2008-08-21

<食料価格の高騰はなぜ起こるの?>その6 穀物メジャーの対抗勢力、全農グレイン

世界の穀物を中心とする食料市場におけるメジャーの支配力は圧倒的なものがあることが、このシリーズで解明されてきました。あまりの強大さに打ちひしがれてしまいそうなくらいです。(冷汗+笑) 
 
しかし、我々日本人は彼らの言いなりにならなければならないのでしょうか?それとも、彼ら穀物メジャーに対抗する勢力が存在するのでしょうか? 
 
調べてみましょう。 
 
身近すぎて、ちょっと忘れがちですが、日本には“農協”という組織が存在します。 
 
●農協は、戦後の農地改革とともに農家の経済組織として誕生した 
 
農協は全国に約千九百組合、組合員九百十一万人、農協職員三十七万人、貯金高六八兆円、購買取扱高五兆円、農産物販売高五兆九千億円というマンモス組織である。 
 
都会に暮らす人々にとって、農協は、八百屋や果物屋の店先で段ボール箱に印刷された産地名で目にする以外は、縁遠いかも知れない。が、これも農協の一つの側面にすぎない。都会には生活協同組合があるが、これは消費者の協同組合であり、農業生産者の協同組合が農協なのである。 
 
生協と違って、農協は購買、販売、信用(金融)、共済(保険)など事業分野が広いのが特徴である。日本の農協の歴史は、戦前の「産業組合」にさかのぼる。 
 
明治維新後、「地租改正」(明治六年)が行われ、年貢(物納)から貨幣で納める税制に変わったが、徳川時代と変わらぬほどの重税であった。そのため、自作農民が小作人に転落したり、あるいは都市に出て労働者になる者が続出した。また不在地主や高利貸が増え、農村の社会不安が増大した。 
 
こうした実情の中で、政府の要職にあった品川弥二郎らは、このままでは国そのものが危うくなると考え、農民の没落を防ぐため、ドイツの信用組合などを参考に協同組合をつくることを推進した。
こうして生まれたのが「産業組合法」(明治三十三年)で、昭和五年の昭和恐慌(農業恐慌)を経て産業組合は農村地域に大きな力を持つ存在となった。戦時体制に入ると同時に、「農業会」に改組され国家統制の代行機関となった。 
 
この農業会も、敗戦により解散させられ、「農業協同組合法」の制定(昭和二十二年)により、昭和二十三年から二十四年にかけて全国的に設立されていったのが農協である。戦後の民主化の中で土地所有制度が改められ、「農地改革」により農民は自作農となった。この農地改革の成果を守る農民の経済組織としての役割を農協は担ったのである。 
 
実は、そんな農協グループの全農グレインという会社が、なんと米国内に飼料原料基地を持っていたのです! 
 
写真は、全農グレインのニューオリンズの積出施設 
 
zgc01.jpg 
 
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  投稿者 katuko | 2008-08-21 | Posted in 06.現物市場の舞台裏6 Comments »