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近代市場の成立過程(9)〜中間まとめ 金貸しの台頭と教会支配の衰退〜

Posted By tsuji1 On 2012年6月18日 @ 11:00 PM In 08.金融資本家の戦略 | No Comments



「近代市場の成立過程」シリーズ、今回はこれまで8回のおさらい、近代国家成立の直前までを、
1.共認統合の中枢「カトリック教会・ローマ教皇
2.武力で領土を支配した封建領主の長「国王」(代表的存在としての神聖ローマ帝国・皇帝
3.商人や手工業者など市民と呼ばれ、後の金貸しへと繋がる人々
4.彼らに正当性の思想的根拠や大衆共認の基盤を築いた「近代思想家・芸術家」
これら4者を軸に展開します。
(1)プロローグ [1]

今回のシリーズでは、近代市場の黎明期から現代まで、各時代にどのような思想が生み出され、それがどのような意識潮流を生み出し、近代市場が拡大していったのかを探っていきます。



(2)〜近代市場の誕生前夜・富豪の台頭⇒現代通貨制度の原型が形成される〜 [2]
ローマ・カトリック教会はフランク王国との共存関係によって力を増していきました。
ゲルマンの一部族、フランク王国は現在の独仏より大きな領土を獲得したものの広大な領地を治めるために教会の権威を欲し、一方のローマ教会もビサンツ帝国を後ろ盾に持つ東方正教会に対抗するためにもフランク王国の力が必要でした。
こうして、双方の利害が一致し、800年ローマ教皇レオ三世はフランク王国のカール大帝にローマ皇帝の冠を授与したのです。これが「神聖ローマ帝国」の始まりです。
そして、その頃、教会が必要としたもう一つの勢力が台頭してきました。献金≒徴税の代理人、後の金貸したちです。

旧西ローマ帝国および西ヨーロッパ世界では、8世紀前半までには生産物の10%を教皇に収める慣習が根付いていました。
これに目を付けたイタリアの両替商は、農業生産性が上がった11世紀頃からイングランド・フランドル・シャンパーニュなどヨーロッパ経済の先進地帯や主要都市に進出をして、十分の一税の徴税・輸送業務や為替業務をも合わせて行うようになります。

中世ヨーロッパは封建制度により戦争・土地争いが一段落し、安定状態にありました。その結果、生産活動に注力でき農業技術が進化し生産性の上昇し、人口が増大していきました。さらに増大した余剰生産力が商業や手工業を発展させ中世都市が登場しました。
この頃、教皇と皇帝との間に亀裂が生じはじめました。安定下で力をつけてきた封建領主や皇帝らが教会の人事権を強め、教皇選挙にも影響を及ぼすほどになっていました。いわゆる叙任権闘争です。
その頃、教皇と皇帝の緊張状態が続く中、イスラム(セルジューク朝)によって危機に瀕したビサンツ帝国皇帝がローマ教皇をとおして西ヨーロッパの君主や諸侯に救援を要請しました。ビサンツ帝国皇帝からの依頼は叙任権闘争の渦中にある教皇にとって、皇帝権に対する教皇権の優位を確立し、さらに、1054年に断絶していた東方正教会を教皇の手で再び吸収統合するための絶好の機会となりました。
十字軍の遠征はイスラムの侵略を阻むためだけではなく、ローマ教皇の権力拡大のために始まったのです。


権力を拡大したのは教皇だけではありませんでした。十字軍の遠征により商人たちはネットワークを東方にも拡げ、教会や皇帝に対抗し自治国家を築き通貨発行権まで獲得したのです。中でもローマ教会の金庫番、フィレンツェでは莫大な富が蓄積されていきました。



近代市場の成立過程(3)〜ルネサンスの先駆者ダンテが金貸したちにもたらしたものは… [3]
1273年、神聖ローマ帝国ではルドルフ1世がドイツ王となりました。スイスの一貴族だったハプスブルグ家が初めて神聖ローマ帝国の支配者となったのです。
当時、神聖ローマ帝国は勢力をイタリア北部に拡大し、ローマ教皇領まで脅かす勢いでした。一方、北イタリアの諸都市では、金貸したちが神聖ローマ帝国から自治権を奪い、コムーネ=自治都市を築いて行きました。中でも最も栄えた都市、フィレンツェの商人の子として1265年ダンテが誕生しました。
自治都市内では皇帝派と教皇派に分かれ金貸し同士のなわばり争いが勃発し、政治家として争いに敗れたダンテはフィレンツェを離れ、教会批判を始めました。

