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『経済が破綻したらどうなる?第3回〜メキシコ通貨危機〜』

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プロローグ [1] 
第1回  〜戦後日本のハイパーインフレ時はどうだったの?〜 [2]
第2回  〜預金封鎖と新円切替〜 [3]
前回は、終戦時の日本におけるハイパーインフレにたいする金融政策について見てきましたが、今回は海外に目を向けて、メキシコの事例を取り上げたいと思います。
応援よろしくお願いします。


メキシコは1982年(債務危機)と1994年(通貨危機)に経済破綻しています。
その原因構造については連山さんの1994年のメキシコ通貨危機 [4]にわかりやすくまとめられています。こちらのサイトから転載させていただきながら進めたいと思います。
■メキシコ通貨危機とは?

メキシコは1982年と1994年に経済破綻し、多くの国民が急激なインフレと失業に苦しみました。国際金融市場のマネーが利益を求めて、発展途上国や新興国にどんどん投資されていき、そのマネーが暴れたり逃げ回った結果、悲劇がもたらされます。1994年のメキシコ通貨危機は、IMFが再建に乗り出して成功した事例のため、その後のアジア通貨危機などにも適用され、その国の経済を徹底的に破壊します。まるでイナゴの大群のように。

☆メキシコ債務危機1982年

1970年代、石油価格高騰を受け、メキシコで石油投資ブームが発生した。また、メキシコの賃金がアメリカよりも安いことから、製造業の工場移転による投資も増えていた。国際金融市場を行き交うマネーが急増し、利益を得るために発展途上国への融資をどんどん行っていた。

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ドルとメキシコ・ペソは固定相場であり、当時、メキシコの石油公社や電力会社は国営であり、メキシコ政府による債務保証が付けられていた。国家が破産するはずがないと信じられていた時代である。米国よりメキシコの金利が高いため、アメリカで資金を調達し、メキシコに投資をすれば、濡れ手に粟のように儲けることができた。そういう事情により、メキシコの対外債務は急増していった。債務の利払いは石油や輸出による代金で賄われていた。ところが、1980年代になると米国の金利が上昇したため、対外債務の利払いが増大し、さらなる融資が必要となったが、財政負担能力を超えていた。1982年8月、メキシコは利払いの一時停止(モラトリアム)を宣言する羽目になった。メキシコ国民は急激なインフレと失業の増大によって苦しんだ。。

以上をまとめると
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メキシコに再び資金が戻ってきた。新規投資の資金ではなく、メキシコ人の富裕層が米国に流出させたマネーであった。このマネーが民営化された国営企業や銀行の購入資金となった。売却された国営企業の資産価値は売却額よりもはるかに高かったため、メキシコ債務危機が終わって見ると、一部の富裕層がさらに裕福となり、大半の国民がより貧乏になるという結果をもたらした。ここで大もうけした人達が、メキシコの経済改革を徹底的に行い、再び、アメリカや日本などの外国から資金を集めることに成功し、再びメキシコの対外債務は増加していった。

☆メキシコ通貨危機1994年
債務危機から12年後。。。。。。

メキシコは1986年GATTに参加した。外国から資金を呼ぶため、金利は高く設され、ペソは過大評価されていた。

さらに、1992年12月、NAFTA(北米自由貿易協定)が調印され、アメリカからメキシコへの投資ブームが起こった。1982年の債務危機のことは忘れ去られ、安い労働力を求めて、アメリカの製造業がメキシコに大挙して工場を建設した。メキシコは空前の好景気に沸いていた。

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バブルの崩壊は突然であった。1994年2月、南部で先住民による武装反乱が発生。3月には大統領選挙の候補が暗殺された。この事件をきっかけにしてカントリー・リスクの懸念が表面化した。メキシコ・ペソ売りドル買い圧力の増加に対抗するため、メキシコ政府はドル売りペソ買いで為替介入したが、力尽きてしましました。その結果、12月に固定相場から変動相場への移行を余儀なくされた。

債務危機以降の流れは。。。
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そして。。。
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結局は。。。。。

メキシコ通貨危機を防衛するために、メキシコ政府は額面がペソで元利金の支払いがドルで行う政府短期証券「テソボンド」を大量に発行しました。この債権がメキシコ通貨危機が治まった後に事実上のドル建てで取り戻せたため、これを購入した富裕層はたいへん儲かりました。1982年のメキシコ債務危機に続いて、1994年のメキシコ通貨危機でも、経済破綻を通して、富裕層がさらに富を増やしました。メキシコに投資した投資家たちは巨額の損失を被り、メキシコ国民は急激なインフレと大量失業という苦しみを味わうことになったのですから、なんとも後味の悪い結果です。・・・というのが、メキシコ通貨危機のあらましなのですが、メキシコに投資されたアメリカの資金が本国に戻っていったというのが真の原因なのではないでしょうか?

