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『実現論 序』:市民運動という騙し、民主主義という騙し(上)

前回は、金貸し達が支配する市場社会で新しい社会を生み出していく実現基盤は、『力の原理から共認原理への統合原理の転換』と、『古い私権社会の中に新しい勢力=共同体企業の創出と拡大』であることを明らかにしました。
『実現論 序』:私権時代から共認時代への大転換(下) [1]
今回は「新しい社会=共同体社会を実現してゆくにあたって、これまでの変革運動がなぜ社会を変えることができなかったのか」を見ていきます。
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 60年安保闘争(国会議事堂包囲)  全共闘運動(安田講堂前大集会)
 画像引用元:大室寅之祐の鍔 [3]     画像引用元:報道写真 [4]
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【市民運動という名のペテン】

過去、’60年安保闘争にせよ、’69年全共闘運動にせよ、大衆の願いは実現された例がない。さらに遡れば、明治維新やフランス革命も同様であって、実現されたのは、金貸し(金融勢力)支配の体制だけであり、それらの革命に身を投じた若者たちは、金貸しに乗せられ踊らされてきただけであった。
それも当然で、すでに序2で明らかにしたように、近代社会を動かしているのは金融勢力であって、決して大衆ではないからである。従って、「市民運動」は、甘言で染められたペテンであると断じざるを得ない。しかも、この甘言を信じた結果、多くの有為の若者が出口のない袋小路に追い詰められ、自滅していった。これは騙し、それも、社会変革のすべての可能性の芽を摘み取る、皆殺し的な騙しである。
実現論:序3.市民運動という騙し、民主主義という騙し(上) [5]以下同じ

◆商人達による私権拡大のための革命〜フランス革命〜
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 第三身分(平民・商人)による国民議会の宣言
 画像引用元:ウィキペディア [7]
18世紀後半のフランスは、3つの身分から成るアンシャンレジーム(旧体制)と呼ばれる社会体制を採っていました。3つの身分とは、聖職者(第一身分)・貴族(第二身分)・平民(第三身分)で、聖職者・貴族の2身分は特権階級と呼ばれ、あらゆる税が免除されていました。
イギリス・オランダではすでに商人国家が成立済でしたが、フランスは未だ旧体制をとっていたため、商人はそこに新たな私権拡大の可能性を見出しましたが、自由な商業活動のためには、貴族特権の剥奪のみならず身分制そのものを廃止する必要がありました。
そこで利用したのが、度重なる対外戦争や、アメリカへの独立支援、宮廷の浪費によって重い課税を強いられて不満が高まっていた平民でした。商人達は先に成功したアメリカ独立革命のように『第三階級とは何か?=権利の主張』を用いた世論形成によって平民に特権階級を打ち倒させ、身分制度を崩壊させ、新たな私権獲得への道を拓いたのです!
(参考:フランス革命 〜商人達による私権拡大のための革命〜 [8]
フランス革命の事例でも明らかなように、市民運動があたかも成功したかのように見えても、それは結局は金貸し支配が確立されただけで、身分制度の奴隷が市場(金)の奴隷となっただけなのです。つまり、常に金貸しに利用されていただけで、市民運動が本当に実現したことは今まで一度もなかったのです。
つまり、市民運動とは完全なる騙し=ペテンに過ぎなかったのです。

その後、市民運動は、’70年、貧困の消滅(豊かさの実現)を契機に急速に衰弱していった。つまり、市民運動は、貧困の圧力→私権圧力が強いときにはそれなりに盛り上がり、私権圧力が衰弱するや否や衰退していったわけで、これは、市民運動が私権欠乏をエネルギー源にしていたという証である。
私権欠乏に立脚している限り、どれだけ市民運動を続けても、私権社会が永久に続くだけであって、私権社会から共認社会への転換など、実現するわけがない。
同じことは、それらの運動を導いてきた思想についても言える。
マルクス主義を含む近代思想を生み出したのは、金貸し(金融勢力)である。ところが、市民運動の活動家たちも、同じ近代思想に立脚している。
同じ思想に立脚しながら、社会を変革することなど出来るわけがない。
あるいは、こうも言える。市民運動の活動家たちは、もっぱら大衆の意識の変革に期待してきた。逆に云えば、彼らは「大衆の意識」以外に何の実現基盤も持ち合わせていなかった。
しかし、現実の大衆は、金貸しが支配する検定教科書とマスコミによって、ほぼ完全に近代思想に染脳されてしまっており、近代思想に代わる新たな思想なしには、大衆の意識が変革されることなどありえない。

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市民運動が貧困の消滅によって衰弱したことからも明らかなように、私権欠乏に立脚している限りは私権社会が永久に続くだけです。また金貸しが創り出した近代思想を掲げても、金貸しの思うままにしかならず、大衆意識に期待したとしても、大衆は教育(学者)とマスコミによって近代思想にどっぷりと洗脳されており、意識変革ができない状況です。
近代思想に代わる新たな思想なしには、社会変革など出来るわけがないのです。
では、新たな思想を生み出す可能性はあるのでしょうか?

