2008-11-30

ブレトンウッズで勢力を増進した金貸したち、新ブレトンウッズで勢力減退へ!

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1944年ブレトンウッズの背景
米国ニューハンプシャー州のブレトンウッズで、国際通貨基金協定などが結ばれて、ドル基軸通貨体制が確立した。
この時、国際銀行やIMFの設立と並んで、GATT(後のWTO)も設立された。1929年の大恐慌以来、主要国が取ってきたブロック経済政策を取り払うのに必要な機関であった。つまり、GATTが目指したのは貿易の規制を緩和することによって、輸入数量制限や特定品目の禁止などの障壁を取り除くことにあった。
当時の実体経済を主導する米国が、グローバリズムを進めていくためには、輸出入における障害を廃するための規制緩和が不可欠であったのだ。
米国が覇権を確立するためには、ポンドからドル基軸通貨体制に移行することと貿易の自由化がセットで必要であった。また、それは実体経済を背景とした覇権闘争であったとも言えるだろう。
この時代は、金貸したちも実体経済に投資していた。これ以降、世界の富の大半が米国に流れ込み、金貸したちが米国に拠点を置くようになった。世界経済では、ドルが流通し、為替が安定したため、経済規模は発展していったが、ドルの流通量が増加したため、米国の国際収支は赤字になり、ドルの信用が低下していった。
ところが、1971年のニクソンショックにより、米国自らが金ドル交換停止(IMF協定違反)や輸入課徴金の導入(GATT協定違反)を行い、ブレトンウッズ体制が崩壊していった。これにより、変動相場制が世界で採用されるようになった。
それに伴い、貧困が消滅し、実体経済の拡大がストップすると共に、金貸したちの活躍しやすい状況が作られたのである。金貸したちが実体経済からマネー経済に移行していったのは、このころからである。
ブレトンウッズ体制を崩壊させマネーゲームへと導いたのは、その体制を作り上げた米国自身であった。

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  投稿者 matchan | 2008-11-30 | Posted in 07.新・世界秩序とは?6 Comments »