2011-05-16

中国の国家と市場に潜むもの〜(1)戦国時代に始まった市場拡大→貨幣経済と村落共同体の解体〜

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「中国の国家と市場に潜むもの」シリーズでは、中国の市場史を研究・追求し、現在に繋がる生産様式や市場構造と国家との関係、彼らの私権意識の強さがどこからくるのか?を解明していきたいと思います。
今回はその中でも、市場拡大が急速に進められた中国・戦国時代について。
以下、プロローグより。

●戦国時代に始まった市場拡大→貨幣経済と村落共同体の解体
他国との侵略・闘争圧力の下、国家体制(収税・管理)の整備と市場拡大が急速に進められる。
中国の市場化は、日本に比べてはるかに速い段階で進んでいる。BC5〜BC3世紀の戦国時代に早くも貨幣経済が浸透し、徴税も貨幣で行われることになり、その結果村落共同体は解体され、家族単位ごとに国家体制に組み込まれていく。誰が何のために貨幣経済を浸透させていったのか?

戦国時代とは、戦争により田畑は荒れ死人が続出したイメージですが、戦争に勝つためには、その基盤となる経済の発展と強い国家体制の構築が必要になります。またその中で商人はどのように力をつけてきたのでしょうか?
このシリーズのこれまでの記事は以下を参照。
中国の国家と市場に潜むもの プロローグ
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●古代中国の経済図解(クリックして拡大・スクロースでご覧ください。)

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■夏・殷(商)・周の時代
古代中国国家(都市)の政治体制は、血族・宗族政治であり、国家はその血族を軸とした部族・氏族の各集合体が連携する形で力を持ってた。部族・氏族の集合体が形成する各都市とそのネットワークが国として成立している。そして、その中で最も力がある部族が中心となり全体を納め、それが、夏、殷(商)、周と移り変わっていく。
市場は、この都市(国家)を中心に発達するが、基本的には自給自足経済であり、国内の需要を満たす範囲で営まれた。貨幣は、殷の時代に一部、宝貝による貨幣が見られる。
租税制度は、周辺の肥沃で洪水の影響が少ない洛陽盆地で農業を営む邑と呼ばれる各村落共同体が、収穫物を税として納めていた。農民そのものは直接税は納めず、共同体内の労役として役割を担ったため、労役地代と呼ばれている。
殷から周の時代になると、血族中心とした本家・分家のネットワークの中での封建体制に移行していく。貨幣も青銅器の貨幣が都市内で使われはじめる。
統一国である周の力が衰えてくると各国の緊張圧力は高まり、春秋戦国時代に向けて、村落共同体は解体され、農民各々の収穫量に応じて税を徴収される(魯)。また、晋の「州兵の制」のように地域に兵器を整備する経済的な義務を負わせたり、軍備を充実するための税制度へと移行していく国も表れる。
■春秋戦国時代の市場拡大
●新しい思想の必要
それまで血族・宗族を中心とした政治体制から、優秀な人材を血族に関係なく選ぶ新たな封建・官僚政治が始まる。そこでは、今までの血族の祖霊信仰に替わる新しい統合軸が必要であり、孔子・儒教等、諸子百家の思想が必要になる。
●鉄による産業の発達と運河事業→商業の発達・拡大
産業は鉄の技術により飛躍的に発達する。武器の高度化、農機具の高度化を支える手工業が発達し、水利・灌漑事業により農作物の収穫高が上がっていく。
春秋戦国時代の各国は、その国を支える独自な産業を作り出していく(木材・鉱物・海産物etc)。
そして、水利事業の拡大に伴い、商業の交通路となる運河が発達したことが、この時代の商業の発達と広域化をもたらした。各国独自の産業が運河を使って他の国に運ばれ、各国家間を往来する都市間貿易が始まっていく。
このように戦国時代では、各国の産業・商業の発達が、その国の経済基盤を支えている。そして国家間の闘争関係の裏では、運河を中心とした商業が発達し、広域国際市場が成立していく。
●商人の台頭
市場の発達の流れの中で、商人の力が増していく。
戦国時代では土地の売買も行われ、商工業の成功によって蓄えた貨幣で農地を獲得する商人地主階級が表れる。そして、各地に生じた農地所得地主階級が、国家の経済を担当する新しい主要階層と成っていく。
また、広域国際市場の成立により、それを取り仕切る大商人が現れ、やがて地域の有力者と成っていく。
以下、「古代国家」(講談社学術文庫より)

