2013-12-25

資力が武力を上回ったのはなんで?(2) 〜負け組が築き上げた国:スイス

「資力が武力を上回ったのはなんで?」シリーズ第3弾です☆
↓↓ 今までの記事はこちら ↓↓
【0】プロローグ
【1】“公共事業”としての十字軍と、周辺ビジネスで肥大した「騎士団」
前回登場したテンプル騎士団は、十字軍のアッコン陥落後、さらに上記のフランス王から弾圧された後、「スイス」に逃げ込みました。
なぜ、スイスだったのでしょうか?
今回は、スイス国家成立の起源について詳しく見ていきたいと思います♪

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まずは、スイス国家成立に際し、深く関わった人々やその人々の外圧状況を見ていこうと思います。
【1】テンプル騎士団
前回の記事にもありましたが、聖地の守護、巡礼者の保護を目的に結成されたテンプル騎士団は、どんどん入団者を増やし、ヨーロッパと聖地イエルサレムをつなぐ「巡礼領域」において、一大勢力に発展していきました。中でも、地中海の制海権を独占し、独自の船舶を保有していたテンプル騎士団は、中東へ兵員を輸送するばかりか、巡礼者も金を取って輸送、その帰途には香料やシルクなどの中東の物産を積載してヨーロッパで売りさばくことで、莫大な富を得たのです。また、この財を元手に手形取引や銀行業務など金融にも手を出して行きました。
しかし、1291年アッコン陥落によりテンプル騎士団の存在意義がなくなってしまいます。
というのも、アッコンとは、イエルサレム王国の海岸の僅かな残地で、ここが陥落したことでイエルサレム王国は完全に消滅してしまったのです。
その残党たちが財を隠し守るためにスイスに逃げてきたのだと考えられます。
また、当時のフランスはイギリスとの戦争によって多額の債務を抱えており、テンプル騎士団が最大の債権者となっていました。
その存在を煙たがったフランス王フィリップ4世は、1307年にテンプル騎士団の財産と金融システムを手中に収めるべく弾圧を強行します。
この弾圧の最中、密かに財産を持ち出し、命からがら逃げ出したテンプル騎士団がスイスまで逃げ延びて合流したのです。(リンク
では、なぜスイスだったのでしょうか?
スイスは下記の地図のようにアルプス山脈が連なっており、自然の要塞となっています。

GOOGLE EARTH スイス地図

テンプル騎士団は、この地形的特長に目をつけ、自分たち自身と資産を隠し守るためにスイスにきたのではないかと考えます。
 
 
 
【2】ヴェネツィアの金融家たち
ヴェネツィアは、中世盛期に東西貿易や香辛料貿易で莫大な富を築きました。
1295年、68隻の艦隊を派遣してジェノヴァ共和国の艦隊と戦いました。最終的には勝ちますが、最初はヴェネツィア劣勢でした。そんな状況の中で、ヴェネツィア金融家たちの一派が、スイスに逃げたと考えられます。
実は、第4回十字軍で、ヴェネツィアは十字軍のために船を出したという経緯があります(リンク
スイスにテンプル騎士団が逃げ込んだことを聞きつけ、スイスなら財産を守ってもらえるだろうと、スイスに逃げ込んだのではないかと考えます。
 
 
 
【3】スイス土着の人たち
スイスは、国土の7割以上がアルプス山脈で、居住可能な土地は限られ、土地もやせているので、住むのに適しているとは到底言えない国です。
そのスイスの転換期となったのが、ウーリ州という皇帝の直轄領での、1200年頃のザンクトゴットハルト峠の開通です。今まで遠回りしないと行けなかったイタリア・ドイツ間で最短ルートを確保できるようになり、ヨーロッパ交易の要所となっていきました。そこで通行料を取ったり、必要な食糧や水、馬の飼葉や飲み水を独占することにより、収入を増やすことができました。その結果、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世より自由特許状を手に入れることができるまでになったのです。
 
ザンクト・ゴットハルト峠 (左:昔,右:現在)

 
北スイス最大の領主であったハプスブルク家は、このザンクトゴットハルト峠の権益を狙っていました。それをなんとしてでも食い止めたいウーリ州は、シュヴィーツ州とウンターヴァルデン州と手を組み、1291年に永久同盟を結び、スイス国家を設立しました。
その永久同盟に深く関わったのが、上記で紹介したテンプル騎士団です。

 テンプル騎士団は、各州で地方支部の組織を強化し、すぐに勢力を強めていき、アッコン陥落の三ヵ月後には三つの州が軍事同盟を結んだ。まもなく他の州も加わってスイスという国ができると、彼らはテンプル騎士団の多くの特徴を取り入れた。テンプル騎士団が尊敬されたのは、強大な軍事力を持ち、北の拡張主義ドイツ諸州からも、西の強欲なフランスからも自衛できたからだ。
リンクより引用

こうして、テンプル騎士団の力を借りることにより、1314年にモルガルデンの戦いで、なんとあのハプスブルク家を追放することに成功したのです!その手法が残忍だったことから、スイス軍の強さ・恐ろしさが知れ渡ることとなります。

シュヴィーツ軍の歩兵隊は付近の地形を知りつくしていたうえに「ハルバート(長さ2〜3.5メートルの柄を持つ斧と槍を合わせたような武器)」を巧みに用い、ハプスブルク軍の騎士を落馬させて串刺しにするという騎士道も何もない戦いぶりで勝利したのである。それまでのヨーロッパの戦争というものは、美々しい甲冑を身にまとった騎士同士の華麗な一騎打ちで相手を捕虜にして身代金をとることに眼目をおく「芸術品としての戦争」であったのだが、3邦の軍勢は敵軍を震え上がらせるために捕虜を情け容赦なく殺すという「邪悪な戦争」を繰り広げたのであった。
リンクより引用

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これが現代まで続く金融国家スイスの起源です!
この中で意外な事実が浮かび上がってきました!スイスを作った人々はいずれも武力統合社会の中での“負け組”だったのです。
だからこそ、スイスという辺境地に住処を求めるしかなかったのでしょう。
これこそが、他国と決定的に異なる国家形成のあり方なんです!
それまでは集団間闘争の“勝ち組”が国家を形成するのが当たり前だったのが、初めて“負け組”が国家を形成したのです!
だから、バラバラの親族単位の小さな集団の寄せ集めでしかなく、従ってどの国よりも“契約”を重んじていると想定されます。
スイスの永久同盟の血生臭さは、不安ばかりで国家の紐帯に共認充足のカケラもないことを示しているのではないでしょうか。
彼らは武力社会での負け組だったからこそ、自分たちが強国に対抗して強国を作り上げるのではなく、兵士を送り込むことによって彼らの持つ武力と共存する路線を取ったのです!
(フランス軍やドイツ軍との戦力の差は、兵士数になります。つまり1対1なら互角でしょうが、数では確実に敗北します。スイスという地理的優位な戦地であれば、ハプスブルグ家にも勝てますが☆)
 
 
さて、次回は、スイスが世界に与えた影響について扱います^^

List    投稿者 mihori | 2013-12-25 | Posted in 未分類 | No Comments » 

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