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【幕末維新の代理人】代理人認定#6 〜トーマス・ブレーク・グラバーの陰謀2〜

【幕末維新の代理人】代理人認定#5 〜トーマス・ブレーク・グラバーの陰謀〜 [1]
に引き続き、今回もグラバーを扱います。グラバー商会の倒産とは何を意味していたのか?
その辺りを考えてみたいと思います。
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改めて、
【幕末維新の代理人】代理人認定#5 〜トーマス・ブレーク・グラバーの陰謀〜 [1]では、
>新政府(明治政府)成立後、グラバー商会は倒産するが、グラバーは三菱財閥の顧問に転進する。
>これはグラバーの商売替えだったのではないだろうか?
>戦争屋グラバーが、武器代金の焦げ付きや、鉱山投資の失敗で、倒産の憂き目にいあうのだろうか?
>ロスチャイルドの代理店としての三菱に鞍替えしたと考えるのが自然であろう。
とありました。さて実際はどうだったのでしょうか?三菱(=権力者)が絡んでいることもあり、なかなかその辺りの史実を示した文献が無い(=意図的に改竄又は抹消されている可能性が高い)のですが、幾つかの現象事実から推理してみたいと思います。


●グラバー商会が倒産?
グラバー商会は1870年(明治3年)、明治維新政府の誕生と同時に10万ドルの負債を理由に倒産している。
表向きに(教科書的に)は・・・グラバーは、薩摩長州連合と幕府との内戦を予期し、多量の武器弾薬を上海経由で仕入れていた。(武器弾薬の多くは上海の倉庫に貯蔵され、輸出を待っていた。)薩摩藩から武器代金を回収し、これによって仕入れ手形代金を決済する予定だったが、幕府は早々と降参してしまい、グラバーは武器の仕入れ代金を決済することができず、倒産してしまった・・・と言うことになっているが、なんとも怪しい 🙄
そもそも薩摩長州連合と幕府との内戦を裏で手を回し仕掛けたのは他ならぬグラバー自身であることは先の【幕末維新の代理人】代理人認定#5 〜トーマス・ブレーク・グラバーの陰謀〜 [1] で明かだ。この一件では確かに赤字は出したのだろうが、二の次、三の次の手を考えておくのが商売人だ。これで倒産して破滅するほど金貸しは柔じゃない。
しかも、負債額が10万ドル。これは現代で換算すると20億円程度。多く見積もってもその倍だ。茶からはじまり、艦船、石炭(炭鉱経営)、武器弾薬等、手広く稼いでおり、現代で言えば間違いなく一流企業のトップクラスであったはずであろう商社=グラバー商会が20億円程度の負債で倒産すると考える方が難しいだろう。
※ちなみに、グラバーの手引きによりイギリスに密航し留学した長州藩の5人の若者たち「長州ファイブ」は、今の価値で10億円とも推測される彼らの留学費用の大部分をグラバーの勤めるマセソン商会の社長、ヒュー・マセソンが負担している。10億円を簡単に負担できる程の企業が、20億円程度の負債で潰れるのかってこと!
そう考えると、この倒産の背景には別の理由が存在するはずだ!
その別の理由とは・・・
●グラバー商会倒産後のグラバーはどうしていたか?
会社が倒産して食えなくなったので、祖国スコットランドに帰りました・・・なんてことはしていない。はたまた親会社であるマセソン商会に拾われて下っ端として働きました・・・ってことにもなってない・・・
グラバー商会は出資面で深く係わっていた高島炭鉱と長崎造船所を岩崎弥太郎(後の三菱財閥)に譲渡し、資産と経営を含めて最終的には三菱財閥に引き継ぎがされている。今度は弥太郎を隠れ蓑としてしっかり次の金稼ぎにプロジェクトに邁進していた。事実、グラバーは明治26年に住居を東京に移した時に、三菱の特別役員となっており、その際には最高役員の二割増しの破格の給与を得ているのだ
グラバー商会倒産後、三菱財閥はイギリス政府、マセソン商会との繋がりが深くなっているが、これはグラバーがその潤滑油として大きく貢献していたことが伺える。
※ちなみに、キリンビール、三菱のグループ企業であることは皆さんも知っての通りだが、キリンビールは元々『スプリング・バレー・ブルワリー』(経営者はアメリカ人)と言うビール会社を買収したことからはじまっている。そしてその買収にもグラバーは一役買っているのをご存じか?

