2013-12-10

【幕末維新の代理人】代理人認定#11 岩崎弥太郎 第5回 捏造された三菱財閥史『田中光顕 作』

これまでこのシリーズで、三菱財閥の馴れ初めを追いかけてきた。
 
岩崎弥太郎時代=三菱財閥急成長の源流部分 を少し整理してみたい。
 
 
●三菱財閥急成長の源流
 
その一・・・・・始まり 
土佐藩時代。参政(藩行政の最高責任者)である後藤象二郎のもとで、岩崎弥太郎が開成館(1866〜)に勤めた。
 
開成館は、藩の軍備増強のために、武器購入、藩物産売買、藩札発行などを行っていた。
 
新円切替え時の、インサイダー取引のための藩札買占めなどは、この時代の利権を利用した。
 
その二・・・・・「いろは丸」事件(1867)
 
紀伊藩から支払われた賠償金は、龍馬暗殺後に支払われ、土佐商会(後藤象二郎&岩崎弥太郎)の手に渡る。
 三菱財閥の基礎資金となった。岩崎弥太郎語録「そのよろこびしるべしなり」はココで叫ばれる。
 
(龍馬暗殺に関しては後に述べるが、三菱財閥の歴史に田中光顕が登場するのはこの龍馬暗殺からだ。暗殺の執行部隊の一人として田中が、岩崎弥太郎の最大スキャンダルを握った事件だと言い得る。)
 
その三・・・・・廃藩置県(1871)
 
後藤象二郎、林有造の手腕によって、土佐藩の財産(大阪藩邸、土佐商会)の多くが三菱財閥の手に渡る。
 
土佐商会では、銃器、汽船の購入(=戦争屋)から、諸藩が外国商館から資金を借り入れる周旋役(=金貸し)をしていた。
 
藩の軍艦においては、一旦大蔵省へ引き取りの上、廉価で三菱財閥払い下げとなった。
 
この軍艦で台湾出兵時(1874)の軍事物資を運び、大儲けをしている。
 
この時、陸軍会計監督に任命されていた田中光顕が、力を振るっていたであろう。
 
その四・・・・・戦争商売
 
台湾出兵(1874年)、西南戦争(1877)で巨万の富を築く。
 
ここは、田中光顕と岩崎弥太郎のタッグで進めた。陸軍の会計責任者として田中光顕が便宜をはかり、三菱財閥に肩入れしたのは言うまでも無いだろう。
 
政府(岩倉具視&大久保利通など)に対して、政府70万ドル+三菱38万ドル=108万ドルで10隻の船を購入することを持ちかけた。
 
戦後、全ての船は三菱に「無償」で払い下げられた。
 
ココで口を利いた政治家が大隈重信であり、その後、三菱財閥は大隈重信に政治献金を続ける。
 
三菱財閥は、弥之助、久弥と引き継がれる中で、後藤象二郎、大隈重信、山形有朋と時の統合者との関係を利用した政商として成長したのである。
 
今回は、この三菱財閥の影で、政治家達とのパイプ役を担った人物を追いかけて行きます・・・・

(さらに…)

  投稿者 gokuu | 2013-12-10 | Posted in 02.日本の金貸したちNo Comments »