問題の中心にはやはりアメリカと投機経済の構造が。。。。。

1991年から1993年にかけて、アメリカの低金利を背景に大量のマネーが世界へ広がっていきました。それが、1994年2月にアメリカの金融引き締めにより金利が上昇。資金繰りをつけるため、世界各国に投資されたマネーを本国に還流せざるを得なくなりました。そのため、メキシコは資金不足となり、通貨危機になったのです。トルコでも同じ理由で1994年4月に株が暴落しました。アジア各国も影響を受けましたが、1994年当時は円高でしたので、日本から東南アジアへの工場移転による投資があったため、通貨危機に至らずに済みました。(円安に反転した1997年に先送りされたとも言える)

(転載終わり)
では、メキシコは2度の経済破綻によってどの様に変わったのでしょうか。
■メキシコの現状
IMFやアメリカの介入によって経済危機を脱し、メキシコ経済に対する評価は比較的堅調と言って良い様に思います。しかし、GATT加入やNAFTA加入の影響については、国民生活にとって良いことだったのでしょうか?
特にNAFTAの影響によりメキシコの農業は危機的状況となっています。そして、農民が困窮し貧困層が拡大し、治安の悪化や麻薬組織の横行など様々な問題となって国民生活に悪影響を与えているようです。そして、富裕層と貧困層の格差は拡大する一方です。
金融政策について整理すると。。。。
ポイント①

石油公社や電力会社の民営化はもちろん、貿易自由化などを強要する条件で、メキシコとIMFを始めとする国際金融機関との合意がなされた。

そして、貿易の自由化のためにGATTに1986年加入します。
GATT−関税および貿易に関する一般協定 [5]
ブレトン・ウッズ協定により自由貿易の促進を目的とした国際協定
ポイント②

ここ(債務危機)で大もうけした人達が、メキシコの経済改革を徹底的に行い、再び、アメリカや日本などの外国から資金を集めることに成功し、再びメキシコの対外債務は増加していった。

その経済改革により、貿易の自由化を目的としたNAFTAに調印したのでした。そして、貿易赤字が拡大して行きます。
NAFTA−北米自由貿易協定 [6]
アメリカ合衆国、カナダ、メキシコの3国で結ばれた自由貿易協定
ポイント③

1982年のメキシコ債務危機に続いて、1994年のメキシコ通貨危機でも、経済破綻を通して、富裕層がさらに富を増やしました。

どちらも、富裕層に良い結果となっており、ショック・ドクトリンの手法が使われたと言われています。

ショック・ドクトリンとは、自然災害や恐怖政治、戦争とかの人に恐怖やショックを与えるような事が起きた後に、「私が解決します」と扇動家が出てきて「これをやれば解決し-ます」といって過激なプランを出すとみんながそれに飛びつくというものだ。
ショック・ドクトリンによって、通常、導入するのをためらわれる市場原理主義に則った政策などが採用されている。

リンク [7]
■メキシコ通貨危機に学ぶ
1982以降、メキシコが辿った道のりは、我々日本と似ているように思われませんか?1985年にはメキシコ地震もあり、ショック・ドクトリンによる経済支配で、アメリカとその背後の金融資本に食い散らかされた感があります。
そして、東北大震災が起こり、原発事故による放射線不安やドル暴落の経済破綻の不安など先行きが見えない中、日本にもショック・ドクトリンが施されているのではないでしょうか?
そうした中で、TPPによる農産物の自由化など、当にその通りの成り行きを辿ろうとしています。
月刊 現代農業 [8]「飢餓を生み出すTPP
農産物貿易の自由化が許されない理由」より

 メキシコ農業の教訓
 2008年、多くの発展途上国において実際にこういうことが起こった。その悲劇は、今年もふたたび繰り返されようとしている。
 メキシコのケースを見てみよう。メキシコの主食は古代マヤ文明以来トウモロコシである。トウモロコシの原産国であり、人類にトウモロコシという作物の恵みを与えてくれたのはメキシコの先住民族である。そのトウモロコシの母国には、1994年に発効したNAFTA(北米自由貿易協定、アメリカ・カナダ・メキシコの3カ国で締結された自由貿易協定)によって、アメリカから大量の輸出補助金付きトウモロコシが安値で流入するようになった。アメリカからの輸入トウモロコシは、NAFTA発効前の1992年には130万tであったが、2007年には790万tと6倍にも増加した。マヤ文明以来のトウモロコシ作地帯であるチアパス州では「NAFTAは先住民族にとって死を意味する」との声明を発した先住民族の反乱も発生した。

現代農業のサイトでも触れられていますが、市場原理での施策が何かを解決することはありません。市場原理の究極は、様々な金融商品など(既に破綻していて明白ですが)大嘘(詐欺)であるからです。特に『生』に直結する食料に関わる「農」に関しては、市場原理を徹底して排除する事が必要不可欠と思います。
今こそ、メキシコの事例に学び、学者やマスコミや官僚にだまされないようしっかりと事実を見据えるときのように思います。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
さて、次回はアルゼンチンについてです。お楽しみに〜

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