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『実現論 序』:私権時代から共認時代への大転換(下)

前回は、この社会を動かしている「力の構造」を扱いました。市場社会では、資本が力の源泉となり、金貸し達が官僚と学者・マスコミを操り、社会と国家を支配していることを明らかにしました。

『実現論 序』:私権時代から共認時代への大転換(上) [1]

この金貸し達の支配する市場社会から、どのようにして、新しい社会を生み出していくのか、今回はその実現基盤を見ていきます。

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      序列(身分=力の原理)から共認へ

この世界を変えるには、現実を動かしている力の構造を解明するだけではなく、さらに、その力の構造を根底から突き破ってゆくような実現基盤が、発掘され提示されなければならない。
その実現基盤は、何か?

実現論:序2.私権時代から共認時代への大転換(下) [2]

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【力の原理から共認原理への大転換】

力の原理が働くには、一つの大きな前提条件がある。それは貧困(飢餓)の圧力である。貧困の圧力が働いているからこそ、誰もが私権に収束し、力の原理が貫徹される。実際、古代〜近代を貫いて、紛れも無く人類は常に貧困の圧力に晒されてきた。だからこそ、力の原理が支配する私権社会になったのである。

実現論:序2.私権時代から共認時代への大転換(下) [2]以下同じ

自然の恵みの中で、採取狩猟生活をすごしてきた人類が、大規模な気候変動による飢餓(貧困)に襲われ、私権社会(力の原理の社会)へと変貌しました。外圧=飢餓圧力が、人々を力の原理に収束させたのです。

ところが’70年頃、先進国では物的な豊かさがほぼ実現され、貧困の圧力が消滅してゆく。その先頭に立つことになったのが、日本である。

何故、日本が先頭に立ったのでしょう。

国全体の豊かさでは、米国が圧倒的に富んでいました。そして、第2次大戦から復興した欧州主要国も日本よりは豊かです。では、何故、「貧困の圧力が消滅してゆく」その先頭に日本が立ったといえるのでしょうか。

米国は、移民社会です。常に移民が流入し、社会の底辺、貧困層を形成します。米国の豊かさが60年代に白人階層で実現しても、黒人層が貧困層として存在します。70,80年代に黒人層の豊かさが実現しても、ヒスパニック層が貧困層として流入してきます。だから、米国は国民総体として貧困から脱却できていません。
欧州社会は、古い身分社会(貴族、平民、労働者)を残存させ、その上に、旧植民地からの移民労働者を組み込んでいますので、同じく、国民総体が貧困から脱却できていません。

それに対して、敗戦からの復興に国民全体が取り組んできた日本では、国民の勤勉性、集団性の強さ(それ故の企業の強さ)により、国際的な競争に勝ち、国の豊かさを実現しました。そして、その豊かさの分配では、経営者と社員の給与比率が2〜3倍程度といわれる程の平等性を発揮しました。その結果、国民一人一人が豊かになり、貧困から脱却したのです。(この状況をみて、「一億総中流」という言葉が生まれました。)

貧困が消滅すると、私権を獲得しようとする欲求=私権欠乏が衰弱してゆく。従って、物的欠乏も衰弱し、市場は縮小せざるを得なくなる。また、私権圧力が衰弱すると、誰も必死に働こうとはしなくなり、全般的に活力が衰弱し、指揮系統も機能しなくなってゆく。この私権の衰弱を象徴しているのが、労組の衰退である。実際、賃上げを主要な目的としてきた労働組合は、’70年、豊かさが実現するやいなやたちまち衰弱していった。その原因が、私権圧力の衰弱にあることは明白だろう。しかし、それは同時に、私権欠乏に基づく、統合階級に対する監視圧力をも衰弱させることになり、その後の(特に’90年以降の)統合階級の暴走とその結果としての格差の拡大を許す原因ともなっている。こうして、豊かさが実現されたがゆえに(私権の監視圧力が衰弱し)、格差が拡大するという、分かり難い社会が出来てしまったわけである。

