2009-09-17

食料自立・日本どうする! 3.敗戦時、食糧危機をどう乗り越えたのか

「食糧自立・日本どうする!」シリーズの3回目となります。
第1回は 日本人の食を充たしてきた五穀について。
第2回は お米とその取引市場/米価格動向を扱いました。
第3回は 日本の戦後食料難について考えて見ようと思います。 
 
拙筆は戦後2年目(1948年)に生まれた「団塊」世代です。
私自身は深刻な飢餓を経験したことはありませんが、幼い頃に親や祖父母から戦後の食糧不足の話をよく聞かされました。「もったいない! 御百姓さんが作った米は1粒でも無駄にしてはあかん!」と、畳にこぼした御飯は拾って食べさせられ、茶碗にこびり付いた米は番茶を注いで食べるよう躾けられた事を思い出します。 
 
「五穀」 米や麦、粟、稗、豆、さつまいも、カボチャなどを食し、自給してきた日本人は、大正から昭和初期にかけて「銀シャリ信仰」と言われる米志向が強まり、外米(台湾や朝鮮のお米)に依存するようになりました。
ところが、第2次世界大戦敗戦国となった我が国の食料事情は、戦時中以上に逼迫し1千万餓死説が流布されるような厳しい状況を迎えました。 
 
1.敗戦直後を襲った食糧危機、米の大凶作 
 
敗戦で日本は食糧供給基地であった朝鮮、台湾、満州を喪失しました。また、農業資材・農業労働力の不足、作付面積の減少などによって、国内食料生産が大減産となり、加えて国家権力の失墜、闇取引による農家からの食糧供出量が激減しました。150万人ともいわれる海外からの引き揚げ者により消費人口が増大し我が国の食糧事情は戦時中にもまして大変深刻な状況となりました。
追い打ちをかけるように、敗戦の年に強烈な自然の試練(台風)が与えられたのです。 
 
敗戦の年、大型台風が2つ日本列島を襲う。
昭和20年の夏はまれにみる冷夏となり、9月17日に枕崎台風が襲い、続いて10月9日に阿久根台風が襲来します。両台風により、九州、四国、近畿、北陸、東北地方に至る日本全土に爪痕を残す大きな被害が発生し、米収穫量は明治38年以来の大凶作となりました。 
 
senngokome.bmp 
 
明治38年の米収穫量は573万トン。昭和9年の大凶作は778万トン、昭和20年(1945年)秋の米収穫量は587万トンです。なお、21年春の麦も凶作です。 
 
  台風被害については、以下を参照してください。
  日本に大きな被害を与えた台風の一覧
  枕崎台風
  阿久根台風 
 
敗戦でボデーをボコボコ打たれ、ダウン寸前になっているところにカウンターパンチを食らったようなものです。 
 
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  投稿者 unkei | 2009-09-17 | Posted in 01.世界恐慌、日本は?6 Comments »