2013-03-14

お金はどこから生まれてきたのか?〜第4回 中国での“貨幣”の登場♪〜

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皆さん、こんにちは♪
【お金はどこから生まれてきたのか?】シリーズも今回で4回目になりました
今までアップしてきた記事はこちらからどうぞ^^
第1回 プロローグ
第2回 パプアニューギニアでの貝貨の使われ方
第3回 中国、殷の時代に宝貝はどのように用いられたか?
前回は、殷では、パプアニューギニアで友好の証として贈られた宝貝が国家統合のしくみに組み込まれ、支配服属の関係を補強するために使われていたことを明らかにしました☆
今回は、部族連合の神権国家が解体された周の国家で、宝貝の使われ方がどのように変化していくのか?を追求してみたいと思います♪

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●中央集権国家【周】の誕生☆
 
周は殷に支配されている氏族の1つでした。
紀元前1050年頃、周の武王が殷周革命を起こし、600年以上続いた殷王朝が滅亡しました。

そして紀元前十一世紀後半、周の武王、その軍師・太公望呂尚率いる諸侯の連合軍が殷軍と一大決戦を行い、殷はその戦いに敗れた。(牧野(ぼくや)の戦い)こうして殷王・紂は斬られ、殷に代わって周が中心政権となった。この王朝の交代は「殷周革命」と形容されるように、大きな変革があった。生産も軍事も奴隷に頼っていた体制が殷のそれだったのに対し、周は封建制をとった。牧野の戦いで勝利をおさめた後、周は本拠地の宗周が西にかたよりすぎているので黄河中流の洛陽(らくよう)のあたりに成周をつくって副都とした。そして、外敵に備えるために各地に血族や功臣を封じた。彼らに国を建てることを認め、周の諸侯としての地位を保証し、一方で周王に対して貢ぎ物をささげ、必要に応じて軍隊を提供する義務を負わせた。この封建制によって、いざという時も殷の場合のように孤立無援になることはないと考えたのである。
http://eikorekken.client.jp/history-w/kagami-1/china/history/3.htm

周は、殷のように部族連合のままでは、力をつけた氏族が出てきた時に、また戦乱が起こってしまうと考えました。そこで、信頼のおける者たち(血族など)を首長として各国に派遣し統治する「中央集権制」を取るようになります。これにより、結束力の強かった各氏族共同体の弱体化に成功しました。そして、神権政治の幻想力は次第に弱まっていったのです。
 
ちなみに、太公望、皆さんご存知ですよね^^?釣り好きの人の代名詞としても有名ですが、軍師として仕えて活躍した人なんですね☆彼も、後に斉という国に首長として派遣され、統治したのだそうです。

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では、周の文化面はどうだったのでしょうか?
●周は殷の青銅器技術や祭祀・儀礼の形式を継承した☆

殷が滅んだ後、その貴族や有力な氏族は、主として成周に集められ、その他は唐・衛・魯など、周から新たに入植した諸侯に分属されました。しかし、それらは「殷の七族」「殷の六族」と呼ばれるように氏族組織のまま移動しており、かれらはなお東方系氏族としての伝統を維持しました。
かれらは殷代からの祭祀官としての伝統を持ち、周代になっても史や作冊などの祭祀官は彼ら東方系出自の氏族が任命されました。
これらを成周の庶殷といいました。
また殷の余裔は各地に分割配分されましたが、陝西の地に移されたものも多かったらしく、かれらはその職能と技術をもって周に仕えました。
周の文化度は低く、彝器(いき)文化の伝統は、依然として東方系諸族の手中にあり、周は彼らに服事して文化の吸収をはかりました。よって彝器文化の第一期を殷周期と呼んでいます。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/china/point18.html

この時代の文化は、彝器(=主に祖先神を祭る行事に使われる青銅製の器)が沢山作られたことから、彝器文化と呼ばれています。周は、負け組の殷の末裔から祭祀や儀式の整備と、青銅器の精製及び装飾技術を吸収していったと考えられます。殷の末裔を専門の技術者として採用することで、青銅器技術を向上させていったのです。
 
さて、殷では、国家統合の仕組みの中で祭祀や呪術の際に、王から氏族の長に、そして氏族の長から家臣への報奨として用いられた宝貝。周ではどのように使われていたのでしょうか?
 