本当に社会変革を実現するには、まず、大衆の意識潮流を掴み、そこにどのような実現可能性があるのかを摘出しなければならない。ところが、彼らは、あたかも大衆に期待しているかのようにひたすら大衆に訴えかけていたが、実は、彼らが大衆の意識潮流を深く追求した痕跡はどこにも無い。これでは、本当の所は、大衆にさえ何も期待していなかったのだと言わざるを得ない。要するに、彼らは、自分に都合のいいイデオロギーを大衆に押し付けようとしていただけであり、彼らに在るのは、甘言で染められた自己正当化のイデオロギーだけであった。
大衆の意識を注視し続けていた私は、45年前、活動家たちに対して、マルクス主義に代わる新理論の必要を提起した。しかし、新理論の構築に取り組もうとした者は、(ごく少数を除いて)殆ど誰もいなかった。そして、次々と、大企業に就職し、あるいは学者になっていった。その後、彼らに残されたのは、社会変革に対する深い不可能視だけである。
それだけを見ると、彼らは本気で社会変革を実現する気などなかったようにも見えるが、むしろ、近代思想に代わる新理論の構築は、不可能に近いほどの超難課題であったということだろう。

活動家のこれまでの歴史を振り返ってもわかるように、近代思想に代わる新しい思想の構築は不可能に近いほどの超難課題なのです。
そこで新しい思想の構築を考える上でも、改めて大衆はなぜ現実に社会を動かすことが出来なかったのかの総括が必要となります。
【金貸しの暴挙にお墨付きを与えるだけの議会】

今、改めて、大衆はなぜ現実に社会を動かすことが出来なかったのかを総括すると、その原因は、大きく分けて二つある。
まず一つは、すでに序2で明らかにしたように、古代であれ近代であれ、私権社会は力の原理によって統合されており、力の頂点に立つ武装勢力や金融勢力が、官僚や神官(学者やマスコミ)を支配し、彼らが大衆を法制支配+共認支配することによって、現実世界を動かしているという厳然たる事実である。
従って、この支配構造を突き破るためには、その力の原理をも根底から解体してゆく新しい統合原理の実現基盤が発掘されなければならない。
その実現基盤こそ、’70年貧困の消滅によって実現された、私権原理から共認原理への転換である。
しかし、それだけでは不十分で、大衆が社会を動かすことが出来なかった原因はもう一つある。
それは、人々の変革期待をそこに収束させ、封印してきた議会と民主主義である。
上記の支配構造において注目すべきは、古代も近代も、支配構造が基本的には同じであることだが、さらに注目すべきは、その中での古代と近代の違いである。
古代と近代の一番大きな違いは、社会の統合力=制覇力が、武力から資力に移行したことだが、もっとも注目すべきことは、それに伴って、議会が登場したことである。
では、学者やマスコミが近代民主社会の象徴or要として称揚して止まない議会というものは、社会統合の仕組み上、どこに位置しているのか?
古代と近代の二つの時代の統合=支配の仕組みを図解化してみれば分かるが、驚くべきことに、議会は王侯・貴族と、まったく同じ位置にくる。
しかし、改めて考えてみれば、近代でも実権は官僚機構と教宣機関(大学とマスコミ)が握っており、議会は、王と同じく、名前だけのお飾りになっていることは周知の事実である。

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社会を変革できなかったのは、武装勢力or金融勢力が大衆への法制支配と共認支配によって社会を動かしていたことと、今までの王侯・貴族とまったく同じ位置に入れ替わったものが議会と民主主義だからです。選挙によって選ばれた議会(議員)も、結局金融勢力にお墨付きを与えているだけに過ぎません。(そもそも4年に1度の選挙で、民意が反映されているとは到底思えませんが。)

市場社会では、本当の権力は金融勢力が握っている。金融勢力が官僚と学者とマスコミを支配し、彼らを通じて大衆を近代思想に染脳した上で、その大衆に選ばせたものが議員である。当然、左も右も金貸しの操り人形ばかりとなる。
したがって、議会とは、金貸しの操り人形たちの演舞場に過ぎない。
したがって、民主主義の建前上「国権の最高機関」たる議会の役割は、当然のことながら、金融勢力の暴走行為にお墨付きを与えることだけとなる。
事実、議会は中央銀行制度をはじめ、第一次・第二次大戦、バブル経済等、すべての主要な局面で、金融勢力の暴走にお墨付きを与えてきただけであった。

◆金融勢力の暴走にお墨付きを与えるだけの議会〜第一次世界大戦のアメリカ参戦〜 [11]
 撃沈されたルシタニア号
 画像引用元:ウィキペディア [12]
アメリカが参戦するには、議会の承認が必須条件となっていました。そこでドイツ潜水艦によるアメリカ客船撃沈が故意に見過ごされ、アメリカ国民の”反戦”世論が参戦に大きく傾きました。この機を捕らえて大統領ウィルソンは、議会に参戦を提案します。上院も下院も圧倒的多数で、参戦を支持しました。こうして、1917年4月、アメリカはドイツやオーストリアに対して宣戦を布告、参戦しました。
第一次世界大戦は、アメリカ政府を国際紛争に巻き込み、巨額の融資を銀行団から受けさせるために金貸しによって目論まれたものだったのです。
(参考:裏の支配勢力史6 第一次世界大戦〜ナチス〜RIIA〜CFR〜BIS [13]
日本では、自民党からの政権交代で期待されていた民主党はどうなったのか?政策面では意気揚々と事業仕分けを掲げたもののほとんど成果は上がらず、子供手当ての予算も赤字国債でまかなったほどです。さらに脱アメリカ(脱金貸し支配)を狙ったものの、その旗印の小沢は献金問題でマスコミに叩かれて下ろされました。
つまり、議会はもはや金貸しの言いなり=お墨付きを与えるだけの機関に過ぎないのです。
今回の記事で、「市民運動はペテン」であり、「大衆の変革期待を霧散させるのが議会と民主主義」であることが明らかになりました。
では何も実現出来ない、それどころか人々の変革期待を霧散し続けてきた民主主義とは、いったい何だったのか?次回は民主主義について追求していきます。
最後まで読んで頂いてありがとうございます☆
このブログの『実現論 序』のシリーズ
近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機(上) [14]
近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機(下) [15]
私権時代から共認時代への大転換(上) [16]
私権時代から共認時代への大転換(下) [1]
市民運動という騙し、民主主義という騙し(上) [17]

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