2011-09-12

『経済が破綻したらどうなる?』〜1.戦後日本のハイパーインフレ時はどうだったの?〜

米国債デフォルト→世界中の国債が暴落すると、まずパニック買いや銀行取付騒ぎが始まり、デフォルトから1〜2週間で預金封鎖が強行される(但し、ex月50万円までは引き出し可)。
国債暴落とは貨幣価値の暴落と同義であり、あらゆる物価が2倍→3倍→5倍と跳ね上がっていく。この超インフレ状態が、1〜2ヶ月続くだろう。
『経済予測2 超インフレと預金封鎖で旧紙幣は紙屑に。狙いは新紙幣配給による経済のリセット』

 
>過去経験したことがない全世界的な経済破局が、しかもそう遠くない将来(遅くとも数年以内)に起こることは、どうやら不可避のようです。
  
>経済破局が起きたら国民の生活はどうなるのか、国家はどういう政策を打ち出すのか、過去の事例を研究していくところから出発して、その事態を冷静に乗り越える準備をしておきたいと思います。
新シリーズ「経済が破綻したらどうなる?」プロローグ 
       
シリーズ第1回目となる今回は、『戦後日本のハイパーインフレ』を研究したいと思います。
 
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画像はコチラからお借りしました。     
 
戦前・戦後(昭和20年前後)は日本も物価高騰(ハイパーインフレ)に見舞われました。
さて、どのような状況だったのでしょうか??
  
      
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◆状況 
 
ハイパーインフレ 日本の戦前戦後の状況2 物価はどうなったのか?』より
※一部引用者によって要約させていただきました<(_ _*)>

・昭和9〜11年
戦前安定期の最後。
 
・昭和12〜19年
戦時中。この間、普通なら戦時インフレで相当物価が上昇するはずですが、価格統制・配給制・国債発行などの政策で何とかインフレを防ごうとする。しかし、闇市場の発達で、結局は2.5倍ぐらいに上昇しました。実際のハイパーインフレは18年末から始まったと見るべきでしょう。
 
・昭和20〜21年春
終戦前後の期間。B29による焼夷弾空襲によって全国の都市は焼け野原。さらに本土決戦準備のために軍が大量の物資を発注。これによりインフレが発生します。
しかも終戦後、国民は生活の為にそれまでの貯蓄を下ろしにかかり、さらに何をとち狂ったか、政府が軍発注物資の代金を一挙に払ったため、一度に通貨供給量が増えて強烈なインフレになります。庶民は持っている物を少しずつ闇市で売って暮らす「タケノコ生活」。それでも空襲よりはよほどましです。

 
 
◆財政状況
 
☆通貨流通高のグラフ
通貨流通高、日本銀行券(紙幣)+政府紙幣+補助貨幣(硬貨)の市場流通合計金額です。要するに国内にどれだけの現金が流通しているかのグラフです。
  
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画像はコチラからお借りしました 
     
>戦争の為に政府が民間から物資・労働力を調達すると、民間に大量のお金が流れ、それがインフレを引き起こします。そこでインフレを防ぐために、政府にお金が戻ってきて通貨流通量が増えないようにする政策が、国民に国債を買わせると言う物でした。
 
>終戦によってこの政策が取れなくなると、国民としては苦しい生活を何とかするために、一斉に貯蓄を引き出そうとしますから、極端に通貨流通量が増えることになります。こうして戦後のハイパーインフレが起きたわけです。
『日本の戦時債券』より
 
    
◆物価
 
☆東京卸売り物価指数グラフ
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画像はコチラからお借りしました
    
絶対的な物不足の中、生産量を上げるためにお金を供給し続けた結果、ハイパーインフレが起こりました。それでは具体的に主要品目の価格がどうなったのか?見ていきます
 
   
◆エネルギーと食料価格               
 
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画像はコチラからお借りしました
   
17〜18年間で白米は272倍、塩300倍、ガソリン360倍・・・急速に物価が上昇しています。
そんな中、国民生活の実態はどうだったのでしょうか?
 
    
◆国民生活
ハイパーインフレの状況下、物価統制、配給制で、都市部の国民はほとんど食料を手に入れることができませんでした。都市部の国民は公定価格の数倍にもなる闇市の闇値で、食料や生活必需品を手に入れていました。
  
【闇 市(青空市場)】とは・・・
不良在日外国人(第3国人)や戦争の引き上げ者、愚連隊などが、非合法のマーケットを作ったのが、闇市の起こりとされています。
ヤクザたちばかりではなく、多数の一般民もおり、生きるために必要な食料を手に入れる場としてにぎわっていました。また、ヤクザたちが闇市の治安維持の役割を担っていたという見方もあります。余談ですが、アメ横や新宿などの繁華街が、昔は闇市だったというのは驚きですね(◎o◎)

