2013-08-13

お金はどこから生まれてきたのか?西洋編まとめ:架空価値の創造

さて長かったエジプト旅行も無事終えたので、再びメソポタミアに戻ってみましょう。

復習の意味でこのシリーズでのこれまでの記事をどうぞ。

第一回:4000年も前からシュメールで価値の尺度として使われてきた“銀”

第二回:メソポタミア文明の農耕と銀

第三回:占星術と銀

第四回:エジプト文明と金

 

改めてですが、前シリーズでは中国でのお金の流通が実質価値から始まり、徴税によって確立したことをまとめました。中国では農地が生産基盤であり、その農地を耕す鍬から青銅銭の一つ布銭が生まれたのでした。

一方メソポタミア地方では銀が貨幣として使われていたと考えています。銀は月の象徴として人々に共認されましたが、どのようにして「お金」として流通するようになったのか?いよいよその結論に迫っていきます。

 

■メソポタミア地方での資産は「種」・・・そこから利息の始まり

 

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メソポタミア地方では、灌漑農業による塩害のため、農地はいずれ使えなくなってしまいます。先祖が遊牧部族であり土地への執着も小さかったでしょうから、シュメール人の都市国家では、土地の価値は高くありません。

代わりにシュメール人にとって価値があるのは現物としての「収穫物」でした。敢えて区分すれば固定資産である土地本位制ではなく、流動資産である穀物本位制といえます。この収穫物は、単純に「食料」という側面と次の収穫物としての「種麦」とに分けられます。今年の土地は使えなくなっても「種麦」があれば次の土地で収穫できるため、メソポタミアでは「種麦」が非常に重要だったと考えられます。

 

この「種麦」の貸し借りは世界の彼方此方で見られ「利息のはじまり」と言われています。→詳しくはコチラ(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E6%8C%99)ウィキペディアより
 

ちなみにメソポタミアでは麦一粒の生産高は20〜80倍と言われおり、現代でもヨーロッパで15、16倍、アメリカで23倍と言われているので相当なもの。

実はこの洪水による沃土と灌漑農業による高い生産性が、これから展開する「貨幣制度」の根幹を支えているのです。

 

ではいよいよ銀はどのように使われていったのでしょうか?

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(さらに…)

  投稿者 goqu | 2013-08-13 | Posted in 08.金融資本家の戦略No Comments »