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国家債務危機〜ジャック・アタリ氏から21世紀を読み取る4

【過去のエントリー】
・「国家債務危機」〜ジャック・アタリ氏から21世紀を読み取る [1]
・「国家債務危機」〜ジャック・アタリ氏から21世紀を読み取る2 [2]
・「国家債務危機」〜ジャック・アタリ氏から21世紀を読み取る3 [3]
前回の投稿 [3]では、国家が借金返済に苦慮しながら、「お金を生み出すシステム(銀行、国債、株式等)」を作っていく過程を取り上げていきました。
改めて整理すると、

 国家が返済義務を負う借金システムが確立された後、国家財政は常に火の車状態。金貸し達からの借金は必要不可欠。
イギリス
→金持ちが株主となる国債を買い取る銀行を設立(中央銀行)して、その銀行が国債を担保に国家へ資金を貸し付ける。その銀行が発行する債券によって国民から資金を集める。
フランス
→官職の売買を可能にし、さらに徴税権も金貸しに譲り渡す。
その後、王家の財産などを担保にした紙幣発行銀行を設立。追加担保として将来「取得できるであろう」金鉱山を保有する会社の株式を利用

両者注目すべき点は、お金を生み出すシステムが形成される過程では、実体の分からない「金持ちの株主化」や、「将来あるであろう金取得」といった価値が「幻想化」され、それを信じた(騙されて)大衆が資金を貸し付けていった点です。
今回記事は、これまで取り上げてきた君主によって統合されたヨーロッパ諸国と違い、植民地から独立する形で一から国を作り上げていったアメリカに焦点を当てて、彼らがお金を生み出すシステムを作っていく過程に迫ってみたいと思います。
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●公的債務が引き起こしたアメリカ独立革命
遡ること1775年〜1783年、アメリカ独立戦争によって、イギリスやフランスの植民地支配から脱却し、現代のアメリカ合衆国が誕生するに至りました。
そのアメリカ独立戦争は、公的債務が引き金になったようです。

イギリスは「7年戦争」とフランスとの植民地争奪戦争に勝利し、北アメリカの多くを植民地として領有することになったが、その戦費によって巨額な債務に苦しむことになる。
そしてイギリスは、この植民地への課税によって財政危機を乗り越えようとするが、皮肉なことにこれがアメリカの植民者の反発を招き、アメリカ独立革命への道筋が開かれてしまうのである。
(ジャック・アタリ氏の著書「国家債務危機」より引用)

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「ウィキペディア」 [4]よりお借りしました。合衆国憲法署名の様子
●新政府における公的債務をめぐる論議
独立戦争は、他国間同士の戦争とは異なり、目的はその統治権と国土であって、敗戦国(=宗主国)から賠償金は得られません。
従って、アメリカには戦争に費やした莫大な借金が残り続けることになります。

そして、1781年、彼らは独立戦争に勝利するが、新政府は財政破綻していたのである。政府には、戦時債務を償還する能力はなかった。
(ジャック・アタリ氏の著書「国家債務危機」より引用)

独立戦争に勝利したアメリカは、1787年9月、フィラデルフィア憲法制定会議において「アメリカ合衆国憲法」を採択します。
この時の議長は後に初代アメリカ大統領となる「ジョージ・ワシントン」。財源がほとんどない新たな連邦政府と各邦(今で言う「州」とほぼ同義)は、戦争で多額の債務を抱えていましたので、すぐに公的債務が重要な議題になります。
この公的債務のあり方を巡って、当時駐フランス公使としてパリに滞在し、後に第三代アメリカ大統領となる「トマス・ジェファーソン」と、アメリカ合衆国憲法を起草した「ジェームズ・マディソン」は、意見をぶつけあっています。
当時対立したこの意見は、現代の国家借金の有り方にも結びつく重要な内容でもあります。

トーマス・ジェファーソン
「ある世代が、将来の世代を拘束する権利はない。
なぜならば、土地を使用する権利(用益権)は、そこで暮らす人々にのみ属するからである。」
フランス革命にパリで出会い、革命に共感しフランスを支持していたジェファーソンは、何としても若きアメリカをイギリスから自立させるために、国の借金を減らすことを願っていた。
ジェームズ・マディソン
「死者たちによってもたらされた改良は、その恩恵を受ける生者の負担となる。
敵を追い払うためにつくった借金からは、その後のすべての世代が恩恵を得ている。」
マディソンは当然ながら、公的債務によって「不当で無益な負担を、次世代に課すべきではない」とも語っているが、「不当で無益な負担」とは何であるかについては言及していない。
(ジャック・アタリ氏の著書「国家債務危機」より引用)

ジェファーソンはこの時、公的債務の償還期間は19年以上となってはならないという条項を、新憲法に書き加えるべきだと主張して、マディソンと論争になります。
この論争は、どちらの主張も筋が通るため、取捨選択が非常に難しい。
しかし、両者の主張を少し視点を変えて捉えた場合、注目すべきポイントが見つかります。それは、両者の議論は債務には「利息」が前提になっている点です。
今では「常識化」している利息ですが、実態として利息があるが故に、公的債務は膨れ上がり、次世代、その次の世代へと引き継がれることになるのです。
金貸しにとってはこの利息こそが、収益源であり、国家に金を貸すことで国家が潰れない限り、確実に安定的に取得できる環境を整えてきたのです。
では、このジェファーソンとマディソンの公的債務を巡る議論はどこに収束したのでしょうか?
●公的債務が連邦政府の「永久債」に姿を変える

1790年1月、初代アメリカ大統領のもとで初代財務長官となり、マディソンと同様に「大きな連邦政府」を支持した、連邦党のアレクサンダー・ハミルトンは、アメリカ連邦政府の誕生当初の公的連邦債務は、4,000万ドルであることを議会に報告した。
〜中略〜
ハミルトンは、この債務を、連邦政府の永久債に転換することを提唱した。
永久債の金利は、この目的のために特別に税を設けて充てるとした。
(ジャック・アタリ氏の著書「国家債務危機」より引用)

永久債とは元本の償還は「ある時払いの催促無し」。その代わり、利息だけを支払い続ける債務になります。
初代国務長官となったジェファーソンは、このハミルトンの提案に反対していました。
が、同年、ジェファーソンとマディソンはニューヨークでのディナーの席上で、ハミルトンと取引を行います。
そこでは、合衆国の首都を州から独立した場所に設置することをハミルトンに要求した代わりに、各州が負っている負債を連邦政府が引き受け、連邦政府は永久債によってまかなうことを受け入れたのです。
永久債によって、国家に金を貸して利息を取る。金貸しにとって安定的なシステムが、独立間もないアメリカでも確実に構築されていく結果になったのです。
また国家の立場で捉えても、元々アメリカは共認統合された共同体ではなく、私権を求めてヨーロッパから移住してきた植民者が後のアメリカをリードしています。
よって、移住者増→人口増と共に私権によって統合された肥大国家を維持運営するためには、どうしてもお金(私権)が必要になり、国家は借金まみれになっていく構造にあります。
金貸し達は、その国家の宿命に目を付け、お金を生み出すシステムを安定的、確実なものに仕上げていったのです。

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