政治批判に留まらずローマ教皇や皇帝すら地獄に堕とす記述は、新興勢力の金貸したちの反権力意識を正当化させていきました。さらに教会の権力を否定する根拠として人間主義・聖書主義を唱え、その後のルネサンス芸術や宗教改革に大きく影響を与えています。

さらに一人の女性(しかも妻ではない)との関係を美化し、恋愛観念を正当化しました。

ダンテの登場は金貸したち都市住民に文学を解脱様式として定着させ、反権力、脱カトリックの正当化や、それらの根底のエネルギーである「性愛」を美化させ加速していったのでした。



近代市場の成立過程(4)〜メディチ家はなぜ栄えたか? [4]

教皇庁のメインバンクとして14世紀に急速に力をつけたのが、メディチ家です。
中でもジョヴァンニ・デ・メディチ(1360〜1429)は政財学の基盤を作り、金貸しが権力の座を狙い始めたのでした。

生涯を通じてメディチ家発祥の地であるムジェッロに、広大な土地を長年かけて購入していたことも注目に値する。彼はただ都市部の上流階級との人脈を作ればよいと思っていたわけではない。市内の労働者や市民のほかに、周辺農村にも支持基盤を着々と築いていたのだ。
また、ジョヴァンニは「名門」の条件を手にいれるために、嫁とり、息子の教育にも力を入れ、特に跡継ぎのコジモには英才教育を施した。性急に銀行実務を教えこもうとはせず、当代一流の学者を呼び寄せ、学問芸術の雰囲気に親しませた。

15世紀にジョヴァンニの息子、コジモはフィレンツェの実質的な王にまで上り詰めました。

「世論」形成に一役買うのが、ウマニスタと称する自由職業の知識人である。(略)ウマニスタたちは世俗的かつ革新的で、教会公認の神学と思想的に整合しない。巨大な財力を持つ商人が、彼らの思想に共感と理解を示し、資金を出してくれて、金は出すが口は出さないというパトロネージの理想を実現してくれれば、いうことはないのだ。(略)
こうして メディチ家に出入りする学者・知識人が質量ともに増加し、それがメディチ家を擁護する世論の形成に重要な役割を演ずることになる


近代市場の成立過程(5)〜ルネサンス:金貸しによる恋愛観念の布教 [5]

15世紀にフィレンツエで最盛期を迎えたメディチ家は、現代も名の残る多くの芸術家のパトロンとなり、イタリア・ルネサンスの芸術文化を大きく開花させてゆきます。
彼らは富の誇示と政治的理由で芸術家を育てました。

ルネサンスとは、莫大な富を蓄えた商人・金貸しが、その資金によって何万人に一人の天才を集め、恋愛観念とそれを正当化する思想を欧州全域に広めた時代だと言えます。
 
これは、まず、芸術家・知識人・建築家といった知的エリート(茶坊主)という存在にお墨付きを与えました。そして、彼らにつくらせたルネサンス作品を通じて、快美欠乏が欧州の人間たちの間に広がり、性市場→商品市場をさらに拡大する原動力となってゆきました。これが、羅針盤や印刷技術といった技術開発(※技術そのものは既に中国etcにあり、実用化したのがルネサンス)とあいまって、大航海時代に繋がったと考えられます。
さらに、ルネサンス芸術は教会美術を扱うなどいまだ力を持っていた教会勢力と共存を図りながらも、人文主義者らが構築した正当化の論理とセットになった異教的な作品や思想を世に送り出すことで、少しずつ教会の思想的権威を弱体化させていったのです。こちらは、数十年後に訪れる宗教改革の種を育んでゆきました。そしてこれらは全て、パトロン=商人・金貸し勢力の力をさらに強めることに貢献したのです。

