2019-10-29

国際情勢の大変動を見抜く!-36~シベリア出兵の真実~

シベリア出兵

シベリア出兵は米英仏等の連合国の要請によるもの。背景にウラジオストックに保管されていた大量の軍需品がドイツの手に渡るのを防ぎたかったイギリスの思惑がある。

ロシア革命政権を主導したアメリカは乗り気ではなかった。故に早々に撤兵した。

 

日本はある理由で残留せざるを得なかった。

それがシベリアの邦人居留民を守るため。

ロシア人、朝鮮人、中国人からなる約4千人の共産パルチザン(:非正規軍)が、ニコラエフスクという町に入り込んで占領。革命裁判と処刑を強行し、日本人のほとんどを虐殺したとのこと。なんとその町の人口が半減。

日本軍は秩序が安定するまで残留せざるを得なかったというのが真実。

 

教科書で謳われているような勢力拡大の目的では決してないとのこと。

他にも似たような事件が中国各地でも起こり、それによって日本は共産主義に対する強烈な反感を呼び起こしたとのこと。

 

これまでの〇〇革命や△△暴動と称する事件のほぼ全てが金貸しの仕業であるということから類推すると、そもそも数ある日本人虐殺事件も金貸しが仕掛けたと思わざるを得ない。

 

日本は「金貸し支配」の事実を知らないがために数々の事件に巻き込まれてきた可能性が高いと思います。もっと深い事実を押さえていく必要を感じます。

 

『知ってはいけない現代史の正体』(馬渕睦夫 著)からの紹介です。

*************************************

■1918年 シベリア出兵

 

◇通説   :米英仏が撤退した後も日本はシベリア東部に勢力を及ぼそうと居残った。

◇歴史の真相:日本は邦人虐殺事件の解決のために撤兵を遅らせざるとえなかった。

 

●海外派兵に慎重だった日本

正統派の歴史では、ロシア革命後の内乱時期にシベリアに取り残されたチェコ軍救出を目的に日本は米英仏とともに出兵した、ということになっています。そもそもの発端は、そうではありません。ウラジオストックに保管されていた大量の軍需品がドイツの手に渡るのを防ぎたかったイギリスの思惑です。1902年に締結した日英同盟の下で同盟関係にあった日本に、連合国を代表してシベリアに派兵するようイギリスが要請したのです。

 

イギリスの提案にフランスが賛成し、アメリカに対しても同様の要請をしました。これに対してウィルソン大統領は、ロシア革命政府に対する一切の干渉に反対しました。特に日本が単独で出兵することに断固反対しました。アメリカはロシア革命政府を守ろうとしたのです。近代史研究家・中村粲氏の『大東亜戦争への道』によれば、日本は次のようにイギリスに回答しました。

(さらに…)