    豊かさ実現=貧困の消滅がもたらした社会の混迷
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貧困の圧力がある時代は、労働者は労働組合に結集し、その団体の力を背景に経営者に賃金の引上げを強力に要求しました。労働者は、労働組合に結集することで、自らの私権(賃金引上げ)を目指したのです。政治の場では、労働組合・労働者を代表する野党・社会党が与党自民党と中央官僚を監視していたのです。

貧困の圧力に基づく、私権を獲得しなければ生きていけないという否も応もない強制圧力=私権圧力の衰弱とは、力の原理の衰弱に他ならない。力の原理が衰弱していけば、人々が、その強制から脱して、人類本来の共認原理に回帰してゆくのは必然である。(※共認原理とは:実現論1_4_11 [3])かくして人々は、’70年以降、最も深い潜在思念の地平で、次々と私権収束から脱して共認収束を強めていった。この共認収束の潮流は、半世紀以上は続く大潮流であり、現在は転換の途上であるが、すでに10年以上前から、大多数の人々にとって、周りの期待に応える充足こそが、(私権充足に代わる)最大の活力源になっており、いまやこの期応充足の土壌から生み出された課題収束が、最先端の意識潮流として、顕現している。さらには、このような共認収束の大潮流の中から、共認原理に則った共同体を志向する企業も次々と生まれてくるようになった。

    人々の意識は強制圧力を脱し、共認原理へと転換
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1970年に貧困(圧力)が無くなり、その圧力故にかかっていた私権の強制圧力が衰弱し、人々の意識は人類本来の共認原理へと回帰します。そして、共認原理への転換は、共認収束=周りへの期待応望充足へと向かい、それを活力源とし、共同体企業(共認原理により成り立つ集団)が登場します。

つまり、この40年の間に、人々は、もっとも深い潜在思念の地平で、私権収束から共認収束への大転換を成し遂げたのである。それは、社会の根底的な統合原理が、私権原理から共認原理へと転換したことを意味する。物的な豊かさが実現された以上、私権収束⇒私権統合の社会が終焉し、共認収束⇒共認統合の社会、すなわち、人々が、状況を共認し、課題を共認し、規範を共認し、それらの共認内容に収束することによって統合される社会に移行してゆくのは必然である。現在の、意識潮流の先に人々が求めているものも、間違いなく共認社会(古い言葉で言えば、共同体社会)であると言えるだろう。

1970年に貧困が消滅した日本では、人々(潜在思念)が私権原理(力の原理)から脱却して、人類本来の共認原理に回帰するのは必然です。人々の意識潮流は、間違いなく共認社会(共同体社会)を求めています。
この人類史的な転換を認識することで、初めて、企業・集団を変え、社会を変革できるのです。

【必要なのは地に足をつけた共同体企業の建設】

共同体社会というと、「社会」の方に目が向かい勝ちだが、重要なのは共同体社会の構成単位=原点となる、集団=企業である。普通の人にとって、もっとも身近な現実の場は職場である。そこには常に大きな圧力が加わっており、従って、誰もがエネルギーの大半をそこで費やしている。従って、現実を改革したいのなら、まず己の現実の職場を改革すべく尽力すべきだろう。
現実に強い圧力が加わっている職場では何も言えない者が、直接には己に何の圧力も加えてこない「社会」に向かって何を主張しても、それは逃避行為でしかない。当然そんな主張は、すべて偽物である。本当に社会を良くしたいのなら、まず、もっとも身近な現実の場である職場をどうすれば改善できるのかを提示し、その上で、社会をどうするかを提示すべきだろう。現実の職場を何一つ改革できない、ただの口舌の徒に、社会を語る資格はない。
今必要なのは、遠く離れた抽象的な「社会」ではなく、現実に密着した生活の拠点たる職場を共同体に作りかえること、つまり、企業の共同体化である。この企業の共同体化から、地に足をつけた新しい共同体社会の構築が、着実に進行してゆく。統合階級が牛耳る上辺の「社会」がどれほど迷走しようとも、現実の地に共同体を建設することは可能であり、むしろ社会が崩壊に向かっているとすれば、なおさら共同体の建設こそが崩壊を突き抜けて新しい社会を実現してゆく唯一の突破口になるはずである。
実現論:序2.私権時代から共認時代への大転換(下) [2]

