2012-07-22

近代市場の成立過程(13)〜ヴァイキングと欧州商人によって形成→台頭したロシア帝国〜

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●「近代市場の成立過程」シリーズ
(1)プロローグ
(2)近代市場の誕生前夜・富豪の台頭⇒現代通貨制度の原型が形成される〜
(3)ルネサンスの先駆者ダンテが金貸したちにもたらしたものは…
(4)メディチ家はなぜ栄えたか?
(5)ルネサンス:金貸しによる恋愛観念の布教
(6)マキアヴェリの思想とその影響
(7)大航海時代を実現した金貸したち〜
(8)近代思想の原点となった宗教改革→新たな金貸し勢力の台頭
(9)中間まとめ 金貸しの台頭と教会支配の衰退〜
(10)16世紀、小国から大国に大化けしたイングランド、その背景を読む。
(11)現代金融システムの原型とデカルトの思想を生み出した商業国家オランダ〜
(12)絶対王政と重商主義にみるフランスの発展〜
 
  
シリーズ第13弾です。
 
今回は、辺境の地から今や世界の大国にまでのし上がったロシアについて、その建国の起源から18世紀前半に東欧で台頭していくに至るまでを扱ってみたいと思います。
 
 
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■ ヴァイキングによって形成されたロシア最初の国家:キエフ・ルーシ(9〜12世紀)
9〜11世紀の第二次民族大移動によって、スカンディナビア半島を原住地としていたヴァイキング=ノルマン人(北ゲルマン)が、南下して欧州各地に侵略。その中で南東に移動し、原住民であるスラブ人を支配する形で形成されたノヴゴロド公国(現在のサンクト・ペテルブルクの南約200キロ)が、ロシア最初の国家です(862年)。
 
その後ウクライナのキエフを支配するようになり、キエフからノヴゴロドにわたる統一国家(キエフ・ルーシ)ができます(※ノルマン人は当時ルーシあるいはルス=Rusと呼ばれていた)。今日のロシア=Russiaは、このルーシ(ルス)という言葉が語源となっています。
 
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またこのとき、国王であったウラジーミル1世が988年、ビザンツ帝国の皇帝の妹と結婚し、ギリシア正教を取り入れました。(これが現在のロシア正教の起源となります)
 
※当時ヴァイキングの侵略は欧州各地を脅かしている状況にあり、上記政略結婚はビサンツ帝国としても、一定友好関係を構築しておきたい思惑があったのでしょう。
 
 
■ 独立への経済力を蓄積したモンゴル帝国支配の時代(1240年〜1480年)
その後、キエフ公国は弱体化→10余りの小国家への分裂を経て、1240年から約240年間、ロシアの大部分はモンゴル帝国の支配下となります。
 
このとき、小国家の一つモスクワ公国は、ロシア大公として徴税をまかされ、免税特権によって発展したギリシア正教会と結んで勢力を拡大。同時にモンゴルによってロシアには銀経済がもたらされ、東西交通の幹線道路も通るようになります。
 
※この頃ノヴゴロドは、ドイツ商人のハンザ同盟に参画。それによりスウェーデンやデンマーク、イギリスなどと自由貿易を行い大きな利益を得ていました
 
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※ハンザ同盟
 
 
☆この頃は、モンゴル帝国の力にあやかって、着々と経済力を付けていった時代であると言えます。
 
 
■ 東ローマ帝国の継承として成立したロシア統一国家(1480年〜16世紀)
 
○ イヴァン3世によるロシア統一国家
その後、徐々にモンゴル帝国が解体過程に入る中で、モスクワ大公国のイヴァン3世が1480年、キプチャクハン国(モンゴル帝国の一部)支配から独立し、さらに諸公国を征服して統一国家を形成します。
 
このときイヴァン3世は初めてロシア皇帝を意味するツァーリを名乗ります。同時に、この時代からロシアという名称も登場しています。さらに、現在のロシアの国章でもある、双頭の鷲の紋章も東ローマ帝国から手に入れました
 
1453年に滅亡した東ローマ帝国最後の皇帝の姪を妻としたことによって、東ローマ帝国の紋章であった双頭の鷲を自らの紋章としたのでした。モスクワはこうして、第二のコンスタンチノープル、さらには第三のローマを名乗ることのできる地位を得ました。
 
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○ イヴァン4世による教会権力と大貴族
イヴァン3世の孫にあたるイヴァン4世(1533〜84)は、自らギリシア正教の首長を兼任し、強すぎる教会権力を削いでいきます。加えて大貴族たちには容赦ない所有地没収や処刑を繰り返し、一気に中央集権化を進めました。
 
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※イヴァン4世
 
 
○ コサックを取り込んで東方への領土拡大
ウクライナや南ロシアに居住していたコサック集団を、ストロガノフ家(ロシアの富豪)やイギリス商人が支援し、東方(シベリア)への侵略を進めます。モスクワ政庁とイルクーツク総督府は、彼らが開発した地域へ官吏を送り込み、町を建設しロシア行政組織に組み入れることでロシア領土の拡大に成功します。要は、国家が商人と結託して、領土拡大を実現したということです。
 
 

