2011-10-13

『経済が破綻したらどうなる?』 第5回〜ロシア経済破綻〜

かつて世界が経験したことのない大破局へのカウントダウンは始まっています。
そこで本シリーズでは、第1回から第5回で、世界で起きた破局の過去事例から、破局がもたらした影響、その際に取られた政策を中心に振り返ります。そして最終回(第6回)では、いずれ来る大破局への備えと、長期的な日本の再生への活路を探っていきます。
【過去記事】
・プロローグ
・第1回〜戦後日本のハイパーインフレ時はどうだったの?〜
・第2回〜預金封鎖と新円切替〜
・第3回〜メキシコ通貨危機〜
・第4回〜アルゼンチンの国家破産〜
今回(第5回)はロシアの経済破綻を扱います。
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ソビエト連邦は解体され、1992年1月1日、ロシアは誕生しました。ロシアは計画経済による社会主義の実現をあきらめて、市場経済を採用する資本主義国へと舵を切りました。
しかし、ロシアの市場経済への移行は一朝一夕には進みませんでした。
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■ハイパーインフレ 
市場が中心となって生産や価格が決まるようになったので、物の値段は急激に上昇していきました。 
またこの当時、ロシアでは納税の仕組みが整っていませんでした。財源不足を補うために、ロシア政府は紙幣を刷り続け、国内には大量のルーブルが出回りました。その結果、ルーブルの価値はどんどん下がり、インフレの進行に拍車をかけることになりました。 
1992年のインフレは年率でなんと2510%、ロシア経済は混乱に陥り、一部の国民からソ連時代を懐かしむ声も上がったと言われています。 
 
【消費者物価のインフレ率推移(対前年比)】 
1992年:2510% 26.10倍 
1993年: 840%  9.40倍 
1994年: 215%  3.15倍 
1995年: 131%  2.31倍 
1996年: 21%  1.21倍 
1997年: 11%  1.11倍 
1998年: 84%  1.84倍 
1999年: 37%  1.37倍 
2000年: 20%  1.21倍 
 
※1992年の価格自由化と紙幣増刷によってハイパーインフレが起こる。物価上昇は1995年まで継続。いったんは鎮静化したが1998年の金融危機後に再び上昇。 
 
 
■デノミ実施 
1992年から1995年までは毎年2倍以上の物価上昇が続き、ロシア誕生から4年間で物価は1800倍にも跳ね上がりました。今まで紙幣1枚で買えた日用品が、紙幣1800枚の札束を用意しないと買えなくなってしまったわけですから、その不自由さは想像に難しくありません。そこで、ロシアは1998年1月に新札を発行して、旧1000ルーブルを新1ルーブルと交換することにしてしまったのです。(デノミ+新札切替) 
 
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旧ルーブルは紙くずと化し、通貨に対する信用は完全に失われました。人々はインフレが来ても、デノミが行われても減価しない資産を持つしか無いと考えるようになりました。必要なものは必要なものと物々交換する、労働報酬は物資を支給するということが日常化していきました。 
 
 
■IMF主導の緊縮政策が経済危機を生む 
ソ連崩壊後のロシア経済は、IMF主導の不適切な経済政策によって大混乱に陥りました。 
 
1992年以降、IMFはロシアの経済の実体を顧みることなく、市場主義経済一辺倒の政策をとりました。 
もともとロシアには、食料を自給できる農業と、生活必需品を生産できる基本的な産業力があったのに、IMFの極端な緊縮政策は投資を減退させ、企業の生産活動を停滞させました。1992年から5年間、GDPは連続のマイナス成長。1996年は1990年の6割にまで縮小。企業からの税の支払いは滞り、まさにIMFの緊縮政策が財政赤字を生み出したのです。 
 
さらにロシア政府はこの財政赤字をカバーするため、IMFの助言を得て、1995年から高利の短期国債を発行するようになりました。そしてロシア政府は短期国債の償還のために短期国債の増発を重ねるはめになりました。 
 
1998年7月にIMFはデフォルトの危機に陥っているロシアに対して226億ドルの支援をしましたが、それでは全く不十分でした。短期国債の償還期限が次々に訪れ、ロシアに対する不安が高まるにつれて金利は上昇し、IMFの融資から1ヶ月経たないうちに170%にまで暴騰しました。ただでさえ財政難のロシアがこの金利を払えるはずも無く、ロシア政府はもはや借金を返済することは不可能であると認めざるを得ませんでした 
 
 
■デフォルト宣言 
ハイパーインフレ、デノミに続き、ロシア国民に3度目の試練がやって来ました。 
1998年8月17日、ロシア政府は対外債務の90日間支払停止を宣言し、事実上のデフォルト宣言となりました。これによりルーブルは急落。ロシア国民の中にはなけなしのお金を外国へ持ち出すものも現れ、さらにルーブルは下落しました。ロシア政府はこれ以上海外にお金が逃げないように預金封鎖を行い、貸し金庫の中に入っていたものも含めてすべて取り上げました。これにより、ルーブルで預金していた国民は完全に全財産を失いました。 
 
