2009-08-06

食料自立への道を探る12.日本の食糧輸入元、オーストラリア事情

オーストラリアといえば、スーパーの食品売り場で、オージービーフを目にします。皆さんもおなじみですよね。
牛肉以外にも、魚介類や小麦などの穀物においても、日本はオーストラリアにお世話になっているようです。日本の食糧安保を支えるオーストラリアの食糧事情についてみていきたいと思います。
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「健康で“ルン”旅&食」さんからお借りしました 
 
まず、そもそもオーストラリアってどんな国なのか概略を見ておきましょう。面積が769万平方kmと日本の約20倍もあるオーストラリア。
人口約2,130万人に対し、飼われている牛は約2,800万頭、人より牛の方が多いほどで、農場の広さも日本とはケタ違いのようです。
オーストラリアの経済状況 
<経済規模と所得水準>

オーストラリアのGDPは3,119億米ドル(1994年、約31兆円)で日本の約15分の1の規模である。経済規模から言うと、スイス2,672億米ドルよりもやや大きく、オランダ3,345億米ドルよりもやや小さく、西ヨーロッパの中堅国に相当する規模である。
一人当りのGDPでは、オーストラリアは19世紀後半から今世紀前半にかけて、世界で最も高い水準を誇っていたが、その後、徐々に順位を下げ、 70年代以降は10位以下まで落ち込んでしまった。
 (1994年では、17,500米ドル/人と日本の約半分であり、100年前は、日本はオーストラリアの10分の一の水準だあったことから、100年で日本の一人当りのGDPが、対オーストラリアで20倍になったことを意味する。これは、日本の経済成長が目覚しかったことを表すと同時に、オーストラリア経済の凋落も表している。)
戦後50年代まで、世界で最も高い所得水準を支えたのは、1850年代の金鉱の発見とそれに続く羊毛の輸出によると考えられる。その後の1960年代には石炭や鉄鉱石などの鉱物資源の輸出が、羊毛を補う形でオーストラリアの繁栄を持続させた。もちろん、白豪主義や労働組合の強さによる労賃水準の高さも無視できない。
しかし、70年代には経済悪化が一気に表面化することとなり、完全雇用、低インフレ、高所得が見直しを迫られることとなった。
  この経済失速の要因としては
  
①鉱物資源を中心とする投資拡大.外資導入が資本レンタル、賃金等の生産要素価格を押し上げたこと
②石油ショックを契機とした先進国の省資源,省エネルギーの浸透
③輸入代替化政策が行き詰まり、ハイコスト.エコノミーを実現させてしまったこと
     等である

<経済構造の特徴>
①経済構造の二面性

第一の特徴としては、農産物や鉱産物などの第一次産品の輸出国としての側面と第三次産業の割合が圧倒的に高い先進国型の産業構造を持つ側面との二つの顔を持つということである。
GDPに占める農林水産業の割合はわずか3%に過ぎないが、商品輸出に占める農産物、鉱産物の比率は76%(1993年ABS提供)もあり、海外からは農業国と見られがちである。
一方、 産業別労働人口割合を見ると農林水産業等の一次産業6%に対し,サービス業は80%(1994年ABS提供)と世界的に見ても非常に高い数字になっている。

②製造業の停滞

植民地時代は、イギリスから遠く、世界市場から孤立していたし、第一次世界大戦後は安全保障政策として製造業を中心に保護主義政策が取られた。その結果、国際競争力は強いものとはなっていなかった。
60年代に入ると資源ブームによる賃金上昇が製造業にも波及し、また、近隣の日本、東南アジア、米国からの製品輸入が阻害的に働き、製造業は停滞している。

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  投稿者 katuko | 2009-08-06 | Posted in 01.世界恐慌、日本は?4 Comments »