社会に向かって変革を叫んで、その勢力が一時的に拡大しても、私権社会(支配階級)からの攻撃により霧散させられます。

社会を変革するには、古い社会(私権社会)の中に、新しい勢力・集団が生まれ拡大する必要があります。共同体企業が生まれ、私権社会の中で勝ち残り拡大することではじめて、地に足のついた社会変革が可能なのです。

今、活力のある企業としてメディアやネットで取り上げられるのは、人々の共認収束を背景とした共同体的企業です。その一端をるいネットから紹介します。

共同体企業紹介①
【ナチュラルアート】【日本クレド】【ヤオコー】【ナビット】【ウェザニューズ】
[4]
共同体企業紹介②
【日本理化学工業】【柳月】【サイボクハム】【アールエフ】【富士メガネ】
[5]
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写真左ウェザーニューズ:第8期お天気キャスター募集 [6] 写真右第6学年修学旅行記4〜柳月スィートピアガーデンの巻〜 [7]

共同体企業紹介④
【アミタ】【鈴木産業】【メガネ21】【中村ブレイス】
[8]
共同体企業紹介⑥
【板室温泉大黒屋】【あらき】【辻谷工業】【キシ・エンジニアリング】【未来工業】
[9]
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アミタ京丹後製造所 [10]は食品残渣を原料とし、バイオガス発電と有機肥料生産を行っている(左図)。有機肥料を地域の農業に活用することで、地域循環を目指している(写真は収穫祭)。

すでに、私権原理から共認原理への転換に伴って、共同体を志向する企業が、次々と生まれてきている。それに、貧困が消滅して私権圧力が衰弱し始めた40年前に、すでに、共同体・類グループが登場しており、企業を共同体化する上で必要な様々な成功事例や方法論やそれを支える新しい認識群が蓄積されている。それを応用すれば、割と簡単に企業を共同体化することができるはずである。すでに、社会の統合原理は、私権原理から共認原理に転換した。それに伴って、企業も共同体に転換してゆく時代に入ったのである。

実現論:序2.私権時代から共認時代への大転換(下) [2]

共認原理=事実の共認により運営されてきた類グループには、成功事例、方法論、それを支える認識群が蓄積されています。意志ある経営者なら、それを応用することで、素早く企業を共同体化することができ、現実社会で勝ち残り拡大することができます。

参考:類グループが、共同体企業として成長してきたワケ [11]

冒頭に提起された「力の構造を突き破ってゆく実現基盤は何か」とは、以下の2点です。

▽力の原理から共認原理への大転換
貧困の消滅=私権の強制圧力の衰弱を背景として、人々の意識が「共認収束」へと転換し、社会の統合原理が「力の原理」から「共認原理」へと転換したことです。

▽地に足をつけた共同体企業の建設
人々の意識が、共認収束=期待応望充足へと向かい、その意識転換をとらえ、それを活力源として、新しい企業(共同体企業)が登場し、その勢力を拡大させています。古い私権社会の中に、新しい勢力が生まれ拡大していくことです。

次回は、共同体社会を実現してゆくにあたって、これまでの変革運動がなぜ社会を変えることができなかったかを扱います。

このブログの『実現論 序』のシリーズ

近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機(上) [12]
近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機(下) [13]
私権時代から共認時代への大転換(上) [1]
私権時代から共認時代への大転換(下) [14]

[15] [16] [17]