 
■経済混乱期(1992年〜1998年)のロシアの市民生活 
 
日本財政破綻「ロシアの財政破綻事例を研究する」より引用 

①治安 
急激に治安が悪化し、強盗、窃盗、殺人などの犯罪は1990年代に入り急増した。郊外の一戸建ては危険で住めなかった。アパート形式の住居に住む人が増えた。 
 
②人口 
ロシアではソ連崩壊直後の1992年の1億4870万人をピークに減少を始め、相当数の移民があったにもかかわらず減少は続き、2009年現在で1億4190万人となっている。 
 
③死亡率・出生率 
ソ連時代は無料であった医療体制も市場経済への移行で混乱し、将来を絶望した年金生活者などの自殺者も増加し、死亡率は急上昇する一方で出生率の低下が起きた。 
 
④健康・平均寿命 
ソ連崩壊直後の激しい社会変化に付いて行くことが出来ず、強い心理的なストレスからロシアの国民酒ウォッカをあおり、アルコール中毒や循環器系の病気になる人が増えた。男性の平均寿命は1993年に60歳を割り込み、1994年には57.6歳となった。その後も一時的に60歳代に回復した時期もあったものの、すぐに60歳を割り込み、2006年まで60歳を割り込み続けた。

 
ロシアの経済混乱期における市民生活への影響は、メキシコやアルゼンチンのそれと比べて比較的小さいものでした。 
 
 
■ロシアの実体 
ハイパーインフレ、デノミ、デフォルトと続く経済危機であっても、ロシア国民が餓死したというニュースは聞かれませんでした。それは、統計には現れてこない経済の実体と日々の暮らしがあったからです。 
 
まず、モスクワなどの都市は別にして、地方にいけば収入が低くても食べていけるだけの物価の安さがありました。例えば、モスクワから330㎞離れたイワノボという町に行けば、物価は5分の1になったといいます。生活インフラも整えられ、電気・ガス・水道はほとんどタダ同然でした。 
 
さらに、ロシアの全世帯の4割が小さな畑付のコテージ(ダーチャ)を所有し、そこで野菜を作ったり家畜を飼ったりする自給生活が人々の日常となっていました。 
 
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このダーチャは、第2次世界大戦以降に国から貸与され広く普及したと言われています。面積的には全農地の5%程度と微々たるものですが、菜園に従事する人は非常に多く、生産性も驚くほど高いのです。だから国営企業や農場の生産低下が起こり、スーパーの棚から食料品が消えてしまった時も、準主食のジャガイモの8割以上、野菜の7割以上がダーチャで生産されていたため、家族や地域で助け合いながら、食べることだけはなんとかなったと言われています。 
 

 
 
 
■ハイパーインフレを乗り越えたロシア国民 
連山「ロシアのハイパーインフレ」より引用 

1998年当時、ロシア通貨危機を伝えるニュース映像で、年金暮らしをしている老婆と、アルコール中毒で病院でリハビリをしている中年男性の姿が対照的であったのを鮮明に覚えています。老婆は、しきりに年金で食べていけないから、郊外の家庭菜園で採れたイモや野菜で食事を作っていた。郊外の彼女の別荘に行くと、お隣さんも同じように家庭菜園で野菜を作っていた。そしてお互い助け合っていた。彼女は共産党時代が懐かしいよと言っていたが、貧しいなりにそれなりに生活をしていた。ちなみに、とても太っていて、飢え死になるほど困っているようには見えなかった。一方、中年男は、かつて共産党員だったそうで、あまりの状況変化についていけず、アルコールに逃げてしまった。多くの仲間が貧困と未来に希望を見出すことができずに自殺したという。

 
 
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かつて高い地位にいた中年男性は、現実を受け入れられずに一日中飲んだくれていましたが、日常の畑仕事に労を惜しまない主婦たちは家族や地域の生活を支えました。 
 
 
■日本人がロシアから学ぶ点は? 
ここまで見てきたように、日本が優れた市場経済のシステムを持っていたとしても、何れ来る経済破局の中で国民生活がどの程度維持できるかは疑問です。 
 
今やどの国も食料・資源の確保に躍起になっています。国家間ではすでに熾烈な奪い合いが始まっています。少なくとも食料に関しては、日本はどんどん窮地に追い込まれています。 
 
日本の食料自給率はわずか39%です。食は生きることの基本であるとともに、人々の活動、健康とは切り離せないものです。それなのに、自国で賄うことができません。
食べ物を安定的にかつ安全性を保って供給する最良のシステムは、究極的には自給。それを補完する形で地域内の流通がある。 その意味でロシアのダーチャとそれを含む経済の実体は、非常に参考になると思われます。 
 