ヨーロッパの宗教改革→大航海時代によって、新興商人・貴族が台頭し、負け組み欧州貴族が黒海周辺の逃亡農民を束ねて武装化
⇒この逃亡農民と逃亡貴族が武装化したものが軍事共同体「コサック」

 
このコサックを、ポーランド王国、オスマン帝国、クリミア・ハン国へ対抗するための軍事力としても活用します。
 
※シベリア征服によって、輸出品の主力であった毛皮の生産量が大幅に増え、16世紀末には毛皮収入がロシアの貿易収入の3分の1を占めるまでになっていたとのこと。
 
 
○ イギリスとの貿易によって国富増強
アジアとの北極海交易ルート開拓を狙っていたイギリス商人によって1555年、ロンドンに「モスクワ会社」が設立されます(後の東インド会社、新大陸向けのハドソン湾会社などの先鞭をつけた)。
 
イヴァン4世はこのモスクワ会社に英−露間の貿易を独占する権利を与え、イギリスとの交易強化に注力。(イヴァン4世は、イギリスやオランダ商人を通じてエリザベス1世との往復書簡を交わしたり、欧州の情報を入手していました)
 
 
○ 中央アジアにおける南下政策→国家拡張
1552年にヴォルガ川中流域にあるカザン・ハン国を攻めてこれを併合し(ロシア・カザン戦争)、その後ヴォルガ川がカスピ海に流れ込む辺りにあったアストラハン・ハン国を滅ぼした。これらの国・地域を支配下においたことで、ロシアは現在のような多民族・多宗教の国家へと変貌します。これによりヴォルガ川流域全域に支配を及ぼし、中央アジアへの足がかりを得ることに成功します。
 
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■ 領土拡大と交易路の開拓によって国力を蓄積したロマノフ朝(1613年〜1917年)
イヴァン4世の血統が途絶えると、しばらく動乱時代をが続きますが、それを収束させたミハイル・ロマノフがロマノフ朝を創始(ストロガノフ家が背後で支援)。この時代も領土はどんどん拡大し、18世紀にはカムチャッカ半島、アラスカまで進出します。19世紀には日本海沿岸まで到達し、ウラジヴォストークを建設します(1860年)。
 
17世紀末に即位したピョートル1世(1682〜1725)は軍事、行政から日常生活に至るまで、徹底した西欧化改革を行い、西欧列強に並ぶ国家形成を目指しました。
 
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※ピョートル1世
 
また、中央アジアとの交易拡大として、満州北部での清朝政府との紛争を経て、1689年に中国とネルチンスク条約を結び、バイカル湖の東に接する地域および北京との交易ルートを獲得します。
 
1712年には、モスクワから「西欧への窓」となるサンクト・ペテルブルクに首都を移転。1721年にスウェーデンとの北方戦争に勝利し、ピョートルは全ロシアの皇帝(インペラトール)という称号を元老院から与えられました。これ以後、正式に、ロシア帝国と呼ぶことができ、また東欧の最強国としてヨーロッパ国際政治の舞台に登場することになります。
 
※さらにユーラシア大陸の東西を結ぶ交易路の完全制圧を求めて、南下政策を実施。オスマントルコ(露土戦争)、イラン(ロシア・イラン戦争)、クリミア半島(オスマントルコ、仏、英 vs ロシア)と続きますが、いずれも近代化が進んでいた欧州の前に敗れ去ります。
 
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※当時の領土の変遷
 
 
また、この頃には、ウラル地方から大量の宝石類(アクアマリンやアメジストなど)が採れるようになり、これがロマノフ朝のさらなる財源となっていきます。
 
 
■ まとめ
①ヴァイキングによりロシア最初の国家成立(862年)
②同じヴァイキングが居住する北西欧地域(イギリス、ドイツ、スウェーデンなど)との交易で富を蓄積(ハンザ同盟etc) 
③モンゴル帝国からも、経済基盤(通貨や流通)がもたらされる
④欧州負け組み貴族集団「コサック」を取り込んで国力増強(背後にイギリス商人の支援)
⑤新興の大国イギリスとの関係強化によって領土、貿易拡大
 ※イギリスは、格下のロシアを利用して、北海経由でのアジアとの交易拡大を進める
  ⇒モスクワ会社設立
⑥中央アジアへの領土拡大や清朝との交易の確立で、欧州とアジアを結ぶ交易の中継地へ
 
 
辺境の地であったロシアに国家を形成し、北欧諸国家の資金源(交易相手、交易ルート確保)としての立場を利用しつつ、一貫して交易で蓄財。さらに東方の未開の地(シベリアなど)を開拓することで大幅に交易力を拡大し、東欧でのし上がった国がロシアだと言えます。豊富な資源(毛皮や宝石など)がその原動力となっていたあたりは、現在のロシアの姿と重なります。
 
  
これ以降、欧州の金貸し支援によって、世界的大国としての国力を実現していくことになりますが、結果的にそれが金貸の手に堕ちていくことにも繋がっていきます。
次回のロシア記事で、その流れをおさえていきたいと思います。
 
 

List    投稿者 nishi | 2012-07-22 | Posted in 未分類 | No Comments » 

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