2011-06-15

中国の国家と市場に潜むもの〜(4)朝貢貿易ってなに?

以下はプロローグからの引用です。
●朝貢貿易とはなにか?
そして、8世紀、中国は冊封・朝貢体制を梃子にして、アジアの国々を巻き込み、東アジア文化圏が形成される。東アジア世界は、近代に西洋があらわれるまでこの秩序(華夷秩序)の中に組み込まれていたといっていい。これはイスラム世界に対する東アジア世界の形成ともいえる。(現在形成されている元経済圏もその焼き直しとも思える。)
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引用終わり
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前回投稿で、朝貢制度を見て行きました。今回は、その朝貢制度と華夷秩序=中華理念及び朝貢貿易(市場)の関係を、華夷秩序を通じて追いかけて、朝貢貿易とは何かを見て行きます。
いつもの応援を宜しくお願いします。
このシリーズのこれまでの記事は以下を参照。
中国の国家と市場に潜むもの〜 プロローグ
中国の国家と市場に潜むもの〜(1)戦国時代に始まった市場拡大→貨幣経済と村落共同体の解体〜
中国の国家と市場に潜むもの〜(2)巨大帝国「唐」の形成過程とその背景にあるシルクロード
中国の国家と市場に潜むもの〜(3)朝貢制ってなに?

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1.朝貢貿易の簡単な歴史について
以下の投稿から見て行きます

「中国交易史2 (秦〜漢時代)朝貢交易体制と中華思想」 

■秦→漢時代:朝貢交易の始まり
秦が滅亡した後には、漢が中華帝国を築く。この時代からいわゆる「朝貢(交易)」が始まった。周辺国家が届け物を中華皇帝に贈り、皇帝からはそれ以上の返礼があるという交易である。「国家間の贈与的な交易体制」と呼ぶこともできる。
この朝貢(交易)がどうして始まったかは定かでない。
可能性としては
・周辺国家が漢帝国に侵略されないように、贈り物をし、友好関係を作ろうとした。
・周辺国家が漢帝国を中心とする安定的な秩序を作るために、朝貢を繰り返した。
・漢帝国が自らの権威を高めるために、周辺国に朝貢を要求した。
などが考えられる。
いずれにせよ、周辺国家が漢帝国皇帝に朝貢し、皇帝からはそれ以上の返礼と統治を認める(冊封する)という漢帝国を中心とする秩序ができあがった。そして、東アジアに朝貢貿易体系と呼ばれる管理貿易体系が成立する。
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引用終わり
これ以降は、三国時代、五胡十六国の小国時代が続き、581年に隋が中国を統一し、唐・宋・元・明・清朝といった大帝国が生まれる。添付データ参照「中国史時代区分表」からお借りしました
 東南アジア交易と連動した朝貢制度は7,8世紀(隋・唐)から20世紀初頭までの1200〜1300年に及ぶ歴史がある。この間、税や兵役の徴収方法等は変ったが骨格は大きく不変のようです。(次回以降の投稿によりますが、宋・元時代は機能していないようです)又、1405年、雲南出身の回族イスラム教徒の鄭和の大船団よる「鄭和の西洋下り」から海洋交易圏の拡大や、イスラムネットワークを利用し、その通商関係を朝貢貿易の中に包摂(拡大)する大きな転換点が見て取れます。(次回以降で宋・明を扱います)
鄭和
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2.朝貢と華夷秩序について
 冒頭の引用にあるように、朝貢関係は中国の対外認識=華夷秩序をもとに成立している。これは、華(中央=皇帝)と夷を区別することにより、華の権威を対外的にも高めようとするものである。そして、それは、東夷、西戎、北狄、南蛮の四囲認識として存在した。これらの四囲は、皇帝の徳によって教化される対象であり、皇帝を慕う臣下は、その臣下としての礼を尽くすことによって統治を行なおうとするものであった。
このときの「礼」は政治理念であり、皇帝の威光に浴する側としては、絶えずその恩恵に対して感謝の心を表す必要があった。したがって朝貢は、秩序や機構が機能している証左として、また秩序意識の相互確認として不可欠であった。そして、通常そこでは方物(礼物)と回腸(褒美)という物品の授受を伴っていた。これらの財物の授受は、広く財政理念である「礼」に基ずく運用という考え方に支えられらていた。すなわち、
国用を経営する範囲は広く、需要を満たす主要な点は三つある。財を生ずる道があり、財を取るには制に基ずかねばならない。そしてそれを用いるときには礼に拠って行う。
『皇朝文献通考』国用考第一
という礼に基づく原則である。中国の皇帝が朝貢国の君主に国王の称号を授け(冊封という儀式)、宗主—属邦(宗属)関係を形づくる朝貢(貿易)関係もこの「礼」=華夷秩序によって運営されたものといえる。
3.華夷秩序と統治形態
 華夷秩序の統治の形態は、下図のように皇帝を中心に、各省で構成される地方・土司土官・藩部・朝貢・互市として構成されていた。これらの関係の詳細は次の地域関係の項で記載する。
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朝貢システムと近代アジア(浜下武志著)からお借りしました
4.華夷秩序と地域関係
華夷秩序の統治は以下のように複数存在する。
①土司土官制度は、中国の西南各省(四川、雲南、貴州、西康、青海など)の少数民族を統治する方法として、朝廷は在地の首長を上司・土官に任命し、内事に干渉せず、朝貢の義務を負わせる間接統治。
②藩部(モンゴル・チベット・回部)に対して清朝は王権を保持したのみであり、内部の行政は、世襲の首長やラマが行い、清朝の監督を受けるという異民族統治。
③さらに緩やかな関係として、朝貢統治は東アジア、東南アジアに。
④最も外周に、互市国(対等な貿易国)がある(例:ロシア)
⑤そのさらに外側に、皇帝の教化が及ばない地、「化外の地」がある。
下図参照。尚、中央と地方の関係は後述します。
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朝貢システムと近代アジア(浜下武志著)からお借りしました
 実態は、武力が及ぶ疎密に応じて統治方法を変えているのでしょう。しかし、徳が至らない地域を認めるわけにはいかないので、より包括的な華夷秩序として中華理念(正当化観念)を持ち出したようですね。しかし、曖昧な観念を事実とするには、有無を言わせない絶対的な力=武力が必要です。制覇力は、漢代から武力だったのでしょうね。そしてこの武力によって国際的な安全保障が中国から提供され、朝貢することで軍事力の恒常的な保持が不要とされる、あるいは、必要性が減少した。これによって、域内の紛争事件の解決が必ずしも軍事衝突に発展しないことを意味していた。これを言い換えると、交易路の安全の確保が、交易の増大を生んだといえる。
5.朝貢のありようとその魅力について
 以下朝貢システムと近代アジア(浜下武志著)から引用します
・朝貢(貿易)のありようについて
 中国皇帝の承認を受けた朝貢国は、定められた年度(貢期)ごとに、定められた地点(海路は広州、福州、寧波など)から入国し、定められたコース(貢道)で北京に至った。朝貢使節全体の人数も定められており、多いもので千人近くを数えた。一行は、商人を携え、貢物(貢品)とは別に北京の会同館で特産品の取引をなすことができた。取引可能な商品とその量も定められていたが、この法定取引よりも私取引が次第に増加し、朝貢貿易は貿易利益の獲得を本来の目的とするようになった。『光諸会典』礼部の条に、近隣の朝貢国は、朝鮮・ベトナム・ラオス・スールー(フィリピン南西部)・ビルマと記載され、その他は互市(交易)を通ずるとされ、時期を追うに従い交易関係が拡大している様子がうかがうことができる。

