2013-12-06

資力が武力を上回ったのはなんで?(1) 〜“公共事業”としての十字軍と、周辺ビジネスで肥大した「騎士団」〜

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●ローマ帝国分裂と異民族侵入

 前回の記事から始まりました、「資力が武力を上回ったのはなんで?」シリーズ。
今回より、ヨーロッパの歴史を検証しながら考察を進めたいと思います。今回はその1回目として、十字軍の歴史を取り上げます。

前回の記事は↓からご覧ください。
資力が武力を上回ったのはなんで? 〜プロローグ〜

 さて、ローマ帝国の力によって安定していたヨーロッパは、395年の帝国の分裂に伴い、東からはゴート人とヴァンダル人、時代が下ってマジャール人、そして南からはイスラム教徒、北からはヴァイキングがそれぞれ侵入。以降、600年間は異民族との戦いが続きました。

この時代、ヨーロッパの封建制は一様な物ではなく、フランスの第二王朝(カロリング朝)は、ヴァイキングから臣下の領土を守れなかったことにより、戦争に際しても彼らを強制することができず、その結果、多数の傭兵を雇わざるを得ませんでした

互いの領土を巡るヨーロッパ内での戦いが次第に落ち着くに従い増大した、土地も定職も無い「騎士」が傭兵となり、異教徒たちと戦ったのです。

ところが、十世紀末、ヴァイキングがヨーロッパ各地の封建領主を破って定住をはじめ、またマジャール人がキリスト教に改宗するなど、異民族が同化して平和が訪れると、こうした騎士達は困った状況に陥ります。傭兵達にとって、平和とは「失業」を意味するからです。

彼らは、戦争が無ければ農村を蹂躙し、取れる物は何でも取りました。そして、取られた側は、今度は自らが傭兵となって生き残ることになったのです。

ヨーロッパの農村はまた、封建領主たちにも酷い目に遭わされています。財産や相続を巡って「私戦」がはじまれば、農村が戦いの舞台になり農業どころではなくなるからです。これが、中世ヨーロッパにおける、十字軍前夜の状況といえるでしょう。

(さらに…)

  投稿者 deep_blue | 2013-12-06 | Posted in 08.金融資本家の戦略No Comments »