2013-09-03

【幕末維新の代理人】代理人認定#7 岩崎弥太郎〜金貸しの間接統治者「三菱」を創った男〜

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「日本において、体制の変化が起きているとすれば、それは日本人だけから端を発しているように見えなければならない」
「事実、その変化はわれわれの考え方と異なる仕方でおきるかもしれないがそれが真に恒久的なものであり、且つ有益なものであるためには、徹頭徹尾、日本的性格という特徴を帯びていなければならない。」

 
(1866年4月26日、ハモンド外務次官からパークス在日公使館宛文書・・・遠い崖−アーネスト・サトウ日記抄3『英国策論』 より転記)

#1 伊藤博文〜日本最初の総理大臣は、金貸しによって作られた〜
#2 井上馨 〜攘夷→開国→倒幕→欧化政策 結局守ったのは己の利権?〜
#3 五代友厚 〜近代日本市場は西洋金貸しとその代理人によりつくられた〜
#4 大久保利通 〜大久保利通が作った体制は金貸しに貢献したが、彼は代理人だったのか〜
#5 〜トーマス・ブレーク・グラバーの陰謀〜
#6 〜トーマス・ブレーク・グラバーの陰謀2〜
 
 
このシリーズは「幕末維新の代理人」をテーマに、近代以降における金貸しの日本支配の構築過程に着目。実際に金貸しの代理人=エージェントとして動いていたであろう人物達に焦点を当て、これまで語られなかった幕末維新の背景を明らかにし、現代も続く「間接統治」という金貸しの支配構造を明らかにするための調査・分析を綴ったものである。
前回のシリーズエントリーで、グラバーと岩崎弥太郎との関わりを最後に触れた。
岩崎弥太郎と言えば、三菱の創始者としてあまりに有名な人物である。三菱のエンブレム(スリーダイヤ)も、日本人なら誰もが知っていると言っても間違いではない。それくらい三菱というブランドは国民に浸透している。
岩崎弥太郎は、幕末から明治にかけて活躍した人物であり、三菱は彼の存命期に急成長を遂げた財閥である。岩崎と三菱が明治期に急速に台頭した事実と、グラバーという金貸しの主犯格との密接な関わりは、決して無関係でないことは、容易に推察できる。
そこで今回から数回は、この巨大資本「三菱」と、その創始者である「岩崎弥太郎」にスポットを当て、これまで明るみに出ることのなかった歴史の裏側を観て行きたい。今回は、まずはそのアウトラインから。

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1.明治期に突然登場した三菱
 
まずは、導入としてウィキペディアを参照いただきたい。
 
 
三菱重工、三菱商事、三菱東京UFJ銀行(以左が三菱御三家と呼ばれる)、三菱自動車、三菱電機、三菱地所、三菱製鋼、三菱化学、三菱マテリアル、三菱ふそう、三菱食品、三菱総合研究所、日本郵船、東京海上日動、明治安田生命、ニコン、旭硝子、キリンホールディングス、大日本塗料、などなど、関連企業の銘柄と数を見れば、三菱グループの巨大さが一目でお分かりになるだろう。
 
 
さらにこの写真
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(写真はこちらよりお借りしました)
驚くべきことに、東京駅と皇居を結ぶ丸の内エリアの土地とビルのほとんどを、三菱は所有している。
 
三菱以外にも、三井や住友など同様の財閥は他にもあるが、これほど東京駅前の一等地を所有しているものは、いないだろう。
 
しかも、三菱はその中でも一番若い。三井や住友が三百年以上の歴史をもつ旧家であるのに対して、三菱は幕末の動乱期から明治にかけて政商として巨万の富を得て急成長した財閥である。
 
この時期、なぜ三菱のような若輩が急成長を成し遂げることが出来たのか?
そして「政商として巨万の富を得た」とは、一体どういうことだったのだろうか?
 
岩崎=三菱は、坂本龍馬の海援隊を引き継ぎ土佐商会として海運事業をスタートさせる。そして後藤象二郎の経営する鉱山を自らのものとし、船と燃料の両方を手中に収めることで、さらに海運事業を拡大へ導く。
 
そして明治天皇の庇護の下、政商として活躍、後に勲四等を授与される。そして、やがては海運事業を独占。西南戦争では海運輸送をも独占した。また、廃藩置県の時、藩札を安値で買占め、それを政府が回収することで大儲けをした。また、一説によるとこの時代、天皇家と共に人身売買に手を染めていたという話も聞く。
 
