2020-10-25

【金による新基軸通貨】1980年、金を巡る闘いでデル=バンコが米財務省・IMFに圧勝

1980年1月、デル=バンコの金価格操作によって、金1オンスが850ドルという最高値に高騰した。これは金を巡るデル=バンコVS米財務省・IMFの闘いの結果であり、勝利したデル=バンコは世界中の金をかき集めた。一方、米財務省とIMFは完敗し、FRBの金庫の金は空になったらしい。

『Electronic Journal』2008年07月18日「1980年の金高騰の裏事情」の要約。
--------------------------------
1979年9月――金1オンスが850ドルになる6ヶ月前、IMF委員会は次の2つの決定をした。
1.金公定レートを廃止する
2.金の一部を競売にかける
特に2はIMFと米財務省が保有する金の一部を投げ売りすることを意味する。

ゴールドプランで中央銀行から金を借り、低利であることを前提に、それを売却して営利の事業に注ぎ込んでいた米国の中枢を担うチェース・マンハッタンやJPモルガン、バンク・オブ・アメリカは急速に値上がりする金の価格に経営が窮地に陥っていた。いかに低利でも金の価格が上がるとそれに応じて利息の額が急拡大したから。
米財務省とIMFは、保有する金の一部を競売にかけて、金の価格を下げようとしたのではないか。

デル・バンコ一族は、デリバティブを通じたレバレッジの手法で金の釣り上げを仕掛けたのに対し、合衆国財務省やIMFが大量の金を放出して何とか金価格を下げようとする。まさに金の戦争。そして、総額20兆ドルを超える巨額な資金がCOMEX市場に投入されたが、金の価格は一向に下がらず、米財務省とIMFはこの戦いに敗れ、金の価格は850ドルに達する。

1980年1月21日、金の価格は850ドルという記録的な高値をつけた日の午後、カーター大統領が、合衆国は「世界最強の国家であり続けるために必要ないかなる代価も支払わなければならない」という声明をだした。その後、金の価格は下落し、1985年までに金の価格は300ドル前後になり、1997年末には300ドルを割り込んだ。つまり、8年間に金は60%以上も安くなった。

この戦争は、デル・バンコ一族による金の吸い上げではないか。
まず、中央銀行の所有する金を「金リース/ゴールドプラン」(そもそもこのプランはデル・バンコ一族のアイデア)によって市場に誘い出し、それをデル・バンコ一族が吸い上げる、これが第1段階の金集めである。
その後、米財務省の保有する金地金とIMFの金が金価格を下げるために市場で出てきたところを再び吸い上げる。これが第2段階。
このようにして、デル・バンコ一族は世界中の金を集めた。

米国の金塊蓄積所は、ニューヨーク連銀の地下金庫室と、ケンタッキー州フォートノックスにあるFRBの地下金庫室に保管されていると言われている。日本や世界の弱小国の保有金もフォートノックスの地下金庫室にある。しかし、その日本の金も含めて米国の金はほとんどなくなっているという情報がある。1980年の金戦争の結果、米国は完敗し、金はほとんどなくなって金庫室は空になったという。
------------------------------

  投稿者 tasog | 2020-10-25 | Posted in 05.瓦解する基軸通貨No Comments » 

【金による新基軸通貨】ドルショック後のデル・バンコの仕掛け(中央銀行の金を低利で貸し出させる)

1980年1月、デル=バンコの金価格操作によって、金1オンスが850ドルという最高値に高騰した。これは金を巡るデル=バンコVS米財務省・IMFの闘いの結果であり、勝利したデル=バンコは世界中の金をかき集めた。一方、米財務省とIMFは完敗し、FRBの金庫の金は空になった。

その前提として、中央銀行の保有金を金融市場に引っ張り出すというデル・バンコの仕掛けがあったらしい。

以下、『Electronic Journal』2008年07月17日「中央銀行から低利で金を借りる」の要約。

1971年のドルショック(ドルの金交換停止)でブレトンウッズ体制が崩壊。
それによって金の先物市場とデリバティブという金融技術が生まれた。
直接的な理由は、金が固定相場制から変動相場制になり、変動に対するリスクヘッジが必要になったためであるが、金の先物市場は、金の現物取引を縮小化させ、現物の金を使わないで金価格に影響を与える。つまり、現物の金を使わないでも、これによって、金の価格操作が可能になった。実際の金の生産量は年間2500トン。先物市場で取引される金は1日800~1000トンに達する。
また、本来、防御的手段であったヘッジが投機手段に変質し、実際に金の現物を保有していなくても非現実的な水準まで金の価格を上下させるこの金融技術、これをデリバティブを通じたレバレッジと呼ぶ。

それを可能にしたのが、デル・バンコが仕掛けた「金リース/ゴールドローン」である。
中央銀行は大量の金準備を単に保有しているだけでは利益が得られない。
ロンドンとチューリッヒで金の現物取引をしているデル・バンコ一族が、中央銀行に知恵をつけた。中央銀行が保有する金を特定の銀行に貸し出して、その利子を受け取るというもの。利率は通常年利1~2%で、「金リース・レート」と呼ばれた。

中央銀行の金塊が当時の金相場の1~2%という低利で借りられる。チェース・マンハッタンとJPモルガン、ゴールドマン・サックスとリーマン・ブラザーズがこの金の借入れに加わった。
これがデル・バンコ一族の仕掛けの第一段階である。

