源は、12世紀頃、当時世界の貿易、文化の中心地であった北イタリアに生まれた両替商(銀行の原型といわれている)が、両替のために使用した「BANCO」(長机、腰掛)とする説があります。

が、実はロンドンとチューリッヒで金の現物取引をする「デル・バンコ一族」が語源ではないか。とする説があります。※下記【デル・バンコ一族の凄い実力】を参照。

 

1609年に設立されたアムステルダム銀行では【グルデン・バンコ】という通貨単位が使われていました。

※下記【中央銀行の起源=アムステルダム銀行=】を参照。

 

今回はBank(銀行)の起源に迫ります。

 

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【中央銀行の起源=アムステルダム銀行=】

https://www.boj.or.jp/announcements/annai/genba/focusboj/focusboj26.htm/ [1]より引用)

>中央銀行の起源としてしばしば引き合いに出されるのが、1609年に設立されたアムステルダム銀行である。当時のオランダは、北海やバルト海と地中海を結ぶ南北ヨーロッパの交易の中継地であり、1602年にオランダ東インド会社が設立されると、アジアとの交易の拠点としても栄えた。アムステルダムには国内外からさまざまな種類の貨幣が流入していた。こうした下で取引の決済が複雑なものとなっていたことから、商人が市政府に決済システムの整備、改善を求める要請を行い、これを受けて市当局が設立したのがアムステルダム銀行であった。

 

同行は市内外の商人などに「グルデン・バンコ」という通貨単位で表示される預金口座の開設を認め、口座保有者が持ち込む貨幣の種類に応じた換算レートを用いて入金額を記帳し、いつでも預金者からの引き出し要求に応じるとともに、市当局やオランダ東インド会社を含めた顧客同士が同行の口座間で決済を行うことができるようにするなど、統一的な計算単位と預金という決済手段を提供したのであった。

 

同行は、銀行券の発行および貸出を行うことが禁じられていた。しかしながら同行は、市当局やオランダ東インド会社に対し、内密に貸出を行っていた。後にその事実が公となったため、預金者が預金の引き出しに殺到する事態となり、1820年に清算された。同行の運営にあたり金融政策や金融システムの安定性維持といった現代の中央銀行が果たしている機能が意識されていたわけではないが、公的な目的をもって設立された銀行が決済システムの運営にあたったという点において、同行は中央銀行の機能の一部を果たしていたと考えられる。

 

【デル・バンコ一族の凄い実力】

(http://electronic-journal.seesaa.net/article/102969591.html)より引用

>デル・バンコ一族の話を続けます。あのシテイ・バンクが1991年に経営危機に陥ったとき、救いを求めたのが、英国のロンバート街にあるスコットランド銀行だったという話をしました。そのスコットランド銀行の米国代表であるパット・ロバートソン

――ブッシュ家が公私ともに世話になっているキリスト原理主義の牧師だったのです。

ところで、英国のロンバート街の世界最大手の銀行はスタンダード・チャーター銀行(SC)です。この銀行の旧名は、ロード・ミルナー・セシル・ローズ銀行というのです。ロード・ミルナーは、ロード・ミルナー卿のことであり、彼は世界各地でアヘン貿易を行い、有色人種の大量虐殺を行ってきた東インド会社の創始者なのです。

セシル・ローズは、南アフリカで黒人を奴隷化し、金とダイヤモンド鉱山を開発して、世界の金塊とダイヤモンドを独占してきたデビアス――アングロ・アメリカン社(AA)の創始者なのです。現在、父ブッシュは、このAA社のカナダ支部であるパリック・ゴールド社の役員を務めているのです。そして、黒人を奴隷とすることを定めた悪名高い南アフリカのアパルトヘイト法を起草したのが、スコットランド銀行なのです。

しかし、ロンバート街のSCは英国支店に過ぎない存在でありヨーロッパ全体を対象とするのは、イタリアのロンバルディアにある銀行スコシア・モカッタ銀行なのです。この銀行は、SCの本店に当たるのです。

