2012-08-15

米国はどのように衰退してゆくのか?(12)米国産業の行く末は?その1 南北戦争後に重厚長大産業が勃興、財閥が形作られる

これまでのシリーズで米国ドルの覇権通貨確立から、近年の世界各国におけるドル離れ、そして金融市場の縮小に至る過程までを扱ってきました。金融経済は今、縮小の一途を辿っています。
2008年の住宅バブル崩壊を皮切りに、住宅ローンが証券化された債権が暴落、信用不安からさらに多種の債権に飛び火して、アメリカを代表するベアスターンズやリーマンブラザーズが倒産に追い込まれたことは記憶に新しい所です。
現在では、その煽りを受けた欧州諸国が、国債バブル崩壊の危機に晒されており、ギリシャやスペインなどの国債金利の動向には、欧州発の経済恐慌に突入する可能性を多分に含むがゆえに、世界が注視せざるを得ない状況に陥っています。
このように金融経済が全面的な行き詰まりを迎える中、金融経済亡き後の姿を抑えておくことは、米国の行く末を予測する上でも重要な課題だと思われます。特に戦後の米国においては、金融経済が米国を支えてきたと言っても過言ではありません。
よって、今回を始めとして3〜4部作の予定で、米国の実体経済=産業に焦点をあてて米国の将来像を予測していきたいと思います。
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まず、米国の実体経済はどのように発展してきたのか、その内容と共に時代背景を押さえ直す所からスタートしたいと思います。
 アメリカの産業、つまりは工業化が進んで生産力が向上したと言える時代はいつになるのでしょうか?
答えは、南北戦争(1861〜1865年)の時代にまで遡ります。
それまでは広大な国土を生かした農業が中心でしたが、19世紀半ばよりイギリスに続いた呼称として「第二次産業革命の時代」が訪れます。
例えば、1890年の国勢調査で、初めてアメリカの工業生産高が農業生産高を上回り、丁度前後して当時のイギリスを抜いて世界一位の工業国になりました。
そして、1913年には、アメリカはなんと一国で世界の工業生産の3分の1以上を占めるにまで至っています。
南北戦争の軍需景気もあって一気に技術力が向上し、重厚長大型の産業が発展した流れ。
これが、アメリカの産業史を押さえる上でまず大きなポイントになります。

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画像はこちらからお借りしました

以下に詳細を見ていきます。
◆鉄道の急速な延伸、それが重工業産業発展の基盤になる
・南北戦争の開戦直後から、戦争需要も相俟って鉄道が目覚しく発展していきます。
1830年代に始まった鉄道建設は、1862年には議会が最初の大陸横断鉄道用に公有地を確保することを決定し、鉄道建設のペースに拍車がかかります。鉄道は広大なアメリカの各地域を結び、市場を拡大させると共に労働力の原資となる移民の広がりを加速させました。また、鉄道の建設は、石炭や鉄、鉄鋼の需要を生み出し、その後の重工業の急速な発展に貢献します。
・鉄道の延伸数値を見ると、1860年に合衆国合計で49,002kmだったものが、1870年に84,662km、1880年には149,282kmへと、10年毎にほぼ倍近い延伸を実現していったことが分かります。
・中でもジェイ・グールド(1836-1892)や、鉄道王と呼ばれたコーネリアス・ヴァンダービルド(1794-1877)は有名。中でもヴァンダービルドは、アメリカ陸軍の輸送にかかわる利権をもとに、鉄道の一大帝国を築きました。彼が死亡した時の遺産は1億ドルに達したが、1880年の統計では、アメリカの国立銀行の総預金額が8億3,400万ドルだったので、その1割以上を所有していたことになります。
 尚、今では金融王のイメージが強いモルガン家も15社の主要鉄道会社を支配していました。
◆イギリスの製鉄技術を生かした鉄鋼業の発展
・スコットランドからの貧困移民であるアンドリュー・カーネギー(1835-1919)が有名です。
1860年代より石油、電話、鉄道と新しい時代の中心産業となる事業に次々に投資していましたが、イギリスでヘンリー・ベッセマーが開発した新たな製鉄方法から丈夫な鉄鋼の製造が可能になったことに将来の需要を見出します。
 石炭王:ヘンリー・フリックを脇に従え、ペンシルベニア州のピッツバーグに大規模な製鉄所を設立。(石炭は鉄を溶かす際に重要でした)従来の製鉄された鉄は硬すぎて脆い為、巨大建造物を支えることができなかったのが、製鉄技術の向上により鋼鉄(スティール)の生産が可能になり、また、工場での大量生産、鉄道での大量輸送により時代は確実に進化しました。
 カーネギー製鋼会社はアメリカの鉄鋼の25%を生産し、1901年に金融王のJPモルガンに売却されることになります。
◆1859年の石油の発掘、そして自動車産業の発展を受けて一大産業へ
・1859年8月、エドウィン・ドレークという人物がペンシルバニアのオイルクリークという場所で、石油掘削に成功するや、石油の生産量は飛躍的に増加。
1859年に2,000バレルにすぎなかったが、翌年には50万バレルに達します。
10年後の1870年には、アメリカだけで530万バレル、世界全体で580万バレルに達します。
・丁度その頃、石油王として有名なジョン・ディビソン・ロックフェラー(1839-1937)が台頭。
1870年にスタンダード石油会社を設立し、1880年頃には全国の製油業の約90%を支配しました。
・もともと街灯や部屋の明かりに使用された灯油も、1882年に発明王:トーマス・エジソンがローアーマンハッタンに中央発電所を設立し、マンハッタンに電灯を灯すようになり、電力に取って代えられます。
・その後は、大衆自動車の時代が来たことから、ガソリン需要がロックフェラーに莫大な富をもたらしました。
立役者は、エジソンの生涯の親友として知られる自動車王:ヘンリー・フォードで、自動車生産の効率化を図り大量生産を始めました。
◆ミシンの発明により、洋服の大量生産が可能に
1,800年代の半ば頃から、1851年に設立されたシンガー社によって自動裁縫機が発明され、洋服の大量生産が可能になりました。
以上、見てきた通り、19世紀の半ばからアメリカでは産業革命の波が訪れ、重厚長大型の産業が勃興する時代でした。そして、それによって現代でも米国富豪の総資産ランキングの2位ロックフェラー、3位カーネギー、4位ヴァンダービルトが占めるように、財閥の原型が形作られた時代とも言えます。

南北戦争後のアメリカは、イギリスの産業革命の影響を受けて、国内の潤沢な資源(石炭、鉄鉱石、石油など)を生かして自足可能な産業群を発達させてきた時代でした。そしてまた、産業群の発達と共に財閥群が形成されていった時代でもあります。
この後、アメリカは産業の発展を進めると共に、遂には産業革命で先行していたイギリスに追いつくまでに至ります。
その後のアメリカ産業はどのように進化を遂げていくのでしょうか?
続きは次回記事にご期待下さい。

List    投稿者 wabisawa | 2012-08-15 | Posted in 未分類 | No Comments » 

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