商工業品の交換がひじょうに発達して、各地に全国的市場が成立した。そのように市場が大きくなると、市場を統制して、収益を納めようとする大商人がでてくる。戦国の中期以降、そういう商人が市場に集まってきてセリ市が開かれ、その市を統制するボス、つまり仲介人が大商人となり、それが、その町の有力者になる。
戦国時代から秦漢時代にかけて、市場に各国から集まるたくさんの商人を取り締まるボスは、全国的に名を知られる名士となった。そして、戦国時代の大国の都市は、そういう商人を吸収して、ますますふくれ上がった。

戦国時代では、王宮の庭、つまり朝廷に集まる官僚たちの会議の議論のほかに、市場にあつまる市民たちの声を聞くことがぜひ必要であった。その市民の世論を左右するのは親分であり、かれが軍隊を組織するだけの実力をもっていたことは右に述べたとおりだが、一国が他国に出兵し、戦争を開く場合には、こういう市場の人たちが世論を形成しているので、この人たちの支援をとりつけることが何よりも重要であった。

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戦国時代の貨幣 円銭(左上)、布(左下)、刀(右)

■貨幣経済と村落共同体の解体
●貨幣経済への転換
上記の戦国時代の産業の発達により、各国は貨幣を鋳造する。当初は、貨幣の重さを基準にして、布、刀、円銭、銅の貝(銅で作った貝)等の貨幣が広まって行く。
また広域国際市場の成立により、軽くて持ち運びやすく、各国間で通用する「金貨幣」他の貴金属貨幣が標準貨幣として広まっていく。
●土地の売買と村落共同体の解体
貨幣経済が広まり、土地の売買が行われ村落共同体も解体されていく。また農民は歩兵としても駆り出されていく。
以下、「古代中国」より

従来、共同体に所属している農民たちは、土地の占有権を持っただけで、所有権は持たなかったが、その土地の売買が自由化していく過程で、、しだいに所有権に変わった。共同体の土地を共同で利用していたはずの農地が、小単位に分割され、それに対する所有権を持つことになった結果、自作農や地主が生まれてくることになった。この地主階級には、商工民から転化した者もあった。すなわち商工業の成功によって蓄えた貨幣でもって農地を獲得するということも起こってきた。

●税制度と報酬
貨幣経済の発達により、税も貨幣で納められるようになる。商業の発達により高利貸資本も生まれてきた。納税に困っている農民達は、高利貸し資本家から前借りをして納入した。また大臣や将軍などが手柄を立てた時には、それを表彰するために、君主からよく金や玉を賜ることがあった。
広域市場の拡大により、関税制度が成立し国家間の商品のやりとりによる税収が確保されていく。
■まとめ
戦国時代は、各国が力をつけるために商業を飛躍的に発達させ貨幣経済を成立させた。その意味では、商業化の戦争でもあったとも言える。また、そこから入ってくる税収や土地の売買による収入が、その国の軍事力を左右したと考えられる。
市場化の中で商人は力をつけていき、戦国国家の中でスポンサーと世論形成の中心という重要な地位を築いていく。
農民は、共同体を解体され、商人地主により支配され、税に苦しみ、歩兵としても駆り出されていく。

次回は、「シルクロードと海の道はなぜ形成されたのか?」について追求しています。
お楽しみに!!
参考:古代中国(原始・殷周・春秋戦国)・貝塚茂樹、伊藤道治著(講談社学術文庫)
    中国文明の歴史・岡田英弘著(講談社現代新書)
画像は、こちらからお借りしました。

List    投稿者 yooten | 2011-05-16 | Posted in 未分類 | 2 Comments » 

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コメント2件

 hermes buy | 2014.02.01 5:39

hermes bag 1950 金貸しは、国家を相手に金を貸す | 近代史上の成立過程(6)〜マキアヴェリの思想とその影響

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