2016-12-29
世界を動かす11の原理-2~「エネルギー利権」を巡る争いに巻き込まれたロシア~
メソッド第1から第4の原理は割愛して、『第5の原理:「エネルギー」は「平和」より重要である」からその具体事例を紹介します。
2014年のいわゆる「ウクライナ革命」:通称オレンジ革命は、「欧米が画策した」とプーチンが公言しています。世界を揺るがす革命や戦争は、そのほとんどが「闇の支配者」が首謀者であることは、これまでこのブログでも紹介してきました。
今回もほぼ間違いないことだと思います。その目的が「エネルギー利権」獲得であることも。
その手口も既にお馴染みで、当該目的を達成することができる中枢機関に、「闇の支配者」の要人が入り込みコントロールするというスキームです。オレンジ革命の場合は、首相の対抗候補を擁立し、広報戦略で大衆を洗脳するというやり方。またその後、エネルギー界を支配している巨大企業の中枢に要人を送り込んだ。
このやり方に、プーチンは激怒。
「国家の主権に対して武力を使い、同盟を組むのが常套手段だ。我々に賛同しないものは、我々の敵だとみなす。攻撃を合法だと装い、国際機関の必要な決議を破り、様々な理由で都合が悪くなれば、国連、安保理をすべて無視する。」と主張。その通りだ。
最近噂されている「米国大統領選挙でのトランプ擁立への不正選挙疑惑」は、もしかしたら、これまで自国周辺でやられてきたことに対する仕返しではないか?とも思える。
以下、「クレムリン・メソッド」~世界を動かす11の原理~(北野幸伯著)
からの紹介です。
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■2014年2月の「ウクライナ革命」は欧米の仕業か?
2014年2月に起こった、ウクライナの革命。これは「欧米が画策した」という説があります。少なくとも、プーチンやロシア政府高官たちは、そう公言しています。
「動機」については、少しあとで。
何はともあれ、このウクライナ革命について、その経緯を振り返ってみましょう。
ウクライナは旧ソ連国。ソ連が崩壊した1991年に独立した国です。しかし、その当時から現在まで、政治も経済も安定していません。
理由は、ウクライナの「位置」にあります。ウクライナの東には、大国ロシアがいる。そして、西はポーランドに接する。つまりEUがある。ソ連が崩壊したあと、「アメリカと西欧諸国は、「ロシアが二度と反抗できないようにしてやろう!」と決意した」とロシアは見ています。
どうやって?
二つの道具、すなわち、反ロシア軍事ブロックNATOとEUを東に拡大することで、ロシアの勢力圏を徐々に奪っていった。そして、NATOとEUはついに旧ソ連諸国のバルト三国を加盟させ、ロシアの西隣に接するウクライナまで迫ってきました。
欧米は、その勢力圏をさらに東に延ばしたい。一方ロシアは、ウクライナでNATOとEUの拡大を阻止したい。
そのため、ウクライナは、欧米の影響力の強い西部と、ロシアが強い東部に分かれて争いが続いてきたのです。
2004年11月、ウクライナの大統領選挙で親ロシア派のヤヌコビッチ(当地首相)が勝利しました。しかし、「不正選挙」を非難する大規模デモが起こったため、ヤヌコビッチは再選挙に同意。結果、親欧米派のユシチェンコ(当時元首相)が逆転勝利しました。これを「オレンジ革命」と呼びます。
その後、ウクライナの政治動向について、日本ではあまり知られていません。
実を言うと、2010年の大統領選挙では、親ロシア派のヤヌコビッチが「前回の借り」を返して勝利。念願の大統領に就任したのです。もちろん、プーチンは大喜びでした。
しかしその後、大統領になったヤヌコビッチは、ロシアと欧米の間を「行ったり来たり」し始めます。そしてヤヌコビッチは、とうとうEUとの関係を強化する貿易・政治協定(いわゆる欧州連合協定)に調印することを宣言しました。
ところが2013年11月、「事件」が起こります。ヤヌコビッチはその協定の調印を「ドタキャン」し、EUを驚かせたのです。
直後、プーチンはウクライナに150億ドルの支援と天然ガス価格の値下げを約束しました。
要するに、ヤヌコビッチは、プーチンに口説かれて(脅されて)変心したのでしょう。これに、親EU派のウクライナ国民(主に西部の国民)が激怒。首都キエフで大規模なデモが起こった。
2014年2月22日、身の危険を感じたヤヌコビッチは、キエフを脱出し、ロシアに逃亡。「革命」によって、親欧米派の新政権が誕生しました。
これに怒ったのが、プーチンです。