2011-05-04

中国の国家と市場に潜むもの プロローグ

中国はここ10年くらいで、世界への影響力を格段に増した。しかし、頻発する暴動や、政治に対する軍の力、欧米の金貸しに対し独自の力を持ちつつある中国の寡頭勢力、日本に対する圧力や盗賊集団の横行など、今後も中国の動きには目が放せない。そこで中国とは何か、特にその国家と市場の構造について数回にわたって探ってみたい。
最初に中国の特徴を思い浮かべてみると
・中華思想、朝貢制
・国家の統制が強い反面、暴動もやたら多い
・宦官や纏足 (牧畜→管理社会)
・金の亡者、強欲、盗人の多さ
・血族の絆が強い反面、個人主義的とも言われる
・貧富の差が大きい

というあたりだろうか。
先史以来塗り重ねられてきた生産様式(牧畜、遊牧、交易)による意識構造までは西洋人と同じ。特に気になるのは、血族意識の強さというあたりだろう。
参照 
 牧畜によって何が変わったのか?
 遊牧によって何が変わったのか?
 交易によって何が変わったのか? 
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4000年前から3500年前ごろの寒冷化に伴って、黄河流域に北方から遊牧部族が侵入すると、元々いた部族も含めて、部族連合を組みながらの覇権闘争が始まる。その中で最も強力な部族が覇権(序列規範の頂点)を握り、夏王朝(チベット族)や殷王朝(モンゴル族)を形成した。
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  殷の版図 リンクよりお借りしました
中国における、戦争・略奪闘争は、部族同士の覇権闘争の色彩が強く、負けてもその集団に組み込(隷属)まれるため、氏族共同体は解体されることはなかったと考えられる。この先史から王朝が形成される期間に、他集団との闘争に対応して部族統合のための祖霊信仰→血族意識が強化されていったと考えられる。
多数の部族が存在する中国では、その後戦国時代を通じ、激しい部族間闘争が繰り返され、数百年にわたり戦乱が続いた。その間人々の安定期待に応えて、諸子百家という思想家が輩出し、中国の思想的・制度的な基盤を形作っていった。
特に中核となった思想は、武力による制圧に対応した序列規範(ex儒教)であり、内部統制のための法家思想だった。王朝内部的には、武力による制圧 →強力な軍隊の必要性→租税の徴収が必要となり、→そのために官僚制と法制度が必要という形で、国家体制が整備されていく。
このようにして中国王朝の基本的な骨格が形成されていった。それがおおよそ紀元前5世紀から前3世紀にかけての戦国時代だった。中国王朝は、この規範を周辺の異民族にも適用し、中華思想と朝貢制を作っていった。
その思想・制度を元に統一帝国(秦漢帝国)が誕生するが、その巨大さ統合の難しさゆえに、その後の中国は幾度となく分裂と統一を繰り返していく。
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以上の状況の中で中国の市場はどのように形成され、どのような特徴をもつことになるのか?
その経緯と構造を数回にわたってレポートしたい。

