2008-09-06

国際金融都市〜香港ってどうなん?

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東京の主要都市における国際金融拠点プランが、金融資本家による侵略の手口ではないか?
国内の政策の背景にうごめく侵略構造を解明する為にも、諸外国の事例分析を行ってみたいと思います。
そこで今回は、omoriさんの投稿に続き、アジアの金融都市のひとつである「香港」に目を向けたいと思います。
香港は、中国の南端に位置する小さな島々で香港島、九龍半島、新界および周辺の南シナ海に浮かぶ200余りの島々が含まれます。面積は、ちょうど東京23区の約2倍程度で人口約700万人の都市です。
ジャッキーチェン主演の香港映画の舞台としてもお馴染みですが、ショッピングや食通の街として栄えていると言うこともあり、世界中から観光客が訪れます。超高層ビルが立ち並ぶ近代的な街並みだけでなく、離島や丘陵地帯などの自然に触れられる場所などの様々な見どころが、所狭しと隣接し合っているのが特徴です。又、この林立する超高層ビルの町並みは、ニューヨークやシンガポールと同様に国際金融都市としての大きな特徴でもあります。
又、香港は1842年南京条約により清から割譲されイギリスの植民地となりましたが、1997年にイギリスから中華人民共和国へ返還され、現在の特別行政区となりました。
日本で言う経済特区と言ったところでしょうか?
古くから東南アジアにおける交通の要所でもあり、自由港であることからイギリスの植民地時代から金融や流通の要所でもあります。従って、ユダヤや華僑と言った国際金融資本家たちとの密接な関わりがあります。そうした歴史背景の中で、特別行政区としての成立構造やその金融政策の内容から金融資本家の策略が掴めるのではないか?
その実態について、迫ってみたいと考えます。
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香港の歴史
香港観光ナビ

香港は、その正式名称を香港特別行政区と呼び、中華人民共和国の特別行政区の一つとなります。
香港は、阿片戦争後の南京条約によって1842年に清からイギリスに香港島が割譲され、1860年には北京条約により九龍半島が割譲、1898年には新九龍地区や新界地域の99年租借がされ、それ以降1997年の中国への返還時まで長年に渡りイギリスの植民地でした。
古い時代から交通の要所であり、イギリスの植民地時代には物流や金融、貿易の拠点として大きく発展してきました。
第2次世界大戦で、香港は一時日本軍に占領統治されていましたが、1945年の終戦後には再びイギリスの統治下となりました。当時、内戦中の中国本土から逃れてきた中国人の大きな労働力を背景に、イギリスのジャーディン・マセソン商会をはじめとした外国資本や華人系の資本が、上海から香港にその本拠を移し、戦後の香港経済の発展に大きな関わりを持ちました。以降、香港は世界の金融市場の中心地のひとつとして急速に発展し、貿易や商業の面でも世界有数の都市として成長、同時に世界有数の観光都市として数多くの観光客が世界中から押し寄せる都市となったのです。
その間、中国とイギリスとの何度かの交渉により、中国の要求する「港人治港」の主張が勝り、1997年にイギリスはついに香港を手放したのでした。中国は、その交渉過程の中で、香港を特別行政区として向こう50年間は「一国両制」政策を基本に香港では中国の社会主義政策を行わず、引き続き資本主義体制で行くことを約束し、現在の香港の体制が生まれたのです。基本的な社会や経済の制度は変わりませんが、公用語はそれまでの英語と広東語に加え、新たに中国の標準語である普通語が採用され、学校でも授業に加わるようになりました。

香港は、イギリスの植民地時代から国際金融拠点としての役割を果たします。
次に香港の金融政策について見てみましょう。
香港の金融・通貨政策— 1983 年以降のドル連動制—