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トーマスグラバーとビール会社 [2]
グラバーなくしてキリンビールの設立は無かったであろう
アメリカ人ウイリアム・コンブランドによりビール会社を横浜居留地に設営していたが経営不振から売りに出されていた。その会社の名前は「スプリング・バレー・ブルワリー」   
そこで、三菱の弥之助は治外法権の下にある会社を買収するには日本人には許されないので三菱のザ・ヤトイのグラバーを使って買収することになった。
何故弥之助は蔭でビール会社設立を狙ったのだろうか 三菱の経営の多角化を図る弥之助は海運業・炭坑経営・造船業だけではなく 不平等条約の改正によりビールの輸入関税が引き上げられることによりビールの輸入が激減するだろうと予測して、不平等条約改正前にビール会社を設立することが急務であった。
だが、これは、誰からも三菱が裏で操ってることを察知されてはならなかった。なぜなら治外法権を守ろうとする諸外国と 治外法権を撤廃しようとする日本政府の不平等条約改正交渉の妨げになることをどちらからも察知されればこのビール会社設立は頓挫するのは間違いない。
だから三菱のザ・ヤトイのトーマス・グラバーは黒子に徹することになる。
何故ならば、グラバーが取締役に就任すれば弥之助の居留地産業に触手を伸ばす野望が発覚することを恐れたからである。
会社名「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」と登記されたが5名の取締役の中にはグラバーの名前は無かった。
また株主の中にもグラバーの名前は無かったのです。
しかし、弥之助はぬかりはなかった。
なぜなら三菱の息のかかった外国人株主によって全株式の45%を占めていたのだ。
外国人と日本人の橋渡しとしてまたは弥之助の手足となってグラバーはビール会社設立へ奔走しグラバーの力なくしては、三菱の息のかかったビール会社設立などできなかったであろう。 
これが後に明治40年設立された麒麟麦酒株式会社と成るのである。

●グラバー→岩崎弥太郎の何故?
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グラバー商会の謎の倒産→岩崎弥太郎(三菱財閥)の裏でグラバーの暗躍、これは何を意味しているのであろうか?
これまで【幕末維新の代理人】代理人認定シリーズ
【幕末維新の代理人】代理人認定#1 伊藤博文〜日本最初の総理大臣は、金貸しによって作られた〜 [3]
【幕末維新の代理人】代理人認定#2 井上馨 〜攘夷→開国→倒幕→欧化政策 結局守ったのは己の利権?〜 [4]
【幕末維新の代理人】代理人認定#3 五代友厚 〜近代日本市場は西洋金貸しとその代理人によりつくられた〜 [5]
【幕末維新の代理人】代理人認定#4 大久保利通 〜大久保利通が作った体制は金貸しに貢献したが、彼は代理人だったのか〜 [6]
を扱ってきたが、タイトルが示す通り、維新を起こした幕末の志士達は金貸しの意に操作された代理人であったことがわかった。しかしながら現代でも尚、その事実を知らずに彼らを英雄視している者が大半である。“日本維新の会”なる政治政党も昨年に誕生しているが、これなどはまさにそのことを端的に示している事例だろう。
幕末の維新を起こしたのは“志の高い日本人”だと思い込んでいる・・・
この事自体がまさに金貸しの狙いであると言うことだ。誰だって支配されるのは嫌だ。それが外国人であるならば尚更だろう。いかに外国人が力を持っていようが、外国人からの指示・命令では不満分子溜まり、何れ爆発することになる。だから直接的には日本人を矢面に立たせ、外国人である金貸し達は間接的に係わることを選択した訳だ。
・・・そして金貸しの思惑通りに“日本人によって”新政府が樹立した。これは金貸し達から見たら“市場が開放された”と言うことに他ならない。
では、市場が開放された日本において、金貸しの次なる手はなんであったか?そう、それが“日本人による市場の占拠”だ。そして勿論その日本人とは(外国人である)金貸しの代理人のことだ!
・・・で、理解できただろう。グラバー商会の謎の倒産→岩崎弥太郎(三菱財閥)の裏でグラバーの暗躍・・・の意味が。

日本において、体制の変化が起きているとすれば、
それは日本人だけから端を発しているように見えなければならない
 
         〜アーネスト・サトウ〜

嗚呼・・・やっぱりグラバーは
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