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シリーズ「活力再生需要を事業化する」9 〜『生産の場として、儲かる農業』が、みんな期待に応える事になるのでは?

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リンク [1]よりお借りしました。
 
これまで、「活力再生需要を事業化する」というテーマでお送りしてきました。
 
「活力再生需要を事業化する」〜活力源は、脱集団の『みんな期待』に応えること〜 [2]
シリーズ「活力再生需要を事業化する」2〜ワクワク活力再生!〜 [3]
シリーズ「活力再生需要を事業化する」3 〜老人ホームと保育園が同居する施設『江東園』〜 [4]
シリーズ「活力再生需要を事業化する」4〜企業活力再生コンサル〜 [5]
シリーズ「活力再生需要を事業化する」5 〜企業活力再生需要の核心は「次代を読む」〜 [6]
シリーズ「活力再生需要を事業化する」6〜金融、ITビジネスはもはや古い?!新しいビジネス“社会的企業”〜 [7]
シリーズ「活力再生需要を事業化する」7〜社会起業家の歴史・各国の状況 [8]
シリーズ「活力再生需要を事業化する」8 〜社会的企業を支える「アショカ財団」〜 [9]
 
前回は社会的企業を支える財団貧困層を支援する銀行について分析しましたが、それらは社会期待に応えるという理念とは裏腹に、実態は特権階級による支配そのものであり、結局市場を前提とした発想では答えにならないことが明らかになりました
 
改めて、今回から活力再生事業として「」の持つ効果に着目し、その可能性について3回シリーズでお送りします。
 
応援よろしくお願いします。
 


1.なぜ「農」を扱うのか?
 
これまで活力再生事業の事例としていくつかの取り組みを紹介してきましたが、今度はなぜ農業と思った方も多いと思います。そこで現在の人々の意識潮流がどうなっているのか、その意識が「農」というものに対してどのような期待となって表れているのかをまとめましたので、ご覧下さい。
 
[10]
 
このように、農には様々な可能性があることがわかります。今回のエントリーでは、このうち市場における農業の状況と今後の可能性について追求していきます。
 
 
2.儲からない農業から、儲かる農業への転換が、皆の期待に応えることになる。
 
追求していく上で、まず次の投稿を紹介したいと思います。
『生産の場として、儲かる農業』が、みんな期待に応える事になるのでは? [11]

このところ、農業の生産性には期待しない、という論調がありましたが、少し違和感があったので考えて見ました。
例えば、農に期待される役割として、教育機能がありますが、それは農業が生産の場だからこそ=闘争圧力の加わる場だからこそ発揮されるものだと思います。同様に、地域の繋がり、再生を考える上でも、生産課題の共有無くしては成り立たないと思います。
 
また、現代は食べるに困ることはない時代ですが、その生産基盤の維持、存続という次元では、社会全体として課題を抱えています。小農制と市場流通によって支えられている食料生産の現状は、非常に脆弱だといえるでしょう。かつてみんなが農業をやっていた時代ではなく、ほとんどの人が農業から離れている現代だからこそ、農業生産基盤の確立(と社会全体としての組織化・統合)は、求められているのではないでしょうか。
 
このことは、「儲かる農業」にもつながってくると思います。儲かるということは、経営的に実現するということであり、そこから誰もが担える可能性を拓けるということだと思います。最近の農業志向を現実の力とするためにも、経営的に成り立つ農業が必要だし、これまで儲からない→仕事に出来ないという図式にあった農業を、新しい仕事にしてゆくことにもなると思います。
 
活力の面から考えても、儲からない農業では活力は出ないと思います。儲かる=お金が集まる=評価が集まる⇒活力上昇という意味で、儲かることは活力の指標であり、みんなの期待に応えているかどうかの指標にもなると思います。
 
(生産の場ではあるが儲からない(実現しない)農業とか、儲けは出ているがどんどん農業生産から離れてゆく、というのでは、みんなの期待に応えていないような気がしてなりません。)

前回のエントリーでは、市場を前提とした発想では結局市場に絡め取られてしまうという問題を指摘しましたが、その上で、なぜ「儲かる」ことが大事なのでしょうか?
  
●お金を稼ぐ意味が、私権から共認へと変化した。
 
ここで言う「儲かる」ということの意味を考えてみます。
貧困の圧力が強い時代は、何よりも自分の私権を獲得すること=お金を稼ぐことが第一課題でした。
しかし貧困を克服し豊かさが実現されると、自分さえよければいいという私権意識は衰弱し、替わって人々の期待に応えたい、役に立ちたいという共認欠乏が顕在化してきました。そしてこの共認時代においては、人々の期待に応えて評価されることが第一の活力源となります。逆に言うと、人々から評価を得られなければ勝ち残れないという状況になったのです。
 
一方で、人々の私権欠乏は衰弱しても、お金の「評価指標」としての機能は残り続け、この評価指標は現実の圧力として働きます。
参考:お金は現実の必要度を測るモノサシ [12]
従って、評価指標としてのお金を得ること、つまり「儲かる」ことを目的にすることで、「儲かる=お金が集まる=評価が集まる⇒活力上昇」していきます。そしてそれは決して私権充足のためではなく、期待に応えて評価されたその証としてのお金を得る=共認充足を得るためであり、儲けるということの意味が私権から共認へと変わってきているのです。
 
そのように、市場という旧い場の中で評価を得て勝っていくことで、市場を超えた、新しい可能性の実現基盤が見えてきます。これが、「農業で儲かることが人々の期待に応えることになる」理由の1つです。
参考:超国家・超市場論29 新しい『場』は、古い評価指標の洗礼を受けて、はじめて顕在化する [13]
 
 
●採算にのることで生産基盤としての農が確立できる。
 
もう一つの理由として、経営という視点があります。
 
○採算に乗ることで、事業が持続可能になる。
これまで農業は儲からない仕事であったため、必要な事業ではあるが担い手がいないという状況でした。なぜ儲からないのかというと、市場においては幻想価値がつかない農作物は常に安い値段しかつかないためです(価格格差)。そのため(日本の)農業は、少数の農家や海外からの輸入に依存しているという脆弱な構造にあります。
 
しかし、農業が採算にのるようになれば、外部に依存せず自前で農業生産を続けていくことが可能になります。またそうなれば新規就農者や企業の参入が増加し、供給体制の充実につながります。この点からも、儲かる農業であることが不可欠なのです。
 
○しかし、その実現基盤はどこにあるのでしょうか?
近年、食の安全志向の高まりから、高くても買う人が増えています。ここに実現基盤があるのです。
 
貧しい時代は安く食べられれば良く、また企業も利益中心で現在ほど安全性は配慮されていませんでした。
しかし、遺伝子組み換え作物や食品添加物に対する不安など、食の安全性や安心を求める声は高まってきています。近年では、農薬が残留した中国野菜や毒ギョーザ事件の時の騒動も記憶に新しいですね。
そういった食の安全の高まりから、例えば国産の有機野菜であったり、作り手の顔が見える作物といった、高くても安心できるものを買う人が増えてきています。そのような人々の期待に応えていくことで、採算にのせていく可能性が開けてきています。
 
さらに農作物に対してだけでなく、農の持つ多面的な価値(本源価値)に対して、人々が「それは必要なことである」とお金を払ってくれるようになれば、単なる生産に留まらない、多面的な価値を持つ農の基盤が確立できるようになります。
 
このように、活力上昇という点からも、持続的な経営という視点からも、儲かる農業であることが重要だということが言えると思います。
 
次回は、衰退していく地方を再生させる、就農定住事業の可能性についてお送りします。

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