どうやら岩崎は三菱の創業時代に、様々な商売に手を出しては大儲けをして、現在の三菱の基礎を築いたようだ。
 
 
 
2.岩崎弥太郎が関わった人脈達
 
岩崎弥太郎の出自やひととなりは、次回以降に扱うとてして、まずは、岩崎が50年の人生で関わった主要な人物を挙げてみたい。
 
 
・後藤象二郎 1838〜1897
土佐藩士、明治時代の政治家、実業家。栄典は正二位勲一等伯爵。大阪府知事や参与、左院議長、参議、工部大輔などの要職を歴任。
後藤の所有する高島鉱山を岩崎が買収した。
 
 
・吉田東洋 1816〜1862
土佐藩士。後藤象二郎は義理の甥。思想家。私塾(少林塾)を開き、後藤象二郎や乾(板垣)退助、岩崎弥太郎などの若手藩士に教授する。
 
 
・坂本龍馬 1836〜1867
土佐藩郷士。公には幕末の英雄。実際は、亀山社中を組織しグラバーの手先として武器を長州に斡旋(薩長同盟)する。岩崎は亀山社中での職務暦がある。
「いろは丸」沈没事件の際には岩崎が紀州蕃より多額の賠償金を獲得した。
 
 
・田中光顕 1843〜1939
三菱は、この田中に生涯にわたって金銭を献じていたという。
土佐藩家老深尾氏家臣、官僚、政治家。栄典は従一位勲一等伯爵。幕末志士の中で最も長く生きたであろう人物。元老院議官、内閣書記長官、会計検査院長、貴族院議員、宮内大臣などを歴任。岩崎の重要なブレーントラスト。
 
 
・福沢諭吉 1835〜1901
中津藩士、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者。慶應義塾の創設者であり、専修学校(後の専修大学)、商法講習所(後の一橋大学)、伝染病研究所の創設にも尽力。他に東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長を務めた。そうした業績を元に明治六大教育家として列される。岩崎の重要なブレーントラスト。
慶応の優秀な卒業生の多くが、三菱商会に入社している。また、弥太郎の弟の孫が、福沢のひ孫と結婚している。
 
 
・大隈重信 1838〜1922
佐賀藩士、政治家、教育者。位階勲等爵位は従一位大勲位侯爵。政治家としては参議兼大蔵卿、外務大臣(第3・4・11・14・29代)、農商務大臣(第13代)、内閣総理大臣(第8・17代)、内務大臣(第30・32代)、貴族院議員などを歴任した。早稲田大学の創設者であり、初代総長。岩崎の重要なブレーントラスト。
 
 
・トーマス・ブレーク・グラバー 1838〜1911
過去2回のエントリーで紹介したとおり、武器商人であり、金貸し代理人の主犯格。
 
 
上に挙げた人物達は、いずれも幕末・明治を語るに不可欠な者達ばかりである。またその大半が明治以降に国家要職に就いていることがわかる。政商とし動き回った岩崎と彼らとの繋がりが、どのようなものであったのか、今後明らかにしていきたい。
 
 
 
3.岩崎の家系からわかること
 
さらにこれをご覧いただきたい。
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これ以外にも岩崎家・三菱財閥の家系図があるので、こちらを参照されたい。
 
岩崎家は弥太郎以降に、日銀総裁をはじめ、多くの国家要人や会社社長を生み出していることがわかる。
  
  
 
4.金貸しの主犯格だったグラバーとの関わり
 
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そして最も特筆すべきは、武器商人であるグラバーとの関係である。
グラバー商会を経営していたグラバーは、やがて三菱財閥の相談役に就き、そして三菱が購入した丸の内の土地に家を建て、そこで生涯を終える。
  
このように、ざっと俯瞰してみても、岩崎と三菱財閥の急激な成長は、グラバーという金貸しの主犯格をはじめ、金貸しに取り込まれたエージェント達との密接な関わりがあったのではないか、という仮説が成り立つ。
 
そうした関わりの中で、岩崎は巨万の富を得て、三菱の基礎を築いた。いわば金貸しの出先機関としての三菱を創り上げたのではないか。それが三菱グループの規模や家系図が示すとおり、今もなお、その巨大な力を存続しているということが、何を意味しているのか。
 
 
もうお分かりになるだろう。
 
 
ネットや一般的な書物では、岩崎は偉人として語られているが、本当にそうなのか?
次回からは、岩崎がどのようにして出世していったのか、その足跡を追ってみたい。
 
 
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List    投稿者 heineken | 2013-09-03 | Posted in 未分類 | No Comments » 

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