銀行や投資銀行は、中央銀行から金を借りた金を金鉱山会社に3~4%の利率で貸出した。金鉱山会社は借入れた金は採掘をした金で返済できるので、金現物を売却して現金を入手できる。この金の借入は低利で現金借入と同じである。

1975年の金先物市場COMEX開設までに大量の金を集める必要があり、その手段の一つが、中央銀行の金を動かす「金リース/ゴールドローン」だった。
このゴールドローンの構想が出たのは1973年頃。そのときの金の価格は年平均で「1オンス=約100ドル」前後と安く、かつ金リース・レートは1~2%という低金利。中央銀行から金を借り入れた銀行や投資会社は、金鉱山会社に貸出しするだけでなく、その金を売却して他の事業に回した。

しかし、これはデル・バンコ一族の仕掛けた巧妙な罠だった。
COMEXの開設後、金の価格はじわじわと上昇を始め、1973年には1オンス=97ドルだった金価格は1975年には162ドルに上昇する。
この罠に陥ったのは、米国の中枢を担うチェース・マンハッタンやJPモルガン、バンク・オブ・アメリカなど。これらの銀行は、金利が2倍→3倍4倍になり、経営を圧迫するようになった。そして、1975~1979年にかけて今度は米財務省とIMFが大量の金を売るという動きに出たが、1980年に金の価格は「1オンス=850ドル」に暴騰。
これを仕掛けたのはデル・バンコ一族であり、敗北したのは米財務省とFRB、および米国の中枢を担う大銀行である。

  投稿者 tasog | 2020-10-25 | Posted in 05.瓦解する基軸通貨No Comments » 

【金による新基軸通貨】デル・バンコはNYの金先物市場(COMEX)も支配している

デル・バンコはロンドン金価格(LME)を決めるだけでなく、NYの金先物市場(COMEX)の金価格も操作しているらしい。

以下、『Electronic Journal』の要約。
2008年07月15日「1980年1月の金高騰の謎」
2008年07月16日「デル・バンコ一族の凄い実力」
2008年07月08日「スイスの小鬼たちの暗躍」

●デル・バンコ一族は、ロンドンとチューリッヒで金の現物取引をする。その本拠地は、イタリア北部のロンバルディアであり、そこにあるスコシア・モカッタ銀行。しかし、デル・バンコ一族は、税金のかからないベネチアに資金を移して、現在はそこを活動の拠点としている。

英国のロンバート街の世界最大手の銀行はスタンダード・チャーター銀行(SC)だが、ロンバート街のSCは英国支店に過ぎない存在であり、ヨーロッパ全体を対象とするのは、イタリアのロンバルディアにある銀行スコシア・モカッタ銀行。この銀行は、SCの本店に当たる。

ロンバルディアの銀行は、本店を税金が課されないベネチアに置いている。過去800年間にわたってベネチアの金融界を支配してきたのがデル・バンコ一族。デル・バンコ一族は、課税を逃れるため、ヨーロッパでは、ウォーバーク銀行を経営しています。このウォーバークは、ロスチャイルド家のポール・ウォーバークに深い関係があり、1913年にポール・ウォーバークは米国に渡り、米国のウォール街に指示してFRBを創立した。

現在、デル・バンコ=スコシア・モカッタ銀行は、ロンドンで金の取引を独占。ロンドンの貴金属取引所――ロンドン・メタル・エクスチェンジ(LME)の「黄金の間」と呼ばれる部屋において、毎日デル・バンコ一族を中心とする5つの銀行(業者)が集まって、国際的な金の価格が決められている。

●金の先物市場の創設を仕掛けたのもデル・バンコ一族。その中核部隊がBIS(国際決済銀行)。BISはユーロダラー市場を支配しており、世界の銀行の自己資本比率をコントロールしたりと、私的銀行であるのに「中央銀行の中の中央銀行」といわれているが、BISの幹部のほとんどは、デル・バンコ一族。

BISは、ソ連からの金塊の大部分を受け入れる窓口になっていた。ソ連は金塊を国際決済銀行に持ち込んでユーロダラーを受け取り、工業製品や化学製品を西側から輸入していた。そして、金塊はここからスイスの三大銀行に流れるようになっていた。

デル・バンコ一族は、金の先物市場創設に当り、金を集めるための布石として、中央銀行の金塊を貸し出させる制度を創設した。紙幣と同じく、金も単に保有しているだけでは利息は稼げない。1980年代初頭にデル・バンコは、中央銀行に対して「金リース/ゴールドローン」や金の先物売りによって儲ける方法を考え出した。

COMEXで取引される金は、実際に金鉱山から出てくる金の数百倍におよぶ。実際にはありもしない現物の金地金をさも大量にあると偽って、多くの人をカジノに誘い込む変動為替相場制を利用した為替ヘッジ(通貨デリバティブ市場)である。
1980年1月21日、金の価格は「1オンス=850ドル」という空前絶後の価格となった。

鬼塚英昭氏は、金価格高騰を仕掛けた仕手集団は、「デル・バンコ一族」であるという。

  投稿者 tasog | 2020-10-25 | Posted in 05.瓦解する基軸通貨No Comments »