2011-09-23

『なぜ今、中東民主化が起きているのか?』【3】ニュースの整理:エジプト編

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2011年09月09日からスタートした『なぜ今、中東民主化が起きているのか?』をテーマに、前回は【2】ニュースの整理:チュニジア編(【2】ニュースの整理:チュニジア編)をみてきましたが本日は、【3】ニュースの整理:エジプト編をお送りしたいと思います。
エジプトは中東でも経済及び政治、宗教的にも最も影響力のある国のひとつと言えますが、この国でもチュニジアに引き続き、民主化デモが活発化し、アメリカとも密接な関係であった独裁政権であるムバラーク政権が倒れました。
今回も事実経緯の確認とエジプトと言う国の概要や構造を中心に整理をし、分析編につなげたいと思います。
まずは中身に行く前に恒例のヤツをお願いします。

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【エジプト騒乱の事件の整理】
チュニジアで発生した民主化の流れは瞬く間にエジプトにも飛び火します。
エジプトにおいて多人数が集まっての集会、即ちデモは禁止されていたが、ネットワークを介した呼びかけにより「警察の日」ならびに金曜礼拝に前後して大規模なデモが繰り返され、ムバーラク退陣を要求する声があがりました。
これに対しムバーラクは当初、内閣刷新、改革の実施、また次の選挙には出馬をしないことを表明する一方で任期一杯の9月まで大統領職に留まる意思を示し沈静化を図ろうとしました。
しかし、デモは収まらず、軍は中立を表明し、諸外国からも退陣を要求されるに至り、ムバーラクは追いつめられ、遂に大統領職を辞すことになりました。以下が事実経緯です。
<1月14日>チュニジアのデモ拡大を受け、ベンアリ大統領が国外へ脱出
<1月25日>エジプト各地の反体制デモに数万人が参加
<1月27日>ブログサイトとして英語圏で最大手の一つ、blogspot.com に「エジプトの一青年」と名乗る匿名の人物によるブログへの寄稿が投稿される。その後世界中に拡大。
<1月28日>カイロなど主要都市に夜間外出禁止令を出し、インターネットなどを一時遮断
<2月4日>各地で「決別の日」と銘売った大規模デモ。カイロ中心部では約20万人が参加
<2月4日>与党国民民主党が、ムバラク大統領の次男ガマル氏を含む執行部主要役員の更迭を発表。ムバラク大統領は党首に留任
<2月6日>スレイマン副大統領がムスリム同胞団など野党勢力と対話。非常  事態解除などで合意。
<2月7日>デモ呼びかけ人であるグーグル幹部ワエル・ゴニム氏を釈放
<2月8日頃>各地で労働者らによるストが発生。
<2月8日>カイロ中心部タハリール広場で数十万人がデモ
<2月9日>アブルゲイト外相がテレビで「混乱が生じれば軍が介入」と発言
<2月9日>ムバラク大統領がテレビ演説。即時辞任を否定
<2月11日>スレイマン副大統領がムバラク大統領辞任を発表。現在はエジプト軍最高評議会に全権が委譲されている。
【エジプトの概要】
ここではエジプトという国の概要について、ポイントを整理します。(詳細は各リンクを参照してください)
正式名称は「エジプト・アラブ共和国」といい、基本的にチュニジアもエジプトも共和制アラブ諸国というくくり。他には王政アラブ諸国というくくりがあり(共和国=共和制とは君主制とは対の概念で、特定の君主ではなく、法制度によって統治するという国の考え方です。こちらも詳細はウィキなどで確認願います。)
※中東各国の政治風土等については『イスラーム地域研究所』が参考になります。


1)選挙制度・政党
エジプト:大統領制(公選制、任期に制限なし)。複数政党制。一院制議会(定数454、任期5年)、普通選挙(すべて2人区の222選挙区)による444議席、残り10名は大統領による任命。現在の与党は国民民主党(311議席)。政権による選挙妨害が、半ば公然と批判される。イスラーム政党は非認可。(ただし、ムスリム同胞団の無所属候補者が88名当選)。


2)経済と社会状況
主要産業はスエズ運河収入と観光産業収入。以前はナイル川のもたらす肥沃な土壌により農業が主要産業のひとつであったが、灌漑とアスワン・ハイ・ダムの建設で結果的に農地は増えたが土地が痩せ、肥料等によるコスト高で価格競争力がなく停滞。
都市部に貧困農民が流入し、治安・衛生の悪化と低所得者増、失業率増などの社会不安を抱えている。
※詳細はウィキの「エジプト」
を参照していただければと思います。


3)国の歴史と諸外国との関係
※こちらも詳細はウィキペディアを参照してもらいたい。ポイントのみ抽出します。
・5000年前:古代エジプト文明→ローマ帝国時代:ローマ帝国の属州
・エジプトのイスラム化:1000年以上イスラム教国(現代エジプトの9割はイスラム教)
 969年に現在のチュニジアで興ったファーティマ朝によって征服される。→これ以来、イスラム王朝が500年以上に渡って続く。
・1922年:エジプト王国誕生→立憲君主制(議会制)。(イギリスの傀儡政権)
 →第二次大戦後:パレスチナ問題深刻化→★第一次中東戦争
・1952年:ナーセルらによるエジプト革命。
 (ムスリム同胞団などイスラム主義の台頭→エジプト史上初めての共和制)
 →汎アラブ主義、第三世界・アラブ諸国の雄として台頭。スエズ運河国有化を断行。
 →→★第二次中東戦争(スエズ戦争)
 →1958年:シリアと連合してアラブ連合共和国を成立。
 →1961年にはシリアが連合から脱退。
 →1967年:→★第三次中東戦争惨敗→ナーセルの求心力喪失。
・1970年:サダト大統領(ナーセル急死による)
 →社会主義的経済政策の転換、イスラエルとの融和→「エジプト・アラブ共和国」へ
・1981年:サダト大統領暗殺(イスラム過激派による)。
 →副大統領であったムバーラクが大統領に昇格。
 →ムバーラクは対米協調外交を進める一方、イスラム主義運動を厳しく弾圧。
 →実質アメリカの傀儡政権となった。


