2010-09-01

BRICs徹底分析〜ロシア編その2 プーチンが引継いだ自由化路線の「負の遺産」

先回はロシア編その1として、小麦禁輸措置からロシアの農業生産、農業政策を紹介しました。 
 
今回は、1991年のソ連崩壊から、2000年のプーチン大統領誕生までの10年間に起こった、ロシア自由化路線の「負の遺産」をレポートします。 
 
ソ連の崩壊

広瀬隆雄氏「ロシアの経済史(その1)より

計画経済
政府は需給関係ではなく、政治的配慮からものの値段を決めていきました。例えばパンや電灯光熱費は実際にそれらを生産するコストより低く価格が設定されました。この為、穀物よりも最終製品であるパンの方が安いので農家が家畜に飼料ではなくパンを与えるということも平気でおこなわれていたそうです。そういう非効率に加えて労働者のモチベーションを維持するのが困難であったこと、さらに価値の分配に際していちいち監督・監視しなければいけないので経済の「間接部門」が肥大化したことなどが徐々にソ連の計画経済を活力の無いものにしてしまったわけです。

ソ連は1917年ロシア革命に始まり、1991年に幕を閉じました。 
 
当時、党内抗争に敗れた改革派のボリス・エリツィンは1991年のソ連8月クーデターの鎮圧に活躍し、同年12月にソ連が崩壊し、初代のロシア連邦共和国大統領となりました。
1989年ベルリンの壁崩壊の後、2年後の出来事です。 
 
1991年、ソ連8月クーデターの際にロシア最高会議ビルの前で戦車の上に立ち演説を行うエリツィン 
 
 %E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%84%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%80%80%E6%88%A6%E8%BB%8A.jpg 
 
しかし、ソ連崩壊後、ロシアは一気に市場経済を導入しようとしたものの、ショック療法による体制移行は、ハイパーインフレーション発生と経済成長率のマイナス転落という結果を招き、苦境に陥りました。 
 
1998年までにはロシアの経済規模は10年前の約半分程度迄縮小し、この過程でロシア国民が味わった辛苦は1929年のNY市場の大暴落に端を発する大恐慌の時以上だったと言われます。 
 
rosia02002.jpg 
図は、UFJ総合研究所のロシア経済は回復を持続できるかからお借りしました。 
 
計画経済の破綻から市場経済に転じたロシアは、どのような経緯で苦境に立つことになったのでしょうか?
また、ロシアの大衆は市場経済主義をどのように認識していたのでしょうか? 
 
1.ロシア経済の経緯
2.市場経済へと意識転換できない、膨大な下層(貧困)階級
3.主要産業を独占したロンドンに在住するオルガルヒ
4.外貨準備不足〜IMFの干渉、欧州金融資本の影響 
 
本文を読む前に応援クリックを!!

 
 

(さらに…)

  投稿者 unkei | 2010-09-01 | Posted in 07.新・世界秩序とは?3 Comments »