香港は、1983 年10 月17 日香港ドルと米ドルとの公定平価を1 米ドル=7.80 香港ドルに規定した。これをきっかけに、「聯系匯率制」(Linked Exchange Rate System) と呼ばれる米ドル連動制が導入され、今日に至る香港の金融システムの基礎となった。このドル連動制により、香港ドルと基軸通貨の米ドルとの間の為替レートが安定し、香港が国際金融センターとしての地位を維持するのに大きく寄与した。
また、このドル連動制は厳格な「貨幣発行局制度」(カレンシーボード制※1)を通じて実現しており、香港のマネタリーベースがその公定平価の為替レートで換算した米ドルに完全にカバーされている。この場合の米ドル資産は香港政府が保有する「外匯基金」(外為基金)によって提供されている。
すなわち、香港の金融政策は、為替水準の安定に重点をおいている。
一方、日本を含めた先進国の金融政策は通常は金利コントロールによって行われている。
香港には、正式な中央銀行は存在しないが、その金融・通貨政策の目標はやはり通貨価値の安定を通じて、経済の安定的発展を図るものである 。しかし、香港の金融当局は金利水準や通貨の量を操作することに主眼をおいているわけではなく、金融政策の中間目標は為替水準の安定維持であり、通貨価値の安定を実現しようとしている。
「どのような金融制度を採るべきか」という問いには、100%確実な答えはできないが、香港においては、このドル連動制は20 年以上の歴史を経て、幾度の金融危機を経験したものの、今日においても健在である。一方、アルゼンチンなどの国々においては、金融危機をきっかけにカレンシーボード制の放棄を余儀なくされた。香港がこの制度を維持できた原因として、根本的には潤沢な外貨準備の存在や財政状況の健全さなどを挙げることができる。一方、このドル連動制による厳格なルールのもとでは金融政策は硬直的になってしまう側面もある。本報告では、香港の1983 年の金融政策の転換後の歴史を簡単に回顧し、その特徴や制度変更の意味を分析することにする。
そうした歴史的な経緯を考察し、香港のカレンシーボード制の進化は結局、金融政策の運営が金利への影響力強化に帰結せざるを得ない過程でもあったことが明らかになろう。
これは中央銀行機能の強化とも言えるが、カレンシーボード制の維持との矛盾が完全に解決されたわけではない。為替水準の安定の中間目標とする香港の金融政策運営は依然として、金利安定のジレンマを抱えることになろう。

※1:カレンシーボード制
金融用語集

カレンシーボード制とは、ドルペッグ制などの為替固定相場を採用している場合に、通貨供給量をコントロールする制度のこと。
カレンシーボード制を採用している国としては香港ドル(香港)が代表的である。
香港ドルでは、1単位の香港ドルを通貨発券銀行が発券する際、同様の価値の米ドル(USドル)を預託しなければならないことになっている。
現在、香港を含めて7カ国がカレンシーボード制を採用している。

今回は、ここまでとします。
ポイントとしては、
1.香港は、イギリスの植民地時代から国際金融資本の手により金融拠点の素地が出来上がっていたこと。
2.香港は、先進国の金融都市(ロンドン、ニューヨーク、東京)と違って中央銀行がないこと。
3.香港の金融政策は、金利コントロールと違って通貨価値の安定を目的とした為替固定相場を採用しており、いわゆるカレンシーボード制を導入し米ドルとの連動制であること。
従って、香港独自の金融政策が存在しないこと。
4.又、2047年にはカレンシーボード制を廃止し社会主義政策に切替ること。

2008年は、中国オリンピックの年でしたが、果して約束の2047年には今の資本主義体制を手放し中国主導の社会主義政策に切替わるのかどうか、或いは中国全土が資本主義体制に飲み込まれて行くのか今後の動きに注目です。
香港ドルが米ドルと連動していると言うことは、米ドルが強いときは香港ドルも強い。逆もまた然りで、今後ドルの暴落から世界経済の金融危機が訪れるとするとアルゼンチンと同様にドル連動制のカレンシーボード制を手放すことになるのか?
香港はもとより中国経済に今後どのような影響を与えることになるのでしょうか?
又、カレンシーボード制とはどう言った政策なのか?
引き続き中国政府が導入したこのカレンシーボード制についてもう少し詳しく調べて見たいと思います。
それから、同じ金融都市でも、ニューヨーク、ロンドン、東京と言った先進国の金融都市とシンガポール、香港、ドバイと言った興新国の金融都市とは、その政策内容や成立構造が違うことが伺えます。
金融都市における先進国と興新国との違いやその特徴についても調べておく必要があると思います。
他に切り口などがあれば、コメント下さい。

List    投稿者 nakamura | 2008-09-06 | Posted in 未分類 | 4 Comments » 

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コメント4件

 ななし | 2009.01.09 2:24

コメントを入力してください
彼らほどの知性があれば今回のバブル崩壊は事前に予測済みでしょう。
とすると何か目的があるんじゃないでしょうか。
彼らの資産はほとんど棄損する事無くオフショアに隠し持ってると言う噂もあります。
過去の恐慌やバブル崩壊で何が起きたかと言うと独占化・寡占化ですね。
死んだふりして世界中を底値で買い漁るのが彼らの真の目的なんじゃ無いでしょうか。
自分達の利益の為なら平気で戦争を起こしてそれで儲ける連中ですから、どんな非情な事でもやってのけるでしょう。
そう考えると今回の危機が去った後はより過酷な資本主義が待ってるような気がします。

 finalcut | 2009.01.10 11:20

ななしさん、コメントありがとうございます。
>今回の危機が去った後はより過酷な資本主義が待ってるような気がします。<
さて、どうなるでしょうか?
次代を読むには“るいネット”がお勧めです。
多くの仲間と事実に基づく新しい認識を紡いでいってください。

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