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☆歴史から構造を探っていきます。
●戦国時代に始まった市場拡大→貨幣経済と村落共同体の解体
他国との侵略・闘争圧力の下、国家体制(収税・管理)の整備と市場拡大が急速に進められる。
中国の市場化は、日本に比べてはるかに速い段階で進んでいる。BC5〜BC3世紀の戦国時代に早くも貨幣経済が浸透し、徴税も貨幣で行われることになり、その結果村落共同体は解体され、家族単位ごとに国家体制に組み込まれていく。誰が何のために貨幣経済を浸透させていったのか?
●巨大帝国とユーラシア勢力  〜シルクロードと海の道はなぜ形成されたのか?〜巨大な帝国を形成した漢や唐。その形成過程を見ると中原から西域や南方へと拡大していく過程が見られる、彼らの文化も極めて西域趣味的。・・・それはどうしてなのか?
そして、かってない巨大な帝国を形成した7世紀頃の唐帝国は、帝国全体からの税収によって贅沢三昧。世界から商人を呼び込み、奢侈品の交易需要を振りまいた。
そこで活躍していたのはウイグル人やソグド人などのユーラシア勢力だった。取引されていたものは、絹・馬・奴隷・・・唐の交易と軍事を担っていたのは!?
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  700年頃の唐の領域 リンクよりお借りしました
●朝貢貿易とはなにか?
そして、8世紀、中国は冊封・朝貢体制を梃子にして、アジアの国々を巻き込み、東アジア文化圏が形成される。東アジア世界は、近代に西洋があらわれるまでこの秩序(華夷秩序)の中に組み込まれていたといっていい。これはイスラム世界に対する東アジア世界の形成ともいえる。(現在形成されている元経済圏もその焼き直しとも思える。)
●官製市場と闇勢力・秘密結社
税収をアップさせるために、政府は公営の市場や関を設置し、また塩の専売制などで税収を確保しようとしていた。その利益にあやかろうと、そこに商人が集まり、ネットワークと武力を持った闇勢力を形成していく。彼らは隠然たる勢力を確保し秘密結社を形成、幾度となく農民を扇動し王朝を転覆していく。
●モンゴル・イスラム勢力に組み込まれたグローバル化時代
中華世界は内在する論理を持って、ユーラシア遊牧勢力と一線を画すようになるが、モンゴル・イスラム勢力により、ユーラシアの市場ネットワークにリンクした。
●なぜ中国は、明以降海禁(鎖国)の時代に入ったのか?
明の宮廷政府が朝貢交易に限ることで海上交易を独占しようとして海禁政策を取った。宋・元の時
代にかなり発達していた民間交易を押しとどめるものだった。それに対する反発は海寇と密貿易の拡大となって現れる。海外への華僑の拡大もこの時期から始まる。
●西洋に蹂躙された近代200年
明中期以降に現れたポルトガルは、本国政府そのものやその組織と結びついた武装交易艦隊を繰り出し、国家的な海外事業に乗り出してきた。その後、清の時代のイギリスもしかり。つまり陸からのユーラシア勢力に代わって海からの西洋勢力が、清に蓄積された富を狙ってやってきた。
イギリスと中国の闇勢力が結託し、清は倒される。現代に繋がる中国の寡頭勢力とは?
※しかし海の勢力に侵されながら、清は史上最大の版図を形成している。これもなんで?
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  清朝の版図 リンクよりお借りしました
●まとめ:中国の市場を斬るキーワード・構造
・表裏をなす軍事集団と交易集団、国家論理(序列体制)と市場勢力のせめぎあい、
・一方で国家の下層部を形成する農民・少数民族・女への監視の強さ
殷は西方から伝わった戦車(チャリオット)を操る軍事集団だったが、同時に商と呼ばれ、活発に交易をおこなっていたことも知られている。そのような集団は、中国史上幾度となく現れてくる。・・・・
現代に繋がる生産様式や市場構造は、かならず塗り重ねられて現代の中国の体制や市場を形成していると考えられます。追求していく中で新たな認識があれば組み込んでいきたいと思います。ではまた次回。

List    投稿者 Hiroshi | 2011-05-04 | Posted in 未分類 | 4 Comments » 

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コメント4件

 モンブラン ボールペン 名入れ | 2013.10.24 22:19

そこで思わず友人に発した言葉が「書きづらいんじゃね?」でした。数秒後、己の無知さ加減と世間へのアンテナがいかに狭い範囲の情報しかとらえていなかったのかを猛烈に反省するとともに、ものの価値というものについてしばらく考え込んでしまう自分がいました。

 モンブラン ボールペン | 2013.10.24 22:20

それを踏まえて、以下のことを目安に選んでみるといいかもしれません。

 holland hermes bags | 2014.02.02 12:53

hermes hotel agios nikolaos website 金貸しは、国家を相手に金を貸す | 『日本国債暴落の可能性は?』【4】国債発行と流通の仕組み:基礎知識の整理②

 wholesale bags | 2014.02.10 5:49

金貸しは、国家を相手に金を貸す | 『日本国債暴落の可能性は?』【4】国債発行と流通の仕組み:基礎知識の整理②

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