2014-04-09

【幕末維新の代理人15】倒幕への道~倒幕テログループの興り~高杉晋作も過激公家も『なりすまし』

関が原以来の徳川政権への長州藩の怨恨、朝廷との繋がりある長州藩、貿易の開放etc(→参照) 長州藩の倒幕への因果は、先日の記事で明らかにしました。

一方で、倒幕テロのきっかけとなった人物が登場し、国際金融資本勢力の思惑も当然働いています。

今回は、この国際金融勢力の影響を最も受けた、高杉晋作と長州藩を整理してみます。

明治からの日本は日本では無い(2)
1862年の夏、上海から国家転覆を企む男がひとり、日本に帰って来たことから歴史の歯車が狂い出す。
即ち長州藩を過激な倒幕運動に導き、国際金融資本の手先として動いた男、 高杉晋作である。
ここからが倒幕テロリズム開始の年となる。
それに先立つ22年前、清国では英国との貿易の結果アヘン輸入量が増大、大量の銀が国外に流出したため、英国との貿易を禁止。これを不服とした英国は貿易保護を理由に軍隊を派遣した。アヘン戦争である。
敗れた清国は南京条約を締結し、英国に香港を割譲、上海・広東・アモイ・福州・寧波を開港した。
つまり香港を始め上海等は英国に本拠地を置く国際金融資本家たちの集合地帯となっていた。
この連中は世界のほとんどを植民地にし、アジアもインド・ビルマ・シンガポール等を支配下におき、アヘンを撒き散らし、略奪・虐殺の限りを尽くして荒稼ぎしていた者たちである。
そして当時清は「太平天国の乱」真っ最中で、「滅満興漢!」(満族から漢族へ)のスローガンを掲げ、そこかしこに打倒・清を目論んでいる連中がいた。
おそらく高杉率いるグループはここで国際金融資本家や打倒・清を目論む連中から革命思想でも吹き込まれたのであろう。
そもそも高杉の師匠、吉田松陰は易姓革命の理論的根拠となっている「孟子」を信奉していた。
つまりその松陰から薫陶を受けた高杉が革命思想に取り付かれるのも故無きことではない。
フランス革命も後のロシア革命もこの国際金融資本家たちが資金の提供元とされていることを考えると、さもありなんである。

(さらに…)

  投稿者 dairinin | 2014-04-09 | Posted in 02.日本の金貸したち, 09.反金融支配の潮流No Comments »