2012-06-04

世界を操る支配者たち(4)〜欧州貴族ハプスブルグ家

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これまでこのシリーズでは「世界を操る支配者たち」を紹介してきました。

第1回〜ロスチャイルド家

第2回〜20世紀を支配したロックフェラー家

第3回〜イギリス大英帝国繁栄の歴史

 

そして今回は、ハプスブルグ家です。

ハプスブルグ家とは、現在のスイス領内に発祥したドイツ系貴族の家系。大雑把に見て実に7世紀に及び覇権を握り続けた、他に類を見ない王家です。古代ラテン人の有力貴族であるユリウス一門(カエサル家)の末裔を自称(捏造?)しています。

 

ウィーン、プラハ、ブタペストといったヨーロッパ文化を象徴するような都市が形成されたのは、ハプスブルグ家の力が大きいと言われています。その中で最も有名人といえば、フランス国王ルイ16世と結婚したマリー・アントワネットではないでしょうか?無類の浪費家と言われ、フランス革命では、旧体制の象徴として処刑されました。このマリー・アントワネットはオーストリア系ハプスブルグ家の出身なのです。

 

ハプスブルグ家の歴史を語る上で、神聖ローマ帝国は外せません。

神聖ローマ帝国とは、962年に東フランク王国のオットー1世がローマ教皇から「ローマ皇帝」の冠をもらった事に始まり、1806年まで西ヨーロッパに存在した連邦国家です。現在のドイツ、オーストリア、スイス、チェコ、イタリア北部に位置していました。

 

この帝国の特徴は、数多くの諸公国(バイエルン、ザクセン等)、地方伯領、辺境伯領(ブンデンブルグ等)、さらにはボヘミア王国、イタリア王国等の大小様々な国家から成立していることで、中央集権国家ではなくさらに皇帝の地位は世襲制でもありませんでした。そのため13世紀初頭に有力な神聖ローマ帝国皇帝がいない、大空位時代が発生すると、選帝候と呼ばれる人々が皇帝を選ぶことが慣例化されます。

強大な力を持つようになった選帝候達は、本音では自分の上に立つことになる皇帝を選びたくなかったため、大空位時代が40年に渡ることとなります。

 

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しかしそれでは神聖ローマ帝国という枠組みがなくなってしまうので、1273年、選帝候から見て「害はない、扱いやすい」として、ハプスブルグ家のルドルフ1世が皇帝に選ばれたのです。( 元々ハプスブルグ家は、スイス北東部(バーゼル近郊)の国境付近を領有する田舎の一領主にすぎませんでした。)

 

ところが予想に反して、ルドルフ1世は強大な力を活用するのです。例えば、自分の皇帝即位に異を唱えたオタカル2世を「皇帝に逆らう反逆者」としてマルヒフェルトの戦いで破り、その領土であるオーストリアを獲得したのです。以来、ハプスブルグ家は、オーストリアに根を下ろすことになります。

しかしそのためしばらくハプスブルグ家からは皇帝が選ばれませんでした。代わってルクセンブルグ家が皇位を手に入れたのです。(ここではルクセンブルグ家については省略します。)

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(さらに…)

  投稿者 goqu | 2012-06-04 | Posted in 08.金融資本家の戦略1 Comment »