 
●西周末期で、宝貝が幻想価値や呪術的価値を失っていく★

 また殷時代の宝貝の出土量は、前述の「婦好墓」の6880点を除いて、一般の墓は1点で、100点をこえるものは非常に少ない。しかし、西周になると、婦好墓から出土した量にはおよばないものの、ほとんどが数十点から100点前後であり、1点だけ出土する墓は非常に稀となる。貝を下賜する風習ばかりでなく、貝を口に含ませたりする特殊な葬風や、馬具における貝飾りの風習なども、殷時代後期と西周時代前期では共通した要素である。西周前期ころまでは、宝貝の供給は依然として続き、その希少価値と呪術的価値をもって墓へ副葬する意義を十分に保っていたのであろう。
 また西周時代前期から中期にかけて、「王、某に貝□朋を賜う、もって尊彜(宗廟の銅器)を作る」という、殷末期にみられた宝貝を下賜されたことを名誉として、記念として彜をつくる金文が多く現れる。宝貝は、財宝的意味と葬制にともなう重要な地位を占めていたが、流通経済を背景とした貨幣的意味あいは希薄であったと考えられる。
P19「貨幣の誕生—宝貝と厭勝銭—」西谷大

周の前半は、殷の時代と変わらず宝貝は呪術的役割で用いられ、王からの報奨として使われていました。まだ、神権政治の幻想力も残存していたので、宝貝が重宝されていたのです。
 
しかし、西周末期になると、宝貝の使われ方が変化します。西周末期のある青銅器の銘文に、『矩伯という人物が、十塊の田でもって、参内し謁見するさい用いる皮衣を手に入れた。これは宝貝80朋の価値をもつ玉璋(玉器の一種)に相当する。また三塊の田で、宝貝20朋の価値をもつ二枚の赤色の虎皮、二枚の鹿の肩掛けと一枚の色の混じった前掛けと交換した』とあります。このことから、宝貝がどの程度流通していたかは別として、明らかに宝貝がものの価値を固定する尺度になっているのが分かります。さらに、時代が進むと、こういった宝貝賜与形式の金文がほとんど見られなくなります。
 
これらより、王からの贈与品として次第に宝貝が貴重性や権威性をもたなくなったことが類推できます。(参照:P20「貨幣の誕生—宝貝と厭勝銭—」西谷大)
 
東周の時代になると、宝貝に代わって、青銅製のものが大量に出土するようになります。
これは何を示しているのでしょうか?
 
 
●贈与品が、幻想価値を持つ宝貝から実用価値を持つ青銅器へ移行した★
 
これは、王が贈与品として渡すものが、次第に幻想価値を持つ宝貝から実用価値を持つ青銅器に変わっていったことを示しています。
 
殷から青銅器製作集団を引き継いだ周は、事あるごとに銘文を記した青銅器を諸侯に与え、自らの権威のよりどころとしていました。諸侯、卿大夫、士という身分秩序の象徴として所有する礼器の数が重要視されていくようになるのです。(http://www.narahaku.go.jp/exhibition/sakamoto.html
 
周の初めには青銅器を作る技術が王侯貴族に限定されていましたが、春秋戦国時代になると部分ごとに分かれた鋳型からそれぞれの部分を組み合わせて完成品を作るという技法〜分業制によって、複雑な形の青銅器の大量生産が可能になりました。(http://chinaalacarte.web.fc2.com/seidouki-7.html)その結果、青銅器を持てる層が、少しずつ拡がっていきました。そして、徐々に農機具や武器などの日用品にも青銅器が使われていくようになります。
 
 
●交換市場が定着→交換ツール:青銅銭の登場♪
 
青銅器の大量生産が実現できるようになると、兵士の上位層に銅剣など青銅製の武器が少しずつ行き渡るようになります。青銅器は最先端技術だったので、他にもその武器を必要としているところはいくらでもあります☆そこで、殷の生き残りが剣を自ら行商に行くようになっていきました。また、さらに必要のないものを買い取り、売り歩く者たち(=商人)も登場したのではないでしょうか。青銅製の武器はみんなが一番必要とするものなので、だんだんと「銅剣1本と皮を交換するには、皮をいくら払うか?」「銅剣1本と米を交換するには、米をいくら払うか?」など、銅剣が物々交換の価値基準となっていったのではないかと思います。刀剣がさらに普遍化され、持ち運びがしやすいように小型化・軽量化されるようになっていったのが「刀銭」であり、これが初めての貨幣:青銅銭の登場となるのです♪

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但し、これは上記のような斉・燕・越などの戦乱地域の話で、魏・韓・趙などの農耕地域では鍬や鋤などの農具が取り引きされるようになり、それを小型化・軽量化した「布銭」が使われたそうです。
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貨幣が登場しただけで、すぐにみんなに共認され、流通が始まるかと思いがちですが、実はこれだけでは貨幣経済は確立しないんです!
それは何故か?、とっても気になりますよね〜^^
次回、そこを明らかにするので、お楽しみに〜

List    投稿者 mihori | 2013-03-14 | Posted in 未分類 | No Comments » 

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