 
次回はいよいよ最終回。 
もう一度日本に戻って、いずれ来る大破局への備えと、長期的な日本の再生への活路を探っていきます。 
おたのしみに。

List    投稿者 bibibi | 2011-10-13 | Posted in 未分類 | 12 Comments » 

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コメント12件

 匿名 | 2013.05.29 12:55

大久保が魑魅魍魎ばかりの明治政府の重臣の中で、彼なりに日本を想い尽くしていたことは認めますが、彼の政治を全肯定することはできませんね。
大久保は西郷を明治六年政変で下野させ切り捨てたことは言うに及ばず、江藤新平のような俊才をも下野させ後に反乱に追い込み死に追いやってます。
江藤は四民平等を推進し日本の司法制度を整備させ、後に民選議院設立建白書にも署名するなど政府内でも民権論者であり、理解がありました。
また官吏の汚職を厳しく、山縣有朋や井上馨ら長州閥の汚職を追及して二人を辞職に追いやったこともあります。
大久保はこの江藤と激しい確執があり、彼を反乱に追いやった挙句、江藤が捕えられた時は日記に
「実に雀躍に堪えず」
江藤に梟首の極刑が下された時には
「江藤醜態笑止なり」と彼を嘲っている。
更に大久保は内務省の自分の部屋にさらし首にされた江藤の写真を飾っていたという残酷な話もあります。
大久保はこのように心根の醜い部分もあり、彼が紀尾井坂の変で暗殺されたのは彼自身が国家の英才を殺してきたツケ、自業自得であるといえます。

 匿名 | 2013.05.31 16:32

西郷が下野したのは、彼の士族優遇を指向する体制が受け入れられなかったためだし(鹿児島県は、西南の役まで、西郷の指導により下級士族が県の実権を握り、かつまた非常に優遇されていたことで有名です)、江藤は機会主義者で、昨日はあっちにつき、今日はこっちにつきして、自らの権力の構築に邁進した人です。民撰議員設立建白書に名前を連ねたのは、反政府の一点が理由であって、彼が政府でしてきたことを考えたら、民主主義に理解があったなどとんでもないことは自明ですよ。
大久保については実に惜しい人を亡くしたものだと思います。

 匿名 | 2013.06.01 1:29

機会主義者というのなら大久保こそあっちにつき、こっちと組みを重ねて、権力構築した男です。
明治六年の政変は征韓論をめぐる論争から発展しましたが、西郷らを失脚させた大久保らはのちに台湾出兵をするなど、節操がないこともやってますし。
木戸孝允も征韓論を否定しながら台湾出兵をした大久保に抗議し下野してます。
江藤に関しても彼は民政に携わり、国法会議や民法会議を主催し民法編纂に取り組んでいましたし、牛馬解放令とも呼ばれた司法省達第二十二号(娼妓解放令)、民衆に行政訴訟を認めた司法省達第四十六号などを出しています。
江藤が出した意見書にも「国の富強の元は国民の安堵にあり」とあるなど、民権にまったく理解がないというのは偏見の臭いがします。
 また大久保はそんな江藤に本来東京で行うべき裁判を現地で行い、茶番ともいえる裁判で当時廃止されていた梟首という野蛮な極刑を執行しました。
国事犯に対してはいかなる文明国も当然江藤自身が作った刑法にも死刑はなかったのに。しかし、大久保は後日の政府関係者や欧米各国の批判を恐れずにそれを強行。
日本の司法制度を整備した江藤に対して、権力によってとことん辱めたのです。
大久保の行った権力による法の蹂躙は、現代においても行われておりますし、内務省に権限を集めて専権をふるった大久保によって、現代にいたる官僚主導がはじまったのです。
 これら現代にまで残る悪影響や江藤に与えた不公正で過酷な処罰を思えばとうてい大久保を全肯定することはできません。

 norio | 2013.06.05 23:22

 【幕末維新の代理人】というテーマでは、幕末〜明治(ひいては現代)にかけての日本における金貸し支配(特に欧米の金貸しが裏で日本を支配しようとしたことなど)を読み解くことを追求しています。
 今扱っている幕末維新シリーズもその延長にあります。グラバーやマセソンのような金貸し支配の分岐点となった明治以降の日本において、維新の勇士たちが果たした成果・役割を再評価することで欧米の金貸しが裏で日本を支配しようとしたことなどが解明していける、という視点で記事を書いています。
 ゆえに、政治家の善し悪しの評価以上に、金貸しとの結びつき(⇒その結果私権拡大にどれだけ貢献したかも含む)を重視しています。あえてその点に言及すると大久保の功績は金貸したちが日本を支配していくには都合の良い制度にしてしまったというふうに見えてきます。大久保は、文献や資料では、(権力を手にしたプロセスはどうあれ)国益派だったと思われますが、 彼が作り上げた近代日本の政治機構は、その後の支配国家の形成という面で、(本人の思惑はどうあれど)、金貸しの思うつぼとなったと結論付けました。
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