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1453年、東ヨーロッパの中心・ビサンチン帝国がオスマントルコに滅ぼされました。この出来事は近代ヨーロッパへの転換点とも言われています。

一つは大量の文化人が首都コンスタンチノープルから脱出しローマを目指し、それがルネサンスを加速させました。コジモ・デ・メディチは自身が創設したプラトンアカデミーにトルコから逃げ延びた多くの学者たちを庇護しました。

二つ目にオスマントルコの西方進出により貿易ルートが絶たれ、ベネチアやフィレンツェなどイタリア北部の金貸したちの力が衰えていきました

三つ目は神聖ローマ帝国やローマ教皇に対抗するフランス王国がオスマントルコと手を結び、ローマ教皇が窮地に立たされていきました。



近代史上の成立過程(6)〜マキアヴェリの思想とその影響 [6]
貿易ルートを失い劣勢に立たされたイタリアの都市国家に登場した外交官出身の思想家、マキアヴェリは

「君主論」で、時には宗教にそむく必要もあるとして政教分離を説く。ルネサンスの自然回帰の風潮も相重なり、教会による観念支配の弱体化にさらに拍車がかかった。

政治権力を握り始めた商人にとって都合のいい思想であり、後のアフリカやアメリカ侵略で異人種は殺戮するのも正当化されるように利用されていきました。



ハプスブルグ家は1486年スペイン王となり、16世紀にはオランダやハンガリーまで拡大した神聖ローマ帝国とともに西ヨーロッパ最大の勢力となりました。しかしながら、ハプスブルグ家は盤石な基盤を持ち得ませんでした。ドイツ国内は選帝侯が力を持ち皇帝への権力集中を拒む中、1519年隣国フランス王が神聖ローマ帝国の皇帝選挙に出馬したのです。
窮地に立たされたハプスブルグ家を支えたのは巨商フッガー家です。ベネチアとの貿易で財を成し、ハプスブルグ家の一族ティロル公への融資と引き替えに銀山を譲り受け急速に勢力を伸ばしていました。彼らは、スペイン王カルロス1世が選帝侯を買収するための資金を援助したのです。買収合戦に勝利したカルロス1世はカール5世として皇帝に選ばれました。
その頃、フッガー家は衰退したメディチ家に替ってローマ教皇に多額の貸し付けを行っていました。1500年、フッガー銀行を設立。十分の一税や免罪符の取り扱いを行い教会にもしっかり根付いていました。
フッガー家の皇帝支援の真の狙いはスペインにありました。



近代市場の成立過程(7)〜大航海時代を実現した金貸したち〜 [7]

オスマントルコに地中海やトルコを押さえられ、アジアとの貿易ルートを失った金貸したちは、新ルート開拓が死活問題となっていました。

この頃のスペイン、ポルトガル王国ともにレコンキスタ(国土回復運動)で戦争続き。その軍費は国王が商人や金融業者から調達しており、借金まみれでした。

ポルトガルが後押しするヴァスコ=ダ=ガマによって喜望峰〜東インド航路を開拓し、アフリカ西海岸を押さえ、一足遅れたスペインは西へ向かわざるを得なかったのです。
そこに目をつけたジェノバの商人です。1492年、コロンブスに投資。カトリック修道会の支援で教皇の許可をとりつけてコロンブスは航海へ出たのです。
次いでスペインに登場したのはフッガー家です。1519年、フッガー家の莫大な融資でカルロス1世が神聖ローマ帝国皇帝になったその数ヶ月後にマゼランを支援して世界一周へと出航しました。スペイン王カルロス1世(=カール5世)は反発する封建領主を鎮圧し絶対王政を確立。イベリア半島に残存するイスラム勢力を駆逐し、イタリアやドイツで苦境・財政難の自身とカトリック=ローマ教皇の権益を確保したのです。
しかし、大航海の背後にはオスマントルコだけでなく、宗教改革という大きな圧力が存在していました。それらが大航海の勢力をも変化させていきました。