しかし、既に述べたように、ロンバルディアの銀行は、本店を税金が課されないベネチアに置いているのです。ベネチアの金融界は狭いギルド社会であり、過去800年間にわたってベネチアの金融界を支配してきたのが、デル・バンコ一族なのです。ここで「バンコ」とは銀行の語源であり、事実上デル・バンコ一族が世界の銀行を支配する存在として君臨しているのです。

なお、デル・バンコ一族は、課税を逃れるため、ヨーロッパでは、ウォーバーク銀行を経営しています。このウォーバーク――もちろん、あのロスチャイルド家のポール・ウォーバークに深い関係があります。1913年にポール・ウォーバークは米国に渡り、米国のウォール街に指示して、米国の中央銀行であるFRBを創立したことは、既に述べた通りです。

ポールはやがて自身がFRBの議長になりますが、FRBの事務的な仕事や雑用をベネチア支店の、そのまた支店である米国の世界最大のシティ・バンクに担当させているのです。このようにデル・バンコから見ると、親子が米大統領を務めたブッシュ家などは、単なる雑用係に過ぎないのです。

現在、デル・バンコ=スコシア・モカッタ銀行は、ロンドンで金の取引を独占しています。ロンドンの貴金属取引所――ロンドン・メタル・エクスチェンジ(LME)の「黄金の間」と呼ばれる部屋において、毎日デル・バンコ一族を中心とする5つの銀行(業者)が集まって、国際的な金の価格が独裁的に決められていることも既に述べた通りです。5つの銀行を再現しておくことにします。ここまで述べてくると、金の世界を牛耳っているのが、

デル・バンコ一族であることがわかるはずです。

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1.ロスチャイルド

2.モカッタ

3.ジョンソン・マッセイ(メイス・ウェストパックが継承)

4.サミュエル・モンタギュー

5.シャープ・ピクスレー

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このように、デル・バンコ一族は金をベースとして金融の世界を支配しています。金の先物市場の創設を仕掛けたのもデル・バンコ一族なのですが、その中核部隊といえるのがBIS――国際決済銀行ではないかといわれているのです。 BISはユーロダラー市場を支配しており、世界の銀行の自己資本比率をコントロールしたりと、私的銀行であるのに「中央銀行の中の中央銀行」といわれているのですが、BISの幹部のほとんどは、デル・バンコ一族なのです。

デル・バンコ一族は、金の先物市場の創設を考えたとき、金を何としても集める必要があったのです。そのための布石として、デル・バンコ一族がやったのが、中央銀行の金塊を貸し出させる制度の創設なのです。この一族の力を持ってすれば、各国の中央銀行をコントロールするぐらい簡単にやれるほどの力を持っているのです。

「金を投資の対象とすべきでない」と説得するときよく使われる話法に「金は金利を生まない」というのがあります。確かに金は単に保有しているだけでは利息を稼ぐことはないのです。

しかし、これは紙幣であっても同じことです。紙幣をタンス預金にしておけば金利は稼げないのです。それを積極的に貸し出して、金利を取るしかないのは同じことです。銀行にお金を預けるということは銀行に対する貸し付けを行っているのです。

この論理で、デル・バンコは、中央銀行に対して「金リース/ゴールドローン」を説得して実施させたのです。あのフェルディナント・リップスは、これについて次のようにいっているのです。

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金は銀行券と同じく、ただ保有しているだけでは何も生み出さない。1980年代初頭、想像力が豊かなウォール街のディーラー数名が、この現実を変える方法を考えついた。ゴールドローンと金の先物売りが、その方法である。そして、彼らは、このアイデアを金の保有者や金鉱所有者に売り込んだ。

フェルディナント・リップス著/大橋貞信訳/徳間書店刊『いまなぜ金復活なのか/やがてドルも円も紙屑になる』

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――[金の戦争/28]

 

=引用終わり=

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