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引用終わり
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ここからお借りしました
 国家のもとに市場(私取引)が組み込まれている構造ですね。交易品は絹、陶磁器、象牙、胡椒、べっこう、琥珀、金、銀等の贅沢品です。以下のリストを参照
朝貢システムと近代アジアから借用しました
話しはそれますが、この文書を読んで、江戸時代の参勤交代をイメージしました。徳川家康は凄い発想力があったと思っていましたが、きっとこの事例を勉強して創意工夫したのでしょうね。
・朝貢(貿易)の魅力について
 以下朝貢システムと近代アジア(浜下武志著)から引用します
 朝貢秩序は、中国の圧倒的な経済力の優位性で成立っていた。そこでは、中国の市場の拡大過程において、一貫して需要された海外の特産品や銀が恒常的に搬入されることから、外部世界に多大の商業機会を与えることになった。他方、外部世界においても、中国の経済力を利用し、中国に自らの特産品を提供し、その見返りとして、生糸・陶器・などの中国特産品や綿布や食料品などの大衆生活物資を得ることを目的とした交換が増大した。そしてこの交易が『無関税』で行われるという朝貢貿易の特典は、それ以外の場合には30〜40%の関税が課せられるという当時の実情に鑑みるならば、外部世界の商人(在外華僑商人、インド・イスラム・西洋商人まで)にとって極めて魅力的であった。
6.まとめ
 朝貢貿易は、中国の軍事力と経済力を背景に成立した序列社会を基盤にしている。
その統合原理は、中国の皇帝が朝貢国の君主に国王の称号を授け(冊封という儀式)、宗主—属邦(宗属)関係を形づくる朝貢を華夷秩序によって運営するものである。

欧米の平等という正当化観念の下の不平等(騙し)条約とは異なり、「礼」=華夷秩序による「国家間の贈与的な交易体制」といえる。
又、中国の国家と市場の関係は、国家の中に組み込まれたものであり、欧米の国家に寄生する関係でないことからも「国家間の贈与的な交易体制」といえよう。

List    投稿者 sakashun | 2011-06-15 | Posted in 未分類 | 4 Comments » 

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コメント4件

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