2007-09-06

財私有の絶対化、近代経済思想

今回は、時事的な動向ではなく、経済思想にかかわることを扱って見ます。

日本の冨(資産)が、簒奪されていく。その簒奪は、具体的富の簒奪だけではない。近代経済思想による洗脳を介した、価値観(思想)の簒奪でもある。

17世紀からはじまる近代自由主義経済は、個人及び企業(集団)の財(土地や生産設備、お金)の私有を大前提にしている。

個人(集団)が、所有する財を『私的判断』で『自由』に活用し、新たな物を生産し、消費する市場(市場社会)が成立する。そして、個人(集団)の『私的判断』は、市場の需給関係=市場原理によって調整される。

個人(集団)の『私的判断』(自分勝手)を正す機能が、市場に備わっているとするのが、近代経済学の思想である。

所有する財の活用について、所有者の絶対的権限を認め、財の活用で経済的に成功するも、失敗するも、それも含めて『自由』という根本的な考えである。

このような、近代経済思想(欧米の経済思想)に対して、原理的な異論が出されている。

著名なところでは、イスラム経済思想である。

イスラムにおける経済思想では、財の所有者は「神」であり、人間は絶対的な所有者ではなく、神の代理人として、財を活かす立場である。

同じような考え方は、日本の経済思想にも登場する。

日本マレーシア協会の理事を務めている坪内隆彦さんのHP「アジアの声」から、その一端を紹介します。
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  投稿者 leonrosa | 2007-09-06 | Posted in 08.金融資本家の戦略3 Comments »