またエジプトを扱う上で重要な中東戦争についても記述しておきます。
●イスラエルVSアラブの戦争(上記★印の詳細)<ウィキペディアより>
・1948年〜1949年:第一次中東戦争(パレスチナ戦争)
 イスラエルVSアラブ連盟(レバノン、シリア、トランスヨルダン、イラク、エジプト)
 →イスラエルへ敗北。イスラエルは独立国へ。
・1956年〜1957年:第二次中東戦争(スエズ戦争)
 イスラエル、イギリス、フランスVSエジプト
 →、英仏はスエズ運河を失い、エジプトが国有化
・1967年:第三次中東戦争
 イスラエルVSアラブ連合(エジプト、シリア、ヨルダン)
 →アラブ惨敗→イスラエルはガザ地区とヨルダン川西岸地区の支配権を獲得。
 →パレスチナを統一。シナイ半島とゴラン高原を軍事占領。 
・1973年:第四次中東戦争
 イスラエルVSエジプト、シリアなどの中東アラブ諸国
 →アラブ側が先制攻撃、イスラエルが巻き返し→米ソ両国の提案で停戦。
 →エジプトは緒戦での攻勢で、とりわけアメリカに強さを示すことができ、強国イスラエルのみを見てきたアメリカの中東政策を見直させることに成功。
 →以後は対米接近を進め、イスラエルとも平和条約を結ぶに至る。


3)中東におけるエジプトの位置付け(アメリカとの関係)
★サダト大統領
・1973年の第四次中東戦争を起こし、イスラエル軍に大打撃→国民的英雄へ。
・しかし、以後はナーセルの外交路線を完全に転換してアメリカ合衆国に接近。
 →1977年にイスラエルのベギン首相の招きでエルサレムを訪問。エジプト・イスラエル間の和平交渉を開始。
 →1978年アメリカのジミー・カーター大統領の仲介のもとキャンプ・デービッド合意。
 →1979年には両国間に平和条約。(ベギンとともにノーベル平和賞受賞)
 →しかし、国民からは反発。「パレスチナのアラブ人同胞に対する裏切り」→暗殺。


★ムバーラク大統領(軍人出身)
・サーダートの親米・親イスラエル路線を継承。
 →イスラエルとパレスチナの中東和平交渉では両者の調停役として尽力。
 →1982年、第三次中東戦争でイスラエルに奪われたシナイ半島の返還を実現。
 →冷戦期のムバーラクの外交路線は基本的には西側寄りであるが、1984年にはソビエト連邦との外交関係を修復。
 →冷戦終結後はより親米路線に傾斜。1991年の湾岸戦争ではアメリカ・イギリスを中心とする多国籍軍へのエジプト軍の参加を決断。
 →2001年9月11日のアメリカ同時多発テロではアメリカへの支持を表明。イスラム過激派の取り締まりにも積極的であった。
 →こうした親米・親イスラエル路線は欧米諸国の高評価につながり、ムバーラクが2000年以降、外貨導入を積極的に図ってエジプトの国内総生産の一定的な成長を達成し得る一因となった。
・国内的には強権的統治→イスラム主義者による反発
 →サーダート暗殺を契機に親大統領就任当初からエジプト全土に非常事態宣言を発令し続け、強権的な統治体制を敷いた。
 →長期にわたる強権体制の結果、政権の要職はムバーラクの腹心で固められて人事は硬直し、貧富の差も固定化。
 →このような親米・親イスラエル路線、そして独裁政治は、自由を制限された貧困者層による批判の対象となり、ムバーラクは何度かイスラム主義者による暗殺未遂事件に見舞われた。
・つまり中東イスラムの代表としてのナーセルから一転、サーダート→ムバーラクの新米路線が浮かび上がる。汎アラブ主義の中心国家として、4回の中東戦争ではイスラエル=西側諸国と交戦。イスラム国家を代表とする国だったが、第四次中東戦争以降は完全な新米路線をとり、イスラエルと平和条約を締結。中東イスラム諸国の連携が崩れる形となる。(当時イスラム諸国との国交断絶状況)


4)独裁政権
・サーダートの急死後に国を引き継いだムバーラクは第四次中東戦争で西側に実質勝利を譲ってもらった代償として、アメリカ傀儡政権を約束し英雄=独裁政権を維持し続ける。
・イスラム主義運動の弾圧を行いつつ、周辺のイスラム諸国との関係回復を行い、現在はアフリカの一国として国際連合安全保障理事会の常任理事国入りを目指しているほどだった。


【民主化の背景と一次分析】
サーダート→ムバーラクの方向転換が西側(=アメリカ)の関与=なんで独裁政権となったか?の答えの部分に繋がるポイントでしょうか?
詳細は数回後の分析編に譲りますが、現在のエジプトの主要産業としてのスエズ運河の建設〜運営権を巡っても、当初からイギリス(とその後ろにいた金貸しのロスチャイルド)とアメリカ(とその後ろにいた石油王ロックフェラー)との権力争いが見え隠れしています。

List    投稿者 imayou | 2011-09-23 | Posted in 未分類 | 5 Comments » 

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コメント5件

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だから歌や演技が下手でも許される感じがあった。

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