2013-11-15

【特集:デフォルト研究】(2)デフォルト事例(日本の終戦直後)

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前回から始まった【特集:デフォルト研究】。
まず今回は、最も身近な日本の終戦直後のデフォルトについて紹介します。
第二次世界大戦の敗戦で積み上がった莫大な借金。
その額は当時の国民所得の267%にも膨らんでいたとのこと。
更に、戦時補償債務や賠償問題が、その上に積み上がっていました。
いったいこの借金を、どうやって返したのでしょうか?
【特集:デフォルト研究】の過去記事は以下を参照願います。
(1)デフォルトの歴史
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■終戦直後の財務状況はどうだったのか?

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●日本の対外債務はデフォルト状態

昭和初期において、わが国の国債の約4分の1は外国債(利率は内国債よりかなり高め)が占めていた時期もあったが、戦時中の1942(昭和17)年から外国債の利払いは停止された。わが国は対外デフォルト(債務不履行)状態に陥り、その後1952年まで継続した。参照:るいネット→リンク

●では、国内債務はどの程度あったのか?(上記 図表1参照)

1944年度末の政府債務残高は対国民所得費で267%に到達。
加えて戦時補償債務や賠償問題が重なり、政府債務の確定不可能。
内国債が国債残高の99%を占め、その殆どを日銀と預金部(政府)が引き受ける状況。
参照:るいネット→リンク

●生活はどうだったのか?
卸売物価指数は、図表1より前年比433%等、ハイパーインフレへ。

戦争の為に政府が民間から物資・労働力を調達すると、民間に大量のお金が流れ、それがインフレを引き起こします。そこでインフレを防ぐために、政府にお金が戻ってきて通貨流通量が増えないようにする政策が、国民に国債を買わせると言う物でした。

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終戦によってこの政策が取れなくなると、国民としては苦しい生活を何とかするために、一斉に貯蓄を引き出そうとしますから、極端に通貨流通量が増えることになります。こうして戦後のハイパーインフレが起きたわけです。
参照:本ブログ→『経済が破綻したらどうなる?』〜1.戦後日本のハイパーインフレ時はどうだったの?

 
この戦後の状況は、インフレが起こる3つの条件にあてはまります。
参照:米国デフォルトでハイパーインフレは来るのか?

インフレが起こるには以下の3つの条件が必要である。
1.高い消費欠乏があること
2.お金がふんだんにあること(マネーの余剰)
3.モノの供給が足りないこと(生産力の不足)

では、このような状況の中で借金をどうやって返したのでしょうか?
■財産税による内国債の償還
政府は、国民からの「収奪」では無く「財産税」の名目で償還資金を集めます。

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図表2より
「金融緊急措置令」→預金封鎖
「日本銀行券預入令」→新円切り替え
「臨時財産調査令」→財産調査  政府は、この3つを同時に行った。
●財産税を主たる原資とした可能な限りの内国債の償還

順番としては一番先に(1946<昭和21>年2月)預金封鎖および新円切り替え
いわば空前絶後の大規模課税として、動産、不動産、現預金等を対象に、高率の「財産税」(税率は25〜90%)が課税された(=「取るものは取る」)。それを主な原資に、内国債の可能な限りの償還が行われ、内国債の債務不履行そのものの事態は回避された(=「返すものは返す」)。
貧富の差を問わず、国民からその資産を課税の形で吸い上げるものであった
国による国民の資産のいわば「収奪」が、形式的には財産権の侵害でなく、あくまで国家としての正式な意思決定に基づく「徴税権の行使」によって行われた
預金封鎖・新円切り替えを先行させたのは、財産税課税のための調査の時間をかせぎつつ、課税資産を国が先に差し押さえたとみることができよう。
るいネット→リンク

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ここでのポイントは、一番初めに「預金封鎖」と「新円切り替え」を強行したことです。
預金封鎖により、国民は銀行から金融資産引き出せなくなります。
旧円→新円切り替えにより、混乱をある程度押さえ、国民は隠し持っているタンス預金等のお金まで、全て出さざるをえなくなります。
また預金封鎖と財産調査により、各国民が持っている資産を集計・計算し、「財産税」として誰からどれだけ取るか?の計算をする時間を作りました。
そして全ての準備を整えて、その年の11月に「財産税法公布」。
国民から「収奪」では無く「税」として償還資金を集めます。
●財産税の詳細
では、財産税の中身は、どのようなものだったのでしょうか?
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図表3より、不動産関係の小計が57,228(百万円)<金融関係の小計が60,314(百万円)。
金融関係の割合が多いことが分かります。また合計値は、当時の一般会計予算額に匹敵します。
税率は、最低25%から最高で90%まで、貧富の差を問わず、全国民から「税」として吸い上げました。
●国内債務不履行を事実上強行
戦時中に国内企業や国民が支援した戦時補償債務はどうなったのでしょうか?

昭和21年10月19日には、「戦時補償特別措置法」が公布
わが国の政府として、内国債の債務不履行は回避したものの、国内企業や国民に対して戦時中に約束した補償債務は履行しない、という形で部分的ながら国内債務不履行を事実上強行した。
るいネット→リンク

・戦時補償債務は踏み倒し。
●民間金融機関等の経営再建・再編に向けての債務切り捨て

政府の戦時債務の不履行や、旧植民地・占領地における対外投資債権請求権の放棄等により、企業、ひいては民間金融機関の資産も傷み債務超過となった。
10月19日には、「金融機関再建整備法」および「企業再建整備法」も公布
民間金融機関等の経営再建・再編に向けての債務切り捨ての原資として第二封鎖預金が充当
債務超過状態を解消するために、本来であれば国が国債を発行してでも調達すべき、民間金融機関に投入する公的資金を、国民の預金の切り捨てで賄った。
るいネット→リンク

・預金封鎖した国民の金で、民間金融機関等の救済
■まとめ
・当時の国債の殆どを、日銀と政府預金部が引き受けていた。
・それを、国民の財産を「収奪」では無く「税」として短期間で寄せ集め、償還した。
・預金封鎖と新円発行・切り替えは、主に「財産税」を確実に集めるために行われた。
・戦時中の国内企業・国民の戦時補償債務は、踏み倒された。
・民間金融機関等の救済のため、新国債では無く国民の財産税の金が使われた。

財産税による借金償還は、あくまでもGHQの押しけでは無く、財政当局自からの判断として断行されたとの記録がある。しかし、当時の占領下では法律案を衆議院に提出する前には、GHQの承認が必ず必要となっている。
GHQ及び中央銀行(日銀)のバックにいる「金貸し勢力」の圧力があったと考えた方が妥当ではないでしょうか?
次回は、ロシアのデフォルト事例について研究します。お楽しみに・・・・
各図表はこちらかお借りしました。→リンク
写真はこちらからお借りしました。→リンクリンクリンク

List    投稿者 yooten | 2013-11-15 | Posted in 未分類 | No Comments » 

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