2011-02-26

シリーズ 認識形成の場が国家と市場を超える(6)〜認識形成の『場』を構築することこそ、真の社会活動である その2

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 前回、「認識形成の場が社会を統合する」という事が、人々の共認形成の土台になり、真の社会運動であるということを展開してゆきました。
今回は、改めて、これまでの「社会運動」がどういうものであったか?ということを押さえてゆきたいと思います。
 
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 前回の記事で、認識形成の『場』を構築することこそ真の社会活動であるということを扱いましたが、これまでの社会活動(運動)ではどのような運動が行われており、それがどう実現したか?というところを見てゆきたいと思います。
 るいネットに過去の社会運動の総括をしている投稿があるので、引用しながら扱います。
 
 それでは、投稿:現実否定の自己欺瞞及び 投稿:社会運動の自己欺瞞 の一部を引用しながら、過去の社会運動と呼ばれるものの中身を見てみましょう。
 
 実は、驚くべき事に、史上、社会運動は一度も実現されたことがないのです。つまり、史上の「社会運動」は全て実現出来ない偽物であったということが言えるのではないでしょうか。 

1.原始時代は、祈るだけしか出来なかったが、それは近代の「否定するだけ・要求するだけ」とは全く異なる。原始人は、集団が一丸となり、潜在思念の全てをかけて自然を対象化しているのに対して、近代人は自我に基づいて社会を否定しているだけである。
同類闘争という観点から見ても(そこでは当然、敵に対する否定意識が存在するが)、それは直ちに闘いに直結しており、近代の様に要求するだけという状態は有り得ない。
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2.古代の思想運動(孔子、釈迦、キリストetc)原始人は、絶対的な自然圧力を前にして、とことん自然を対象化した。しかし、古代人は自然圧力ではなく(自然圧力に比べれば変革が容易な筈の)敵対的な現実の共認圧力を絶対的な壁として不動視し、その現実を否定的に捨象した。
換言すれば、古代人は現実の共認圧力を捨象して全く対象化しようとはしなかった。そして専ら、頭の中の本源回路を代償充足させる為の、感応観念(価値観念や規範観念)に収束した。
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 古代の思想運動からは、現実と運動が乖離し始めます。当時、現実的には国家が成立し始め多くの国民は貧困が強く、食うにも困るような状況であった。その状況というのは国家の搾取から生まれているのは言うまでも無く、そういった多くの国民の現実を変えるには国家の搾取を変えるしかなかったのですが、現実を変えられないからこそ、頭の中だけでも救われようということで、広まったのが上記の古代の思想です。「信じるものは救われる」という言葉に代表されるように、古代の思想運動は現実を否定した、実現出来ない運動であったと言わざるを得ないでしょう。
 本来ならば、飢えなどの本能を満たす為に観念(頭)を働かせますが、観念(頭)を満たす為だけの運動であったのが、この思想運動だったのだと思います。
 近代に入るとこの欺瞞的な構造は要求運動へと加速されてゆきます。

3.近代の社会運動近世・近代に至って市場拡大という現実(自我・私益の拡大)の可能性が開かれると、現実否定の感応観念の内部に自我・私益が取り込まれ、倒錯観念は自我・私益を正当化した欺瞞観念(恋愛・人間・自由・個人etc)に姿を変えた。とりわけ、「権利」とはただ要求することを正当化した架空観念である。
しかし、近代思想家は古代宗教家と同じく、現実そのもの(=自我・私益・力そのもの)を直視しようとはしなかった。なぜなら、それらの都合の悪い本質部分は、あくまで否定すべきものとして捨象したからである。そして、開かれた現実の可能性を、欺瞞観念(恋愛・人間・自由etc)の実現の可能性だと都合良く錯覚した。これは、明らかに「現実」のスリ代えである。
しかし、(スリ代えられたものであっても)「現実」の可能性が開かれた以上、その出口を塞いでいる身分制度を解体すれば、「当然」新しい社会を実現することも可能に見える。こうして、社会運動が登場した。
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 近代の社会運動に代表されるのが、要求運動です。簡単に言ってしまうと、自身の自我・私益の拡大を正当化するような聞こえの良い言葉(人権や平等)を元に、要求を繰り返すというのが近代の社会運動の実態だったんじゃないでしょうか。代表的なものが、労働者の権利を元に賃上げや待遇の改善を要求するストライキなんかはその代表ですね。
 
 少し古い事例でいうと、フランスの市民革命もその一つです。封建制から議会制へと革命を通じて政治制度が変わりましたが、発端は一般市民ではなく、実は私権をある程度獲得している中流階級が、王権への私権集中に不満を持ち、市民革命と称して政権交代を果たしたのが、フランスの市民革命の実態だったんですね〜。その後『フランス人権宣言』なるものが制定されましたが、その中では人権や平等、自由についての規定がされています。しかし、よくよく内容を見てみると、対象は“全ての人間”ではなく、教育を受けることができる富裕層=大商人(しかも男性だけ)が「人」であるということが浮かび上がってきます(驚きの事実です! )。
 
4.最近の社会運動(環境等NPO活動等) 近年では、要求運動は息を潜め、寧ろ社会の役に立ちたいという人が、環境団体やNPO等を設立し、社会活動を展開している事例が多く見られるようになりました。しかしながら、これらの運動をされている人たちもその活動の限界を感じているようです。
 
 その限界とは、「体制の補完運動」であることに他ならないのではないでしょうか。いくら環境に配慮しようとも、汚染源である市場拡大主義を変えなければ、根本から環境を改善することは出来ないでしょう。また、NPOの活動等も、市場と政府の中間で成り立たなくなった部分の補完という立場に立たされていると言っても過言ではないでしょう。
 要するに、社会を良くしていきたいと言うみんの志が、くしくも社会を閉塞に陥らせている元凶である政府と市場を延命させる補完的運動となってしまっているという事になります。
 
 
 このようにこれまでの社会運動はなにひとつ問題を解決する事は出来なかったのです。
 しかしながら、最近の社会活動(環境・NPO)に見られるように、私権発ではなく本当に社会の役に立ちたい。社会のためになる活動を担いたいと言う大きな潮流が見て取れます。現状は体制を補完する社会活動に絡め取られてしまっていますが、ひとたび、「認識形成の場の形成が真の社会運動である」と言う事に気付けば、一気に転換がすすんでいくのではないでしょうか?認識形成の場の形成に必要な土壌はすでに出来つつあるのだと思います。
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【参考投稿】
共認革命6 チンケな運動(要求運動の終焉)
共認革命8 運動信仰を捨てて、共認革命を
20054 現実否定の自己欺瞞
20055 社会運動の自己欺瞞
20354 観念パラダイムの逆転2 現実否定の倒錯思考

List    投稿者 pandaman | 2011-02-26 | Posted in 未分類 | 3 Comments » 

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コメント3件

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