敗戦後、焼け跡の街頭に生まれた闇市は、金さえあれば、何でもあり、並べる傍から飛ぶように売れた。
敗戦の痛手で民衆の食糧難はすさまじく、闇市ではとくに食べ物の売り場が活気を呈した。こめは軍靴、軍服、軍隊毛布などが放出された戦争中から、政府の管理下にあり、自由販売はできなかったが、農村からかつぎ屋が取り締まりの網をくぐって運んできた。
ふかし芋から、カストリ焼酎、衣料、軍需物資などなど、どこから流れてくるのだろう。闇屋の多くは復員兵だった。最盛期の「青空市場」は全国で17,000を数えたという。
昭和20年10月警視庁は闇値を発表。米1升標準価格53銭のものが70円に、砂糖1貫匁標準価格3円75銭が1000円もした。
東京では新橋、上野、新宿など鉄道のターミナル駅の周辺に大きな闇市ができ、そこを舞台に新しいヤクザ組織が生まれた。
1950(昭和25)ごろから、闇市は次第にバラック建ての商店にかわり、戦後の盛り場のもとになつた。
『94才のホームページ』

  
昭和21年の初任給(大卒)は540円でした。(リンク)一家でお米5kgを食べるとすると231円となり、お米だけで家計の半分以上!普通の人は大卒よりも更に給与が低かったと考えると、かなり苦しいですね。 :blush:
 
  
<当時の闇市での売り手の声>

売れはしたが
平成14年12月25日朝日新聞掲載
終戦後の東京はそこここに闇市が立った。
生活物資に飢えていた大衆はいかがわしい物でも、
みんな飛びついたものだ。夫は戦争中、大手の石鹸会社に勤めていたので、せっかくの知識を生かして石鹸を作り売ろうと計画した。
乏しい材料を使って何とか石鹸らしいものが出来上がった。
もちろん今のような滑らかさはないが、薄茶色の棒状の石鹸が幾本か完成した。
一本だけ残してあとは普通のサイズに切り分け、かねて調べておいた新宿辺りで売ったらしい。
値段は忘れたが、瞬く間に売り切れて、夫はえびす顔で帰ってきた。
翌日、その石鹸を取り出した私は仰天した。
何とあのみずみずしかった石鹸にしわが出来ている。
使ってみると、泡も立たず、汚れも全く落ちない。
次の日、その次の日と石鹸は小さく硬くなり続け、ついには、えたいの知れない物体と化してしまった。私は震え上がった。
電話が鳴る度に顔を見合わせた。電話も普及しておらず、苦情を言おうにも、
どこの誰かが売ったのか分かるわけもなかったのにと、後で気がついたが、あの石鹸買った人、ごめんなさいと今でも忘れられない。
東京都江戸川区  金井 幹子  85歳
『声』

  
<当時の困窮した消費者>

敗戦の年である昭和 20 年 ( 1945 年 ) は、天候不順、戦争による労働力不足、粗末な農機具、そして肥料や農薬生産の減少により、米の収穫は例年より 40 パーセント 近くも減少し、明治 43 年 ( 1910 年 ) 以来最悪の不作の年となりました。
しかも敗戦により官僚の統制力が失われ米の集荷も機能せず、農民は収穫した穀物を政府に供出せずに闇の ルート に品物を横流しした結果、配給米が底をつきました。10 月初旬、農林大臣は東京都の備蓄米 ( それも大豆や豆かす入り ) が僅か 3 日分しかないことを知り、驚きました。
大藏大臣は U P 通信社に対して食糧がすぐに輸入されなければ、 1 千万人の日本人が餓死するであろうと述べましたが、この誇張された数字は、その当時間違いないものと受け止められていました。
昭和 20 年末から 22 年 ( 1947 年 ) にかけて日本の食糧事情が極度に悪化して、命の綱の食糧配給も、遅配、欠配が続き、日本政府も前述の如く、 餓死者が出ることを予想した ほどでした。
東京都についていえば、食糧の遅配、欠配が慢性化して、昭和 22 年 6 月には食糧配給の欠配が 30 日にも及びました。その為どこの会社でも従業員は生産よりも生きる為に日々の食糧確保に精一杯で、日本電気 ( N E C ) の三田工場では昭和 21 年 5 月の出勤率は 8 割に満たない状態でした。
『ズルサ』

ちなみに、昭和21年5月19日には、食糧不足に悩む「米よこせ デモ」の デモ隊員が皇居内に乱入する、「食糧 メーデー」が起こりました。
当時の困窮ぶりが伝わってきますね。
 
そういえば、当時は現在に比べて食料自給率が高かったはず・∀・!
ということで、最後に食料自給率と農業従事者数の推移をデータで見てみましょう(*´∀`)ノ☆+゜
 
  
◆食料自給率
 
☆日本の食糧自給率の推移 
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画像はコチラからお借りしました
     
☆日本の農業従事者の推移
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画像はコチラからお借りしました
  
昭和35年(1960年)は食料自給率(カロリーベース)が79%あり、農業従事者も総就業者数の内半数近くを占めていました。食料自給率は高くても、そもそも戦後ということで米の全量が足りなかったゆえに困窮していたのですね。
また、食料自給率40%を切り、農業従事者も10数%という現在、破局が訪れたら、当時の混乱を上回ってしまうかもしれないなぁと感じました
 
 
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以上、戦後のハイパーインフレを振り返ってみました。
次回はこのハイパーインフレ対策として行われた預金封鎖、新円切り替えについてご紹介します♪♪
ご期待くださ〜い

List    投稿者 mikan | 2011-09-12 | Posted in 01.世界恐慌、日本は?4 Comments » 

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