(ローマ教皇)
海外侵略を強力に後援。宗教改革の嵐に晒されていたカトリック教会は相次いで成立したプロテスタントに対抗するために海外での新たな信者獲得を計画。
⇒占領した領土で布教活動
(商人)
大航海初期、国家や商人が大航海へ出るには教皇の許可が必要であったが、宗教改革による教会権力の失墜。
⇒独自で大航海が可能に
⇒教会を通さず直接国家に金を貸す(国家と結託)
大航海時代以降、侵略交易、戦争(植民地抗争)が常態化し、商人は莫大な富を蓄積していきます。また、封建制度下での農業主義から、中央集権体制による市場主義への転換点となり、大航海時代の後期では商業国家オランダ、イギリスが台頭していきます。こうして経済を市場中心で動かす市場経済が確立していきます。



近代市場の成立過程(8)〜近代思想の原点となった宗教改革→新たな金貸し勢力の台頭 [8]

ルターの宗教改革(1517年)当時、ローマ教皇はフィレンチェのメディチ家出身のレオ10世でした。
当時のローマ=カトリック教会は、自らの権威の象徴である教会の改築費用を捻出するため、贖宥状(免罪符)の販売を大々的に行い始めます。

財政難のためフランスやドイツで免罪符の販売を始めようとしましたが、封建領主の利権を直撃するためローマ教皇に対する強い反発が生じました。そのような状況下でルターやカルヴァンを支持したのは有力封建領主である選帝侯や商人たちでした。

ルターの「万人祭司」の思想、そしてカルヴァンの「予定説」によって、教会権力の否定⇒聖書主義を提起し、さらに個人の労働⇒資本蓄積を認める思想が、教会権力に対抗する形で提起されました。また活版印刷の技術をこの思想宣伝に利用する事で、大衆世論の獲得にも成功しました。これが追い風となって、十字軍の流れを汲んだ新たな金貸し勢力が台頭していきました。
 
その結果、旧権力者であった教会や財閥(フッガー家etc)への抵抗勢力=個の立場や資本蓄積を認めるプロテスタントの勢力(とそれを支援する新たな金貸し勢力)が一気に拡大⇒離散し、それらの流れの一派がオランダやイギリス建国へと繋がっていきました。
近代思想としての個人主義や資本主義の原点とも言える思想が、宗教改革という名目によってこの時代の新たな金貸し勢力から登場したということになります。

宗教改革の嵐が渦巻くドイツ・オランダで苦境に立たされた神聖ローマ帝国皇帝のハプスブルグ家やローマ教会は、大航海で活路を見出そうとしましたが航海費用や借金の高利払いで消え、スペインの栄華も長くは続きませんでした。
フッガー家もハプスブルグ家と一蓮托生であり、融資が焦げ付き、ともに衰退していったのでした。



ここまでをまとめると、
・教会が武力支配者=神聖ローマ帝国を盾に共認支配、利権を奪う。
(ローマ教皇、神聖ローマ帝国、フッガー家)
・十字軍遠征や遠隔地貿易で商人たちが武力に替わる新しい力=資本力で台頭。
・当初、商人は教会にすり寄りながら利権を確保し、一方で、その財を思想家・芸術家をかき集めルネサンスなどキリスト教から脱した思想=人間主義を構築していった。
・さらに、力をつけた新興商人たちや封建領主らが教会と神聖ローマ帝国に反発。宗教改革とは脱ローマ教会・脱神聖ローマ帝国を実現するための商人たちの正当化観念となった。
・武力支配に替わり登場した商人たち(代表はメディチ家)も、両替商や貿易商は不安定な商売だったため当初は、土地を求め貴族=領主となって安定した基盤を確保。さらにはローマ教皇にまで上り詰めたメディチ家のように古い序列に収束していました。
・次に登場したフッガー家は教皇・神聖ローマ帝国に資金を提供しながら利権を拡大し、莫大な財を築きましたが、宗教改革を経て新興勢力に敗れ去りました。彼らも所詮、古い武力支配・共認支配にすがっていたにすぎません。

 そして新興勢力は脱ローマ教皇(カトリック)・反神聖ローマ帝国で金貸し主導の国家を設立するにいたったのです。次回からは彼らがイギリスやオランダでどのように新たな活路を見出していったのかを探ります。


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